中国の党は党を浄化できるか――市場改革派呉敬璉教授の言説をめぐって
- 2013年 1月 22日
- 評論・紹介・意見
- 中国共産党腐敗阿部治平
――八ヶ岳山麓から(57)――
2012年大晦日、中国共産党政治局会議があった。会議は習近平総書記が司会をした。中央規律検査委員会の報告があり、そこでの習氏の指示。
――新たな情勢のもと、反腐敗闘争の情勢は依然深刻である。少数の党員幹部には趣旨がわかっておらず、形式主義・官僚主義問題が突出しており、贅沢・浪費現象がはびこっており、領域によっては腐敗現象が多発しやすく、指導幹部とくに高級幹部の厳重な党紀・法律違反がある。事件があれば必ず捜査し、腐敗があれば必ず懲罰し、違法事件は厳格に調査し、腐敗を懲罰する高圧的体制を保持せよ。腐敗予防工作の力を強化し、教育を強めよ――
いつもながらの高級幹部の汚職取締だが、さて、党によって党が取締れるかな?
もう10年近くも前に、「できない」と発言した人がいた。国務院発展研究センター研究員呉敬璉教授である。呉先生は、文化大革命のあと東欧のオタ・シクやブルースの理論を研究したのち、イェール大学で研究生活を送った、中国市場改革の先駆的ブレーンである。
2003年に彼は論文「中国腐敗的治理」のなかで、
「教育や取締という『対症療法』に終始し、問題の根源を断ち切ろうとしないのであれば、腐敗蔓延の勢いを抑制することは難しいであろう」
と書いている。こんにちの習近平氏を10年前に批判したのだ。
幹部の腐敗については普通の人もそれぞれ知っているし、それが構造的問題だという認識は改革派知識人に共通のものである。昨今、外国メディアは中国の高級指導層親族に大金持が多いと伝えているが、すでに10年前、呉論文はその腐蝕の構造を明らかにしたのである(邦訳「 なぜ中国で腐敗が蔓延するのか」http://www.rieti.go.jp/users/china-tr/jp/mokuzi.htm#page4)。
こんにちでも腐蝕の構造は、そのままか形を変えて生きているから、以下そのさわりを列挙する。
○ 改革開放以降、国家が土地を「賃貸」したとき、コネのある人は安い地代でよい土地を手に入れ、使用権を売却して大金を儲けることができた。
○ 国有企業改革の際、被雇用者であるはずの工場長など経営者が企業財産の処理にあたった。経営者らは企業の所有者(国家)の全権代表であるため、「利益移転」を行う際に、財産を「(企業の)大金庫」に移すにせよ、自らのポケットに入れるにせよ、ほとんど制限を受けなかった。おなじように「企業請負制」でも請負人が企業の事実上の所有権者になってしまった。
○ 国有企業の「株式化」を行う際、多額の流通株を発行し、投資者に「売りさばく」一方、内部では密かに安い値段で「原始株(未公開株)」を分け合い、公共財産を私物化することも盛んである。
○ 大多数の国有企業は企業株式化による再編をすでに終えたが、まだ「所有権の明確化、権利と責任の明確化、行政と企業の分離、科学的企業管理」という要求を完全に実現できていない。持株会社など国家の委託を受けて国有企業の株主の役割を演じる投資機構も、経営者が、同時に所有者(国家)の全権代表だから、本当の所有者は実際には存在しないことになった。
○ 市場の不完全性の最も重要な要因は、売手と買手が把握している情報の違いである。一部のメーカーがこうした情報の優位性を利用して高い値段で、あるいは品質の悪い商品を良いものに偽って販売するなどの方法で消費者をだましている。
○ 金融・証券市場では強制的な情報公開ができないうえに、インサイダー取引を厳しく制限していない。ときには株価操作のため偽情報を流し、暴利を得ようとする違法行為は後を絶たない。結果的に、株式市場はもはや「ルールが存在しないカジノ」になってしまった。
ここでちょっと不学無術をさらけ出して、注釈をします。
中国の現経済体制は20世紀が終わるころから、国有経済部門と民営部門の二重構造(あるいは「半統制・半市場体制」)の特徴を持つようになりました。石油・通信・銀行・電気・自動車・製鉄などの分野は寡占状態で、大企業はすべて国有企業です。しかも国有資本の幹部人事は「党管幹部」といって、中共の中央・地方の組織部が権限を持っています。
マクロ経済が不安定化するなか、政府は投資の重点を国有企業へ移し、民営企業はじょじょに経営困難が増す傾向にあります。さる調査機関は、国有企業が民営企業を圧迫して「国進民退」状態が生まれ、資本の自由化や国有企業民営化の議論が再び台頭した、といっています(http://jp.fujitsu.com/group/fri/column/opinion/201301/2013-1-2.html)」。
さて2012年、呉先生は10年前よりも一歩踏み込んでこういう。
「当面の急務は、既得権益集団による干渉を排除し、改革を再開し、市場化を中心とする経済体制改革と、民主化・法治化を中心とする政治体制改革を確実に推進し、市場経済の基礎を全面的に整備し、公権力の行使を憲法や法律によって制約し、国民によって監督されることであり、ほかに選択肢は存在しない」(関志雄「未完の市場経済化改革」http://www.rieti.go.jp/users/china-tr/jp/mokuzi.htm#page4)。
以前紹介したとおり、主流派の学者は現体制こそが経済の高成長を支えたものだと誇り、現体制維持を断固主張する。
――この2,30年間に素晴らしい成果を収めたのは、強い政府と強い統制力をもった国有部門があったからだ。現体制は国家戦略を正しく制定し執行できる。中国はひきつづきこの体制を堅持すべきであり、世界各国もこれを「中国モデル」として学ぶべきである――と。じつに鼻息は荒い。1970年代80年代日本にもあったエセ評論そっくりだ。呉先生は批判する。
「これこそいわゆるレントシーキング(市場への政府高官の介入による独占状態から不当な利益を得る行為)によって形成された既得権益層を代弁するものである。彼らは現体制を維持しようとするだけではない。どこからも束縛されない政治権力を各レベルでさらに強化し、レントシーキング活動の制度的基礎を拡大しようとしている」
「過去30年間の高成長の奇跡は(二重構造からもたらされたものではなく)、新たに導入された市場経済が人々の創業精神を解放させたおかげであった。近年見られる政府の行政統制の強化や資源の大量投入による成長は長続きしないだろう」
新左派(毛沢東派)などは根本的に市場化には反対だ。彼らは、こんにち腐敗が猖獗を極め、分配が不公平で、カネがないために病気の治療もできず学校へも行けない。さらには国有資産が既得権益層に流れ、鉱山事故が頻発するなどは、すべて市場化のせいだという。だからプロレタリア独裁の昔に戻せ、と主張する。もちろん呉先生はそうはいわない。
「こうした社会の醜悪な現象は、経済改革がしかるべき水準に達せず、政治改革の停滞が厳しい状態のなか、民間の正当な経済活動に対する行政権力の圧制と干渉が以前より一層ひどくなり、レントシーキングが拡大したからだ。この状況がが続くなら、中国の経済はクローニー・キャピタリズム(縁故資本主義)に退化する危険がある」(以上、http://www.cs.com.cn/xwzx/hg/201209/t20120903_3521475.html)。
中国には、どこからも制約されない権力が利益をさらう状況はまちがいなくある。だから小さい権力でも権力を手に入れようとする人々は絶えない。例えば呉先生が指摘する「買官」である。官僚が地位をカネで買うことで、私も新聞で見たことがあるから、半公然と行われているらしい。呉教授はこんなことすら禁止できなければ、一党支配体制は深く腐蝕が進み、その統治の合法性も損なわれるだろうという。
いや中国では、学生も官僚という地位のうまみをよく知っている。知っているから昨年の国家公務員試験は9千数百倍の競争率になったのである。
さてそこで、呉先生の「市場化を中心とする経済体制改革と、民主化・法治化を中心とする政治体制改革を推進する」可能性はあるか。これは難しい。「老百姓」は生活に追われて政治まで目が向かないし、最高指導部にはいまのところその意志はない。たとえば昨年末「党が法外の強権を振るい、中国人民や国際社会の信用を失っている」と強く批判した雑誌「炎黄春秋」ネットは閉鎖された状況だ。
したがって、習近平総書記の腐敗一掃の指示も、薄熙来のように政治的抗争の敗者以外は、今までくりかえされたように、上層にコネのない小物だけが摘発されて終わりになるだろう。まして「統治の合法性」が大衆に疑われるまでには、まだ10年単位の時間が必要であろう。
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