イラク戦争の検証と沖縄
- 2013年 4月 5日
- 評論・紹介・意見
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2003年3月20日ジョージ・W・ブッシュ米大統領はイラク戦争を主導し、サダム・フセイン政権を崩壊させた。イラクが大量破壊兵器を開発・保持しかつ世界貿易センター・ビルを爆破したアルカイダと密接な関係を持っているからというのがその大義名分だった。しかし、大量破壊兵器は存在せず、アルカイダとの関係を示す証拠は見つからなかった。大義を失ったブッシュは今度は「これはフセインの独裁政治からイラク国民を解放し、自由と民主主義を実現するための戦いだ」と言い出した。
確かに選挙による新しい体制は生まれた。しかし、戦争の傷跡はあまりにも大きすぎた。「2011年末の米軍完全撤退まで少なくとも戦費8千億ドルを費やし、米兵死者は約4500人に及んだ。イラク側犠牲者は兵士、市民合わせて十数万人との民間試算はあるが、正確なデータすらまだない」(東京新聞3月20日社説)と新聞は伝えているが、これにイギリスやオーストラリアなどの参戦国の戦死者を加え、更に負傷者、精神的な病を抱えるようになった市民や帰還兵の数などを加えなければならない。
2005年にノーベル文学賞を受賞したハロルド・ピンターは、その受賞記念講演で次のように訴えた。
「ブッシュもブレアも、死人のことは後まわしにしています。イラクでの反乱が起こる前に、少なくとも十万人のイラク人がアメリカの爆弾やミサイルによって殺されました。この人たちはどうでもいいのです。この人たちの死は、起こってはいないことなのです。この人たちは無で、死者として記録されてもいないのです。『死体を数えたりはしません』と、アメリカの将軍トミー・フランクスは言いました。」
戦争を起こす者たちにとって、子供であれ、母親であれ、父親であれ、若者であれ、老人であれ、兵士であれ、戦争に死者はつきものなのであって、いちいち死者の数を数えることなど意味はないし、関心もない。
イラクの新しい体制はどうなっているか。マリキ政権は、反米勢力であり核開発疑惑のあるシーア派大国のイランやシリアとの関係を深め、スンニ派の追い出しを図っているとして反政府運動やテロを誘発している。イラクは今また新たな戦争の危険を孕みながら、治安回復の見込みも立っていない。「イラクの首都バグダッドや近郊の町など10か所以上で19日朝、自動車に積んだ爆弾などが相次いで爆発し、AP通信によると、少なくとも56人が死亡、約2000人が負傷した。20日のイラク戦争開戦10年に合わせたイスラム過激派による連続爆弾テロとみられる。」と新聞が伝えているとおりである。
アメリカ自身もまた、莫大な財政赤字、帰還兵の心の病、再就職難など、戦争の後遺症に悩んでいる。
そもそもイラク戦争とは何だったのか。米紙ワシントン・ポストとギャラップ社の世論調査の結果はいずれも、対象者の50%を超えるアメリカ人が「イラク戦争は間違いだった」と答えた。開戦時には賛成する者が80%に達していたにもかかわらずだ。もう一度ハロルド・ピンターに登場してもらう。彼は2004年9月23日に帝国戦争博物館における講演で、「イラク侵攻は国家テロでした。だから実際にはブッシュやブレアがテロリストなのです。彼らは戦争犯罪人として国際刑事裁判所へ召喚されねばならないと、私は信じています。」(集英社新書『何も起こりはしなかった』2007年3月21日刊)と語った。また、『アメリカは、キリスト教原理主義・新保守主義に、いかに乗っ取られたのか?』(作品社 2008年10月10日刊)の中で筆者のスーザン・ジョージ氏は「最近のアメリカにおけるほど目もくらむような嘘のレベルに近づいた者は誰もいない。もし連邦議会が2002年から2007年にかけての時期を対象とした本格的な調査を行ったならば、ジョージ・W・ブッシュ大統領はほとんど間違いなく『重罪および軽罪』で有罪とみなされ、議会による弾劾を受けることになったであろう。」と述べている。「重罪および軽罪」とは合衆国憲法第二条第四節に規定された大統領弾劾の要件の1つである。
私は沖縄タイムス・琉球新報・朝日・産経・東京・毎日・読売の、3月20日の朝刊に目を通したが、ほとんどの社説がイラク戦争の検証と反省を訴えていた。また、朝日・読売・沖縄タイムスが政情不安定なイラクの現状を報告している。沖縄タイムスの記事では、バグダッドの中心部にある動物園に遊びに来ていた若者たちへのインタビューしたときの様子が紹介されている。彼らは友人同士で訪れていた10名ほどの高校生・大学生のグループで、記者がそれぞれの宗派を訊ねると、「ええと、スンニ派は手を挙げて。3人か」「じゃあ残りはシーア派だ」とお互いの宗派を再確認いた後、バグダッド大で行政学を学ぶ学生が「この中にはシーアもスンニもいるけれど、全員が仲の良い兄弟のようなものだ」と笑顔で答えたという。
しかし、これらの親しい人間関係に政治が絡み国家が絡んでくると、しばしば、それまでの関係が破壊され、挙句の果てにお互いを殺し合うように仕向けられていく。そう仕向けるのは誰か。言うまでもなく、それは国家権力を握る政治家だ。
このイラク戦争の検証は不可欠である。特に日本の場合、当時の小泉首相がいち早くブッシュ支持を表明し、自衛隊を派遣して支援したという事実を踏まえた検証がなければ、憲法「改正」も集団的自衛権の行使も国防軍の創設の是非を論じることもあり得ないはずだ。外務省は昨年12月に「対イラク武力行使に関する我が国の対応」を発表したが、これは外務省でまとめた原文書の要約にしかすぎず、首相の開戦支持に至る経緯については全く触れていない。そして、政府としては今後これ以上イラク戦争の検証を行うつもりはあるまい。
ところで、安倍晋三首相は4月28日を「日本の主権回復の日」として政府主催の式典を行う考えだ。この計画の持つ問題性はいくつかあるが、最も重大な問題は言うまでもなく、サンフランシスコ平和条約が、沖縄を米軍基地化してアメリカの信託統治下に置くという前提で締結されたこと、さらに、1972年の施政権返還後も基地はそのまま残されており、地位協定始め米軍基地に関するもろもろのことに日本政府は何の異議申し立てもできない状態にあるということである。つまり、日本はまだ主権が回復されていない敗戦国なのだ。沖縄は日本ではない、というのなら話は別だが。日本の独立や日本国憲法の制定の背景に沖縄の基地の存在があるという歴史認識のないヤマトの首相にそろそろ見切りをつけたくもなろうというものだ。
この1月、オスプレイ配備に反対し普天間基地の県外移設を訴える沖縄の市町村の首長たちが銀座をデモ行進したとき、「いやなら日本から出て行け!」という怒号が飛んだという。よろしい、出て行きましょう、となれば、当然、沖縄にあるアメリカの基地はそっくりヤマトで引き受けることになりますね、そのうえで沖縄は日本ではない新しい国として独立しましょう、ご声援ありがとう、ということになるわけか?
3月20日の新聞は4月28に予定されている政府主催の「日本の主権回復記念式典」の記事を載せている。沖縄政策協議会に出席した仲井真弘多沖縄県知事は「4月28日は沖縄が日本から切り離された屈辱の日であって、政府の考えとは違う。お祝いとしての式典には出席しづらい」という旨の意見を述べたという。これは左翼でもなく右翼でもない、沖縄の歴史を背負って生きてきたウチナーンチュのごく自然な感情だ。どうも、ヤマトの政治家たちは「沖縄にはその数を数えるに値する人間は住んでいない」とお考えのようである。
安倍首相は憲法「改正」、集団的自衛権の行使、国防軍の設置と将来に向けた国の在り方を積極的に発信し続けているが、その前にやるべきことがあるはずだ。そこで、私は安倍首相に次のことを提言したいのである。
1つ目は、イラク戦争を検証する第三者委員会を立ち上げ、小泉純一郎元首相を国会へ証人として呼ぶこと。当時の官房長官・福田元首相は朝日新聞のインタビューに応じ、「小泉さんの選択は結果的に正しかった」と答えている。それならば、国会の場で堂々と説明し、議論すればすればいい。2つ目は沖縄にある基地、とりあえずは普天間基地を県外に移設すること。3つ目は、日米地位協定を改正すること。4つ目は4月28日の式典を取りやめること。
もちろん、私の提言はほかにも山ほどあるが、この程度にとどめておきたい。日本はこれまで日米同盟最優先できたが、アメリカの外交政策のすべてに唯々諾々と従うことをやめて、沖縄を含めた独立国日本の首相としてその実力を発揮してほしいものである。
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