離島領土
- 2013年 4月 8日
- 評論・紹介・意見
- 藤澤豊領土問題
突然、隣国から離島の領有権を主張され、この数十年、特別、何も考えてこなかった離島の領有権を市井の人までが話題にしだし、なかには立派な歴史観?に基づいた政治主張をされる方々まで現れた。昼食時に報道番組と呼ぶには軽すぎるテレビ番組で取り上げられているのを見て、仕事仲間の数名が同じような主張をしているのを聞いていて、そういうものかねぇ、と思いながら、聞いていた。政治的な話題を持ちだしてくるような感じではない方々や仕事で出会ったら方々からも似たような話を聞かされて、この人達の意見が市井の一般的な意見なのだろうと想像している。
市井の一般的な考えはざっと次のようなものだろう。
「戦前からその離島には日本の領有権が認められていて、第二次大戦後もそれ以前と同じように領有権が認められている。これば米国の支持も得ているし国際法に照らしても、間違いなく日本の領土だ。日本人が居住(滞在?)していたこともある。漁業権だけでなく、海底資源がありそうだと分かってきたとたん、隣国が領有権を主張するようになった。沖縄あたりまでの領有権を主張しだりして、あまりに身勝手で強欲な隣国には毅然とした態度で望まなければならない。自民党も民主党もだらしなさすぎる。自衛隊を派遣して国益を守らなければならない。」
聞き流している限りでは、なるほど、ついその通りと相槌を打ってしまいそうになるのだが、諸手を挙げて賛成させて頂くには、いくつかの大事に視点が欠けているように思えてならない。問題の離島が離島としてできてからどのくらいの時間が経過しているのか?その間、果たして日本人以外に、誰も訪れたことも滞在したことも居住したこともないのか?日本人が最初にその離島を発見したのか?。。。と歴史をちょっと長めのスパンで考えると、彼らが主張する日本の領有権の根拠、その根拠の正当性が歴史的に見れば、短い期間の歴史の一コマに過ぎないことが分かる。それも日本にとって都合のよい期間をまるでスチル写真(版図)のように持ってきて主張しているに過ぎない。
たかだかにしても、この百年か戦後の数十年間、一応は、世界でも、アメリカでも日本の領土として認めてきたということ、この事実は事実として決定的な重みを持っているのを承知で、あえてちょっと長い歴史的スパンを視野にいれて見ると正当性が揺らぐ。穿った目で見ると、申し訳ないが、その程度の正当性ででしかない。
終戦までのざっと百年、日本は脱亜入欧を目指して富国強兵策のもと、近隣に植民地を持つまでに至った。一方、隣国は列強と日本の植民地の状態にあった。この状態が第二次大戦の終決とともに崩れた。日本は戦後の復興に邁進できたが、隣国は内戦状態が続いて、離島の領有権を主張するなどという状態からほど遠かった。しかも、米国にしても共産主義封じ込め政策のパートナーとしての日本の重要性は十分以上に理解していたはずで、問題になっている離島を日本の領土とした方が国策に合致していた。
版図としては、その頃の版図しかありえない、それが唯一無二のものとして、自国の領土の根拠として上げれば、隣国はもうちょっと時間を遡って、自国にとって一番都合の良い歴史的期間の版図を持ち出してくるだろう。
多くの民族に最盛期と衰退期がある。今回の領土問題を機に、自国、自民族にとって最も都合のいい歴史的期間の版図を持ちだして領土を主張し合ったらどうなるか想像してみるもムダじゃないかもしれない。五百年ちょっと遡れば、南北アメリカ大陸にヨーロッパ系の人はいなかった。オーストラリアもしかり。イスラエルにいたっては、なんと三千七百年も遡って領土を主張して建設された。ここまでくると、どこまで何を持ってして正当な根拠と主張できるのか?が分からなくなる。
もう一つ、落とせない視点がある。第二次大戦までは、個人として他人の物を盗めば法で罰せられたが、国家間ででは略奪でも何でもありで(砲艦外交)、法的に罰せられることはなかった。分かりにくかったら、植民地を想像すれば理解できるはず。第一次大戦で高い授業料払って勉強して、もうこのような戦争はしちゃいけない、あり得ないと堅く信じていたのに第二次大戦を引き起こしてしまった。第二次大戦でさらに高い授業料払って多くを学んだ人類が至ったところが、国家間でも領土の割譲は不可、侵略は違法という、国家レベルに適用される国際法が生まれた。この国際法をきちんと守らない如何わしい国はいくつもあるし、紛争も戦争もなかなかなくならない。それでも、基本は戦後の領土を固定化しましょうという考えだった。この固定化しましょうという考えが、今回の領土問題における日本の主張の正当性の根拠になっている。戦後、実質領土を割譲させられた国がいくもあったが、基本は固定しましょうだった。そうでもしないと世界中で、自国に都合のいい時代の版図を持ちだして領土の主張し合いになりかねない。イスラエルが持ちだした三千七百年前の版図に比べれば、十三世紀のチンギス・カン時代のモンゴル帝国の版図を持ち出して、モンゴルがアジアから東ヨーロッパまでモンゴル国の領土だという主張もまんざら根拠がないわけではなくなる。
植民地の独立もあったし、北方領土は如何わしい国に占領されたままで解決の緒すら見つからない。領土問題に神経質になって当然の状態がある。市井の人が考えているように、どう見ても日本人には、日本の領土にしか見えない正当性があるように思える。ただ、それを主張するときには、主張の正当性は歴史の時間のほんの一コマに基いているに過ぎないこと、誰も歴史から自由ではありえないことを承知していてでなければならない。
Private homepage “My commonsense” (http://mycommonsense.ninja-web.net/)にアップした拙稿に加筆、編集
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座 http://www.chikyuza.net/
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