脱原発を思うなら
- 2013年 4月 8日
- 評論・紹介・意見
- マスコミ脱原発藤澤豊
もう10年以上も前なるが、かつて日本を代表するブランドだった(と信じこまされてきた?)乳業メーカ-が、経営の怠慢から不祥事が続き、偽装ブランドのようなかたちででしか存続しえなくなった。消費者の不買行動がなければ、ほとぼりが冷めたところで、なにもなかったような顔して昔ながらの名門企業として今日も不祥事すれすれの操業を続けているだろう。
この10年ちょっとの間に、消費者としての市井の人が問題を指摘し発信しうる通信環境も整ってきた。そのおかげで、昔のように監督官庁や企業が不祥事を隠し通すのが難しくなった。難しくはなったが、行政も企業も自らに都合の悪いことは隠し通し、平気でウソをつき続けている。その隠蔽やウソに乗った方が経済的に得るところのある御用学者も後を絶たないし、その手先としての存在以外には存在しえない評論家さえいる。それら走狗の犬を使うことに長けた官僚。(ちょっと脱線—世界中、どこにでもいるだろうが、この三点セットはその完成度からしてかなりもののはず。日本版MBAとして売りに出したらどうだろう?恥の上塗りになるだけか?)
昔通りに、一部の関係者だけが情報を握って、大衆には知らせたいことだけ知らせるのが政治であり、経営だと信じ実践している輩がいる。この類の痴れ者も、その立場になることが出世で、キャリアアップで、それが夢という寂しい人達もいなくなることもないだろうが、民主主義を形骸化し、衆愚政治を求めるのは時代錯誤以外ではないだろう。
テレビや新聞などのマスコミも、もとを正せば営利企業ででしかない。営利企業であれば、必ず時の権力と金に引きずられる。営利企業として規模の拡大を目指してきた日本のマスコミには、官製情報に頼らずに、独自の調査だけで日刊全国紙としての紙面を構成する力はない。読者からの購読料でではなく、広告料で成り立っているマスコミが広告主にとって、たとえ間接的ではあっても都合のよくないことまで公平に報道していますというのを聞いて、真に受けるのは余程のお人好しかお馬鹿しかいないだろう。ネットでニュースを読み新聞を購読しない人達も増えて、お人好しの多い日本でも、さすがに減ってるだろう。
それでも、マスコミがニュースとして公正に報道するかしないかで市井の人達の社会問題に対する理解や姿勢が大きく異なる。報道されなければ、事実として起きたこと、あったことが周知されずに忘れ去られる可能性が高い。
あまりに想像で恐縮だが、中国では今でも新幹線は創業以来無事故だろう。似たようなことが果たして日本にはないのかと問われれば、ないと言い切る自信はない。
東京で脱原発デモが毎週続けられている。Twitterで情報拡散を図るWeb時代の大衆動員方法が取られている。Webなど存在しない時代、大衆動員は大衆を組織するしっかりした中核になる団体-政治団体や労組-が存在してはじめて可能だった。当時、労組などの団体による大衆動員は強制ではないにしても組織の規制からは自由ではなかった。脱原発デモも知り合いやなんらかのグループの一員として参加もあるだろうから完全に個人の個人としても集まりではないだろう。それでも、昔の組織化された動員に比べれば、その民主的な個人として参加に将来の日本の核があるように思える。
日本の将来の社会のあり方、政治のあり方を萌芽として示している可能性が高い市民運動をマスコミが公平に報道しているようには思えない。マスコミは読者からの圧力がなければ、必ず時の権力と金の手先に堕する。
マスコミのなかにはというより、マスコミ業界最大手の企業トップが原発を推進してきたことを誇らしいこととして公言するものすらある。マスコミとして、その長として戦後日本の産学官の利権すら調整したことを、財界人として日本の高度成長を実現したことを、野球もやった、原発もやった。。。とまるで個人の回顧録のような放言。3:11の後なので公言とは呼びかねる。産官学でちゃんとやってきたのを下々が、何を言ってるのかとでも言わんばかりの態度。
強く脱原発を思っていても、毎週東京で続けられる脱原発デモに参加できない人達が大勢いる。そのために日本各地から毎週通える人達は多くない。その人達にも、全ての人達にではないが、脱原発の意思表示をする方法が一つある。費用は電話を2回かけるだけ。時間にして数分。まず、原発推進や継続を主張する新聞の購読を止める。次に脱原発を多少なりとも報道している新聞の購読を申し込む。これは個人としてのありようにまでかかわる。そもそも脱原発を主張しながら、原発推進を主張する新聞を購読し続けることは自己矛盾にほかならない。
新聞の発行部数が減ると、広告収入が減る。デモや抗議は新聞社としては痛くも痒くないが、発行部数の減少は企業としての存続にすらかかわる。毎週のデモより威力がある。発行部数の減少に対して知らん顔を決め込む根性はない。報道内容と姿勢に違いがでるのにたいした時間はかからない。他のマスコミも必ず同じ方向に動く。動かなければ、次は自分達が不買の標的にされるのを恐れる程度の知恵はある。
市井の人達がマスコミを手にする時代がきた。既成のマスコミの視点を変えるもよし、新しいWebベースのマスコミでもよし。時代は変えられる。
Private homepage “My commonsense” (http://mycommonsense.ninja-web.net/)にアップした拙稿に加筆、編集
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座 http://www.chikyuza.net/
〔opinion1234:130408〕
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