都会の小さな公園 出会いとふれあいの人間模様
- 2013年 4月 8日
- 評論・紹介・意見
- 栗木黛子
我家から200mほどでしょうか、区立の小さな小さな公園があります。この公園で2年ほど前から花の世話をしています。季節によりますが、週に何回か通っています。
小さな公園ながら、地域の様々な人々が利用しています。タクシーの運転手さんや会社名の書かれたワゴン車から降りた人がトイレに歩いていく姿をよく見かけます。昼時には若いサラリーマンがベンチでお弁当を食べながら談笑している光景も。季節の良い時期にはひなたぼっこのお年寄りもちらほらと。小さな子ども連れのお母さん、休日には子どもと楽しそうに遊ぶお父さんにも出会います。片隅のベンチでひとりひっそりとカップラーメンを食べている人も時折見かけます。犬の散歩をしている人、“猫にえさをあげないでください”との張り紙が風にひらひらしている脇の方で、しゃがみ込んでいとおしそうに猫に食べ物を与えている中年の女性や男性も見かけます。
何度か顔を合わせているうちに、挨拶や言葉を交わすようになった人もだんだんに増えてきました。都会の小さな公園でのささやかな出会いとふれあいですが、そこには地域の一人一人の暮らしぶりが凝縮され、現実の生々しさを実感させられます。その一端をご紹介します。
B子さん、私より少し年上かな
運動のために公園に通うB子さん。鉄棒にぶら下がったり、直径1m位の円筒の上に乗ってぐるぐる回しています。そのせいか姿勢がよく背筋もピンとしています。私と同様にやせっぽちですが、彼女としてはご自分の方が私より筋肉が付いていると自慢しています。東北のC県がご実家で送られてきた果物のおすそわけをいただいたこともあります。
現在は公園近くのマンションに一人暮らしです。夫とは死別され、子どもは都内に住んでいるとのこと。出会ってすぐ、B子さんから聞かされたことによると、彼女は若い時からずっとうつ病で、大学病院で治療を受け続けているそうです。30年ほど前には主治医が自殺するというショックなことがあったそうです。現在も同じ病院で治療継続中とのことですが、高齢で一人暮らしながらマイペースで自立した毎日を過ごしていると見受けられ、素敵なことだと嬉しく思っています。
B子さんと知り合って間もなく、ご自身の病気のことを告げられた時、私は多少のとまどいを感じました。というのも、自分の病気や障害のことは常識では伏せて当たり前、まして知り合ったばかりの他人に告げるというB子さんの行為が意外に感じたのです。私自身5年前からがんを患い、周囲にどの程度オープンにした方がよいのかどうか,こだわった時期もありました。私の場合、一人で胸に収めておけない性格もあって、周囲の方々に病気のことをお話したり、愚痴を聞いていただいたりしてきました。この間に気がついたことは、周囲の方々から何かと気遣いいただき、様々なサポートをいただき、心身ともに励まされてきました。障害や病気を一人で抱え込み、外見では健常者や健康を装うほうがずっとつらいと思います。B子さんも長年病気とつきあいながら同じような考えをお持ちなのでしょうか。とはいえ、障害や病気に対する社会的差別がまだまだあることも確かです。人がありのままの自分で、その人らしく生きることのできる社会が願いです。
D子さん、80歳
腰やひざに痛みがあるため、カートにつかまって押しながら歩くD子さん。D子さんとB子さんは公園仲間のお友達で、D子さんの通院にB子さんが同行することもあるそうです。
D子さんは若い時から夫と一緒に各地の建築現場に住み込みでそこで働く労働者の人たちの食事づくりなどをして働いてきたそうです。夫はすでに亡くなり、郷里の東北F県には娘が二人いるものの、あまり行き来はないそうです。現在は生活保護を受けて生活しています。アパートには風呂がなく、床もガタガタですきま風もあるので、福祉事務所の担当者に部屋を変わりたいと伝えているが、返事がないままに過ぎているとのことです。昨年暮れに近くの大学病院で乳がんの手術を受け、退院後も時々お会いしますがお元気そうです。
D子さんに近くの別の公園でときどき会うGさんのことで相談されたことがあります。Gさんは、長い間夫とともに小料理屋を営み、高齢化とともにしばらく前に店は閉めています。いつの頃からかGさんが手作りのちょっとした料理を、D子さんに手渡してくれるようになったそうです。ところが何回か料理をやりとりしているうちに、Gさんが「材料費がかかるのよ」と言い、D子さんは数回に1回は2~3千円渡すことになったということです。私へのD子さんの相談は、「嫌いなものもあるし、ほしい料理とは限らないので断ろうかとおもうけれど」というものでした。Gさんにとっては、小遣いかせぎ位の軽い気分だったのでしょうか、それともD子さんの諸環境を知って“いい鴨”と見定めてのことでしょうか。地域の片隅での小さな出来事ながら、考えさせられたことでした。
J君 派遣社員 ホームレス 30歳前後
J君と顔見知りになり、話をするようになったのは一昨年の夏ごろでしょうか。夕方、花の水やりに公園に行くと、ベンチに座っている彼を頻繁に見かけるようになりました。「派遣社員として、福祉施設の調理の仕事をしている」ということです。夜は、公園に隣接している区役所の軒下に寝ているとのこと。まさにホームレスなのです。「仕事をしているのに、なぜホームレスなのか」と聞くと、「アパートは家賃だけではなく、光熱水費や管理費まで加わり、負担が重い。いっそホームレスの方が気楽だと考えて決めたことだ」と説明されました。生活用品の一部は駅のロッカーに保管しているということです。
秋には秩父で拾ってきた栗で栗おこわを炊きたいと思ったものの、水加減が分からない。J君に尋ねたところ、栗おこわの水加減はうるち米の7割だと教えてくれました。その通りにやってみたら本当に美味しい栗おこわが出来たのです。お礼がてらJ君にも持参したら美味しいと褒められました。
こんなつきあいが続くうちに季節がめぐり、寒い冬も年を越えて2月を迎えました。寒い毎日が続き、J君のホームレス暮らしが気になってきました。生活保護の住宅扶助の申請を勧めてみたりしたものの、あまり乗り気ではないように見えました。そこで私がおせっかいするしかないと心を決めました。J君の収入を尋ねると、12万円位とのこと。まさに派遣並みの賃金でアパート代の負担は厳しいだろうと思う額である一方、生活保護の住宅扶助に該当するかどうか微妙です。区役所の生活保護担当に電話で問い合わせたところ、新宿にあるチャレンジ・ネットという東京都の機関を紹介してくれました。
チャレンジ・ネットは、派遣社員のような低所得の若者が住居を確保できるような支援サービスを扱っているとのことでした。その概要は3カ月程度補助付きの低家賃で若者にアパートを提供し、その間に若者は敷金などを貯めて将来の自立をめざすという物です。
とりあえずJ君にチャレンジ・ネットの情報を伝え、電話番号のメモを渡しました(月曜夕方)。J君は早速火曜日にはチャレンジ・ネットに出向いたようです。木曜日に健康診断を受けるように指示され、金曜にはその結果が問題なしと出て、J君の希望する区内に居室が確定したのです。この話にはもう一つ嬉しいおまけがつきました。チャレンジ・ネットに寄せられていた求人情報で、4月開設予定のグループホーム(多摩地域)で住み込みの調理員の募集があり、応募すると、その場で採用されたとのことでした。正社員で月給25万円と告げられたとのことです。詳細は分かりませんがJ君のこれまでの派遣で月給12万円よりはステップアップ出来たのです。金曜日の夕方、「今、チャレンジ・ネットを出てきたところです」と、上記の事柄について、J君から私の携帯に連絡をしてくれました。本当にうれしそうで、何度もありがとうを繰り返していました。ほぼ1週間の短い期間ながら、J君にとっては人生の大きな出来事だったと思います。私のおせっかいが偶然役に立ったということですが、J君が積極的にチャレンジ・ネットに出向き、自分の為とはいえ本気で頑張ったと私は評価しています。ともすればホームレスは自暴自棄になったり、あきらめムードになったりも多い中で、J君が自立をめざし行動できたことは立派だと思います。あれから約1年、J君から連絡はありませんが、安定して頑張っているかなと願っています。
それにしても、私自身チャレンジ・ネットのことも、低所得の若者のための住宅支援サービスがあることも知りませんでした。現在、充分とはとても言えない一方で、様々な社会サービスが整備されてきていることも事実です。今回のJ君のケースであらためて実感したのは、社会サービスは用意されていながら、そのニーズを抱えている当事者にきわめて届きにくいという問題です。ニーズの当事者は自らの問題を抱え、社会的弱者あるいは孤立に追い込まれ、行政を含め周囲に気軽に訴えたり、相談するような心身のゆとりを失っている状況なのではないかと思われます。行政も地域住民もJ君のような社会的弱者に、もっと積極的に情報提供し、また気軽に相談しやすい環境を用意することが不可欠です。とはいえ具体的方法となると簡単ではありません。人的サービスの充実は人手の増大が求められます。行政面では人手の増大=人件費の増大であり、これ一つでも簡単ではありません。共に暮らす私たちに何が出来るのでしょうか。
K君 ホームレス 37歳
J君と入れ替わるように、K君と知り合いになりました。同年輩のJ君とK君はホームレス仲間で、毎日ではないものの、公園隣接の区役所出張所の軒下で夜を一緒に過ごすこともあったそうです。
K君は、すでに5年以上もホームレス生活を続けているそうです。この地域では、週に1度本や古着などリサイクル品の回収日があり、K君は地域ごとの回収日を回り、本を集めてブックオフに持ち込み、ささやかに現金を得て過ごしてきたようです。我家では夫や私の本の始末をしなければと考えていたところだったので、役に立つならばと提供することにしました。ただブックオフでは、新刊が基本で、よごれや書き込みのある本は買取りません。我家のほとんどが古本レベルのため、1冊10円とか20円ということもありました。それでも1冊平均50円、時には200円ということも。「本の収入でジーパンを買いました。Tシャツを買いました」との報告も時折ありました。このほか、私の料理のおすそわけをしたり、K君の必要に応じてスニーカーやコート、カートなど私の周辺で入手できるものを提供してきました(ただし、現金は渡さないと心に決めていました)。昨年夏の猛暑で、公園の花の水やりにあたふたしている私を、K君は進んで手伝ってくれました。朝晩しっかり水やりをしてくれて大助かりでした。K君の水やりは、秋から冬になっても続きました。冬瓜(とうがん)の実が大きくなるのを、一緒に楽しみにしていました。面白いことに、私とK君との間には、お互いに出来るところで助け助けられる繋がりがささやかながら成立していたのです。
折を見て、K君に生活保護を勧めてみました。若いK君のこれからの長い人生のために、ホームレスから抜け出し、人間らしい自立生活をめざしてほしいと考えたからです。K君の返事は「このままでよい。5年以上もホームレスやってきたから」との事でした。K君の自立には時間をかけるしかないな、これまでよほどつらいことがあったのだろうなと思いました。娘に話すと、「彼の自立には、ホームレス期間と同じ5年かかると思えば間違いない」とも言われました。
K君の話によると、出身は沖縄、両親は亡くなり、頼れる家族はいない。ホームレスになる前は居酒屋で働いていたが、上司からきつくされて辞めてしまったということです。ずっと後になって分かったのですが、これはK君の警戒心からの作り話だったのです。私が信用できる人だとK君が思えるようになってから、本当のことを話してくれました。K君の故郷は関東北部のI県、母親は亡くなり、父親と姉がいる。2人とも知的障害者で、生活保護で暮らしているとのことです。K君も、義務教育はずっと特殊学級に通っていたそうです。中学卒業後すし店に就職し、何回か転職しながら、東京の居酒屋が最後の職場だったようです。K君の家庭環境も教育環境も社会人になってからの環境も、ずっととても厳しい半生だったと思います。K君が自分の人生に自信がもてないのも、無理のないことと思われました。
11月になって、「疲れたのでブックオフはやめた。本はもういらない」とK君から告げられました。後日判明した事実は、万引きされた本の持ち込み対策としてブックオフが身分証明書の提示を求めることとしたためでした。ホームレスのK君に身分証明書などあるはずもなく、K君のささやかな収入源も断たれることとなったのでした(この場合のように、例えば行政のリサイクル品回収に便乗して本を入手してささやかに収入を得るような仕事を“すきま産業”の一種というか、弱者独特の収入源というのでしょうか。身分証明書の提示のように社会システムをきちんと整えれば整えるほど、弱者はささやかな“すきま産業”からも締め出され、追い込まれていくという皮肉な現象の一つです)。金銭面を心配する私にK君は、「繁華街の路上でアンケートに答えると金券をもらえることもあるから」などと平静を装っていました。とはいえ寒さが加わるとともに、冷えるとか体調が悪いとの訴えが増えてきました。コートや靴下、ホカロンや食べものを差し入れながら、「私に出来るのはこの程度だから、最終的には生活保護を考えてね」と折に触れ伝えました。生活保護について出来る限り分かりやすく説明し、生活保護のサポートで体調を取り戻し、自分に合った仕事を見つけて就職し、自立をめざそうと励ましました。
12月31日の夕方、K君から生活保護を受けたい、寒くないところで眠りたいと告げられました。突然のことでした。とはいえ、役所は年末年始の休業中の真っただ中であり、1月4日に福祉事務所に同行する約束をしました。その間毎日あり合わせの食事を届けながら、生活保護を何とか受けられるように相談を重ねました。そうは言いながら、若者の生活保護受給の困難さは周知のところであり、K君が確実に受給出来る案はなにも思いつきません。唯一の思いつきは入院作戦でした。5年以上にもなるホームレス生活で栄養失調の可能性がありうること、普段から足の指の炎症や胃腸の不調、目や歯の異常を聞いていたからです。K君には福祉事務所の担当者に、まず最初に体の不調について一つ一つ細かく丁寧に説明するよう何回も伝えました。家族状態や、これまでの仕事や半生についても、本当のことを説明するよう伝えました。
1月4日10時に公園でK君と落合い、歩いて10分ほどの福祉事務所に向かいました。しかし、「ここは受付のみなので本庁部局に行くように」と言われ、仕方なくタクシーで向かいました。区役所の生活保護担当課では、K君の話を一通り聞いてくれた後、近くの病院へ行くよう言われました。病院でK君は足の親指の爪をはがす手術を受け、胃腸の薬を処方され、区役所へ戻るよう言われました。医師に「K君は栄養失調ではないのですか」と尋ねたら「こんな程度で」と笑い飛ばされました。サンダルを引きずりながら歩くK君と区役所へ戻る道すがら、入院作戦は失敗らしいと悟るしかありませんでした。
区役所に戻ると施設担当者が対応し、空きのある施設を探すから待つようにと言われました。どうもホームレス支援施設のどこかに入所が可能となりそうです。私はこの時点で帰ったのですが、後にK君から「区役所近くの△△寮に入所できた」と知らせがありました。1室10人の集団生活で、専有できるのはベッドと上部の棚のみ、でも一晩中エアコンが動き続けていると感動していました。何はともあれ、即日屋根のあるところに入れてよかった、と胸を撫で下ろしました。1月8日と15日のあの大雪が降った際にも、「この雪の中、野宿せずに済んで良かった」と、同じ思いを再確認しました。12日には、生活保護の決定の通知(1月7日付け)が届いたとのことです。理由はわかりませんが、私の想定を上回るハイスピードの対応と決定でした。
後日、生活保護の専門家と話す機会があり、次のようなご指摘をいただきました。一つは当日の病院行きは、治療のためというより、就労の可否の診断が主たる目的であり、診断結果で就労困難と判断され、生活保護適用へとつながったのでは、との事でした。さらに、施設入所ではなく地域での在宅を選択することもできたということでした。
私は、施設入所でK君は生活訓練、体調管理、就労支援などこれからの再出発に必要な様々の相談に対応してもらえると期待したのですが、K君の話によると、△△寮は専従の職員は施設長1人、後は学生アルバイトで掃除や弁当配りなどの雑用に対応しているとのこと。食事は3食とも配達弁当だとか。この状況では入所者へのきめ細かい相談業務など出来そうもありません。K君の1カ月分の生活保護費13万円余りのうち12万円程は住宅費と生活費として△△寮に支払うのでK君の手元に残る現金は1万5千円程度だとか。現状では△△寮は単なる宿泊施設で、K君の将来的な自立のサポート等は期待できそうもありません。私には福祉施設というよりは、貧困ビジネスのように見えてしまいます。
K君の医療は、なお継続中です。右目の症状について角膜炎と診断されたものの、当初の病院では治療が困難とのことで都立病院、さらに同様の理由で大学病院に送られました。
大学病院では治療上必要とのことで5千円負担して先進医療の検査も受けました。手術をするとの診断が2月20日に出たそうです。その後K君から連絡はありませんが、彼の自立までにはまだまだ道半ばという気がしています。
ホームレスの自立支援に関しては、2002年8月に「ホームレスの自立の支援等に関する特別措置法」が制定実施されています。この法律の目標として、ホームレスの自立のための雇用の確保、住宅の確保、保健医療の確保、生活相談及び指導が掲げられています。
しかし、J君やK君には、私がおせっかいをするまでは、この法律の支援は全く届いていなかったと言わざるをえません。しかも公園仲間Mさん(男性、60歳位)の話によると、区役所の職員と思われる人が公園に来て、ベンチにいたMさんにホームレスなのかどうかというような声をかけてきたということです。Mさんが職場の社員証をみせたところ納得したということです。J君やK君と区役所の職員との間に接点があったのかどうか分かりませんが、あったとしても一声かけたぐらいでは彼らが支援を受けようという気にならないであろうことは私の経験からも明らかです。彼らを本気で自立支援につなげるためには、もっと踏み込んだ対応が必要です。せっかくのホームレス支援法は残念ながら現状では生かされていないと思わざるをえません。
冬のある日、気が付いたら公園のごみ箱が撤去されていました。周囲の話によると、「家庭ごみを持ち込む人がいるから、それを防ぐため」だとか。でも、公園のごみ箱の設置目的は、あくまでも公園利用者への便宜サービスが本命なのではないでしょうか。ゴミ箱の撤去は住民サービスの低下であることは明らかです。推測ですが、行政の本音は経費削減のためのごみ箱撤去であり、住民説得のための都合のよい口実として“家庭ごみの持ち込み”という一部の行為を大げさに利用したのではないでしょうか。
さらに、2月半ばごろ4つあったベンチのうち2つが撤去されていることに気が付きました。それも南側正面の日向ぼっこには一番良い位置にあるベンチです。この理由についても噂ではホームレスが座るからと聞きましたが本当でしょうか(確かに、ホームレス支援法第11条には、“ホームレスにより公園等の適正な利用が妨げられるときは、地方公共団体は必要な措置をとることができる”という内容の規定があります)。ベンチの撤去はホームレスだけではなく日向ぼっこのお年寄りも利用できなくなったのです。私も公園仲間と以前はベンチに腰掛けてゆっくり雑談できたのに、最近は立ちっぱなしかプランターの縁に寄りかかるしかできません。
ちょっとした事を口実に国民を誘導して、都合のよい政策を実行することはいまや政治的行政的常套手段となっています。政治家や官僚に加えて、独占的大企業、広告大手やマスコミそして専門家・研究者・学者と言われる人々も協力して戦術が練られ、強行されていることも言うまでもありません。“原子力村”はその頂点の一つでしょう。こうした権力側の組織的戦略にたいして、普通の生活の安定を願う普通の国民や住民が今までのようにお任せするだけではなにも変わらないことは確かです。
地域の小さな公園という、いわば生活の足元から学ぶことはこれからも沢山ありそうです。
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座 http://www.chikyuza.net/
〔opinion1235:130408〕
「ちきゅう座」に掲載された記事を転載される場合は、「ちきゅう座」からの転載であること、および著者名を必ず明記して下さい。