「食への不安 なくしたい」など-地震と原発事故情報
- 2013年 4月 14日
- 交流の広場
- たんぽぽ舎
たんぽぽ舎です。【TMM:No1805】
2013年4月13日(土)地震と原発事故情報-4つの情報をお知らせします
転送歓迎
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★1.食への不安 なくしたい (4月10日 東京新聞より抜粋)
市民の放射能測定所倍増 全国90カ所 データベース準備
★2.明治公園での逮捕(3月9日)-私の経験について「今後のため」報告しま
す 脱原発運動の今後に少しでも役立てば・・・(連載その1)
多辺田 政弘
★3.新聞・雑誌から
◇福島第1原発 どうにもならないダダ漏れ汚染水
海洋放出は時間の問題 (4月11日 東京新聞より)
★4.テント日誌 4月11日(木)経産省前テントひろば579日目
4月10日「脱原発テントと命を守る裁判」についての記者会見を
開催しました
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┗■1.食への不安 なくしたい
│ 市民の放射能測定所倍増 全国90カ所 データベース準備
└────(4月10日 東京新聞より抜粋)
※「食への不安 なくしたい」:この記事には、たんぽぽ舎の共同代表の鈴木千
津子さんも取材を受け、20年以上にわたる経験をベースにコメントを伝えて
います。
○ 東京電力福島第1原発の事故から2年が過ぎた今も、市民団体による放射能測
定所が全国的に増えている。東京都国分寺市の市民団体が世話人を務める全国ネ
ットワークが把握しているだけでも、1年間で倍以上に。国や自治体が公表する
空間放射線量や食品中の放射性セシウムの濃度とは別に、「自分で確かめたい」
と考える市民の動きは止まらない。
2011年10月に発足した市民測定所の情報交換グループ「全国市民放射能測定所
ネットワーク」(国分寺市)のリストに、北海道から沖縄まで90カ所の測定所が
並ぶ。原発事故から約1年後の12年3月11日にあった測定所は、事故前から活動し
ていた4カ所を含め、40カ所ほどだった。
「放射能をきっかけに原発や食品の問題を学ぼうとする市民が増えている。原
発事故のあった11年に福島県内を中心に次々と開所し、12年から全国的に広がっ
た」
ネットワーク世話人の石丸偉丈さん(40)が話す。測定所の3分の2以上は、
実際に放射能汚染のあった東北や関東地方に集中。(中略)
○ チェルノブイリ原発事故から3年後の1989年から測定を続ける千代田区の市
民団体「たんぽぽ舎」の共同代表、鈴木千津子さん(66)は、「食品から検出さ
れるセシウム濃度は低くなっている。でも、降り積もったセシウムを消し去るこ
とはできない。汚染に関心を持ち続けてほしい」と話した。
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┗■2.明治公園での逮捕(3月9日)-私の経験について「今後のため」報告し
ま す。脱原発運動の今後に少しでも役立てば・・・(連載その1)
└──── 多辺田 政弘
(編集部)著者の了解を得て公開します。今後の不当弾圧に役立つので。
なお、長文なので6-7回に分けて掲載します。
(原文は縦書きなので和数字の日付けは算用数字に直して掲載)
一.逮捕までの経緯
2013年3月9日に明治公園で行われた「3・9 さよなら原発集会」には、私は
妻と一緒に参加しました。途中で弟とも待ち合わせて一緒に会場に向かいました。
私たちは「脱原発」の主張にかねてから賛同しておりましたので、一昨年の3・
11フクシマ原発事故以来、「脱原発」の集会やデモには何度か参加したことが
ありました。
ところで、私は六十六歳(3・9当日)で三年前に心臓バイパス手術(糖尿病
の合併症による狭心症・心筋梗塞のため)を受け、その際左足の静脈の一本を冠
動脈パイパスに使ったため、左足側の腰痛や歩き辛さが「後遺症」として若干残
りました。集会当日に家を出た時は、「今日のデモはどうしようかな」と迷って
いました。しかし、集会で演壇に立たれた大江健三郎さんが、あのご高齢にも拘
らずスニーカーを履いて今日はデモ・コースを最後まで歩かれる積りで来られた、
との紹介が集会司会者からあったので、私も今日はデモ・コースを完歩しようと
決めました。
少し予定時間より押していた集会が終わって、用意された二つのデモ・コース
の出発口に隊列が並び始めました。私たちは(集会演壇に向かって左手出口から
出発する)「一般市民グループ」の参加する「Aコース」の隊列に加わることに
しました。出発前にお手洗いを済ませようと考え、演壇左側の上段後方の広場に
設けられていた仮設トイレで用を済ませてから、Aコースの先頭の方を探しまし
た。
Aコースの隊列は、既に前のほうからびっしりと詰まって並んで、後ろの方に
は特定の団体の旗を立てた隊列が続いていました。私たち(妻と弟も一緒に)は
市民グループのいくつかの旗の見えるAコースの先頭集団を見つけ、出発直前だ
ったので遅れまいと急いでその隊列の横まで行き、隊列の横から(出発口に向か
って左側の芝生の囲みを横切って)加わろうと小走りに駆けて行きました。
時間は3時半近くでしたが、まだデモは出発前でした。私の記憶では、前回
(昨年だったと記憶していますが)の明治公園からのデモ出発時には、警察によ
るデモ規制は公園を出たところから始まったように思っていました。今回は会場
(公園)出口の手前から警官が二メートル前後の間隔で並んでいました。
その間隔のある規制警官の列の間を急いで擦り抜けようとしてところ、規制警
官が「ここはダメ」と手を広げてようとしたような感じでした。デモの隊列は目
前でしたので、私はもう少しでデモ隊の列に駆けこめると思いました。目指す隊
列まであと一、二メートルだったので、近寄った警官の間をすり抜けられるだろ
うと安直に考えました。しかし、背の高い若い警官のほうが、六十六歳の「足の
衰えた」年寄りの私より、運動神経も体力も遥かに上でした。後で冷静に考えて
見れば、周囲の状況判断を出来ずに直線的に行動を取ったことになります。
警官の制止を聞かずに、ただ目的に向かって走りぬけようとした「呆け掛かっ
た老人」(私のことですが)を、大男の若い警官が条件反射的に一瞬にして年寄
りの手を捕まえ捻り倒しながら「カクホ!」と叫んだように記憶しております。
その瞬間、それを見ていたデモ隊の数人が私を助け出そうと駆けより私の右手や
身体を引っ張り、一方、警官たちがバラバラッと駆け寄り、逃すまいと私の上に
圧し掛かってきました。重量級の警官たちが何人も圧し掛かってきた訳ですから、
「潰されるて死ぬんじゃないか」という恐怖が過ぎりました。地面に押しつぶさ
れた私の頭の上でデモ隊の何人かと警官たちが私の身柄の奪い合いを、まるで
「綱引き」のように始めたのです。間もなく左手に手錠が掛かり、その手錠は左
手首を締め上げ初め、それが痛いのなんの、「どちらも、引っ張り合うのはもう
止めてくれ」と息絶え絶えのなかで思いました。
手錠が掛かった瞬間に、私は取りあえず警察に行かなければならないだろう、
そうすると少なくとも数日の留置・拘留は覚悟しなければならないだろうと観念
しました。そう諦めて、覚悟した瞬間に、「どうせ捕まったなら一通り警察や留
置場や検察庁とやらをこの目で見てやろう」という好奇心が不思議に湧いて来ま
した。
この逮捕の瞬間に就いて、後に、四谷署での取調べのときと東京地検での検事
取り調べの中で分ったことですが、私を捕まえた若い警官は「被疑者が手を前に
伸ばして突き倒したので公務執行妨害で逮捕した」と報告していたようなのです。
私には「警官を突き飛ばそうという考え」も「突き飛ばしたという記憶」も全く
ありませんでした。「手を前に伸ばして」というのは、二人の警官の間を擦り抜
けてデモ隊のほうに走り寄ろうとした状況から、そういう形になっていたかもし
れない、とは思いましたが、それは警官に手を上げたという意味では全くなかっ
たことは間違いありません。私の脳裏の残像をもとにその瞬間を再現してみれば、
若い警官が制止を聴かずに自分の身体の横にぶつかってきた男に、カッとなって
反射的に、腕を捕まえ捻り倒した、ということだったのです。ただそれだけだっ
たのです。多分、若い警官がもう少し冷静だったら、飛び込んできた「ボケ老人」
を制止して後方に回ってデモに加わるように促せばよかっただっけの話ではなか
ったかと、後の取り調べの時に思いました。また、現場の警察官が冷静さを欠い
ていたのは、初めから警察側に「とにかく抑え込め」という空気(あるいは指示)
があったからではないでしょうか。
そういう状況を客観的に振り返ってみれば、確かに私の迂闊さ(不注意)もあ
ったのですが、「(不必要な場所での)過剰規制」と「(若い警官の感情的)過
剰な逮捕」つまり「逮捕権の乱用」が引き起こした偶発的事件だった、と見るの
が最も妥当な見方なのではないか、と思います。またもう一歩踏み込んで、あの
時のデモ出発前の公園出口手前の規制は「デモへの参加妨害」という警察側の
「越権行為」だったのではないか、と考えることもできるでしょう。しかし、私
はそのことを取り調べの中では敢えて争うことはしませんでした。(但し、もし
起訴になれば、デモ出発前の出口での「不要な過剰警備」は、法廷での「重要な
争点」の一つになるだろうとは考えましたが)
さて、話は逮捕時に戻りますが、一瞬にして起こったその揉み合いの風景の中
で、はっきり憶えていることが一つあります。女性の弁護士さんが「私は弁護士
の何某です」と叫びながらもみ合いの塊に近づいてきてくれたことです。それは
私の中に何やら「希望(望みの綱)」のようなものとして頭の隅に響きました。
後に(釈放後に)、その渦中にいた私の妻や弟から聞いて分かったことですが、
彼女は横浜の岡部法律事務所の岡部玲子弁護士でした。妻の話では、私がもみく
ちゃにされている時、デモの人に向かって岡部先生は「離れなさい!」と言って
くれたそうです。メチャ無茶な押し合いへしあいが止んで、警官にやっと助け起
こされたのは、多分その直後だったのではないかと私の記憶の中で符号しました。
因みに、これも後でわかったことですが、その現場に散乱して残っていた物(サ
ングラスや本や帽子など)を拾って預かってくれたのも岡部弁護士でした。釈放
後、その回収物の中に、鞄に入れておいた私の二冊の本もあったことを問い合わ
せて下さり、送付して下さったのも岡部弁護士でした。
また、これも釈放後に知ったことですが、この混乱の中で傍にいた妻(六十八
歳)が、取り押さえに掛かっていた警官たちに「この人は体調が悪いので止めて
下さい」と必死で叫んで助けを求めていたら、その周りにいた警官(特定はでき
ないが)にキツイ肘鉄を胸部に食らったそうです。まだその打たれたところは痛
むようです。とにかく年寄りにも見境なく暴力をふるったようです。――「人間
に配慮を欠いた」社会と政治を見事に反映しているように思えてなりません。
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┗■3.新聞・雑誌から
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◆福島第1原発 どうにもならないダダ漏れ汚染水
海洋放出は時間の問題
福島第1原発事故の対応をこのまま東京電力に任せて大丈夫か。“切り札”と
されてきた地下貯水槽による汚染水保管のシステムが破綻したのだ。
5日に2号貯水槽、7日には3号貯水槽からの汚染水漏れが発覚。回避策として2号
の汚染水を1号貯水槽に移送したところ,今度は昨日(9日)、この1号からも汚染
水漏れが見つかったのだ。1立方センチ当たり1万ベクレルの放射性物質を含む水
が検出された。
これを受け、東電は消火用の淡水タンクなど他用途のタンクに汚染水を移すこ
とを検討中。
(中略) 残りの貯水槽でいつ水漏れが起きてもおかしくない。
田中龍作氏はこう言う「もう泥舟状態です.そもそも貯水槽は,敷地に穴を掘
ってビニールを三重にかぶせているだけの構造。(中略)貯水タンクシステムは破
綻し,タンクもほとんど空きがない。それでも1日400トンの汚染水が増えていく。
汚染水の持って行き場がなくなり、海へ捨てることになるのは時間の問題です」
○海外からの猛反発必死
汚染水の海洋放出については,2011年の原発事故直後に海外から猛批判を浴び
た。地元の漁協だって簡単には許さない。大問題となるだろう。
(中略)もはや政府が積極的に対応に当たるしかない状況だが,腰が引けている。
「(中略)打つ手がないので思考停止。安倍政権も東電に任せて関わりたくないと
思っているのでしょう」(野党議員)
政府はいつまで責任逃れするのか。
(4月11日東京新聞より抜粋)
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┗■4.テント日誌 4月11日(木)経産省前テントひろば579日目
│ 4月10日「脱原発テントと命を守る裁判」についての記者会見を開催し
ました
└────(Toku-san)
4月10日(水)13時-、3月29日に国が東京地方裁判所に提訴した「経産省前テ
ントひろば」に対する「明け渡し請求訴訟」に関して、テントひろばとしての見
解と今後の対応を明らかにするための記者会見を開催いたしました。
当日の会見には、テント側から淵上さん、正清さん、江田さん、その他に大口
弁護士、福島の被災者である亀谷さん、椎名さん、福島出身の講談師神田香織さ
んが出席され、TBS、NHK、朝日新聞、読売新聞、東京新聞、新聞赤旗、共
同通信などの大手メディアの他に、市民メディアのOurPlanetTV、I
WJ、UPLAN、レイバーネット、フリーランスの田中龍作さんなどが取材してく
れました。
冒頭には、司会者から「福一の事故は終息していません。被災者は救済されて
いません。除染作業も廃炉作業も上手くいっていません。汚染水計画は破綻して
います。放射能汚染水の水漏れが起こっています。トイレなきマンションが爆発
して2年経って、水漏れです。これは、見過ごせません。水に流せません。酷い
もんです。配電盤故障で冷却装置が作動せずという事を2回も繰り返しました。
福一はどうなっているか私達はとても心配です。福島原発事故の責任はおまけに
誰もとっていません。こんな状態です。脱原発は国民多数の願いです。にも関わ
らず、安部政権は再稼働をもくろみ、原発輸出を促進しようとしています。原子
力規制委員会は、規制基準を甘くし、地震、IC破断等、福一事故検証も不十分
なまま、バックフィット、5年猶予、大飯原発特別扱い等、事業者の顔色をうか
がって、再稼働促進をもくろんでいます。私達はこういう事を許せません。1年
半前に私達はここの経産省前テントを建てました。そして、先々週記者会見しま
したが、3月14日に仮処分の通知を受け、3月29日付で国が脱原発テントを提訴し
ました。これらに対して、私達の見解をこれから述べます。」と、原発の現状に
対する認識と会見の主旨が述べられ、その後、出席者からの発言、質疑応答を含
め約1時間に渡って会見が行われました。
会見中は、テントに来て下さった皆さんが、「とつきとおか未来を孕む女達」
の期間中にテントにいらした方から寄せられた寄せ書きと「原発よりも命が大事!
」「国と東電は福島と向き合え!」「子供被災者支援法の確立を!」と書かれた
メッセージボードを出席者の後で掲げ、テントの存続の意義を訴えました。
当日の記事・映像は、以下でご確認下さい。
・UPLAN
20130410 UPLAN 「脱原発テントと命を守る裁判」についての記者会見
http://www.youtube.com/watch?v=8l6ZhCXwQyA
・IWJ
2013/04/10 経産省前テントひろばに迫ったスラップ訴訟 土地明渡しをめぐり裁
判へ ―「脱原発テントと命を守るための裁判」についての記者会見
http://iwj.co.jp/wj/open/archives/73385
・田中龍作ジャーナル
【Occupy 経産省】テント側が国を提訴 「原発政策にもの申す」
http://tanakaryusaku.jp/2013/04/0006969
・レイバーネット
みんなの脱原発テントを守りぬく!~テント前で記者会見
http://www.labornetjp.org/news/2013/0410shasin?utm_source=twitterfeed&
utm_medium=twitter
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【編集部より】
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