テント日誌4月17日経産省前テントひろば584日目…これが春だという陽気はなかなか訪れないものですね
- 2013年 4月 18日
- 交流の広場
- 経産省前テントひろば
昼の食事に出掛けた人たちのネクタイが時折強い風で捲れている。もうネクタイとは無縁になった日々であるが、あんな風にネクタイがなる記憶は思い出せない。一時の強風ではなくなってはいるが、それでも風の強い日が多い。春先は天候が不順であると言うが、春らしい陽気の日は少ないのではないだろうか。テント前では訪問客の人たちとテントの泊まり番のメンバーとの交流コンサートのようなものが開かれていて、道行く人も目を向けている。バスの人たちは手を振る。即興で出来上がるひろばの風景はいいものだ。いつも官僚的な対応しかできない、経産省の面々も広くゆったりとこういう光景を見て欲しいものだ。
「天災は忘れた頃にくる」というのは寺田寅彦の伝説的な警句であるが、でも、「天災も忘れさせてくれない」というように世の中は変わってきているのではないか。地震の活性期に我が列島は入ったと言われるのだから当然のことかもしれない。地震は相変わらず多い。地震などの災害に対応できるのは行政などの機関ではなく地域住民に動きであり、そこで役だつのは経験である。18年前の阪神神戸大震災にしても、今回の東日本大震災でも重要だったのは地域住民の活動であり、行政はそれに寄り添いながら動くしか手はなかったはずだ。こういう場合に役立つのは経験であり、行政や政府機関、あるいはメディアは正確な情報を流すべきだ。それを人々が災害を経験として残して行くためにやるべきことだ。だが、行政や政府機関、あるいはメディアはそうではなく、上から視線とともに隠蔽するという体質が色濃くあるように思える。特に原発事故についてはそういえる。不透明でイライラさせられるのは誰もが経験していることなのだ。何をしているのだ、と舌打ちしたくなることも多い。
18年前の阪神神戸大震災を想起させる淡路島の地震でもそうだった。この地震が注目されたもう一つの要因は四国を縦断する活断層、そして伊方原発との関連である。これは東日本大震災と原発震災を経て初めて関心にのぼって来ていることだが、一部のメディアを除けばほとんど報じてはいなかった。福島第一原発事故では想定外の津波にやられたということが強調され、地震との関連が隠蔽されてきたが、今回は原発事故を想定外として疎外(除外)しているようだ。原発事故の収束宣言をはじめこうした傾向は今にはじまったことではないにしても。この背後に政府や経産省、あるいは原子力ムラの原発再稼働の目論みがある。一見すると関係なく思える経産省の「土地明け渡し請求訴訟」もこれに連なっている。想像力を働かせれば見えてくることなのだ。
テントの泊りはいつの間にか70代と60代、それに30代と20代のメンバーになっている。他の曜日のことはしらないが、僕の当番のときはそうなのだが、昨日はどういうきっかけか定かでないが、中国の古い話が話題になった。三国志を前後する時代のことである。我が列島ではあの卑弥呼の邪馬台国のころである。日本の古代と関連してこういう議論が起きるのは、昨今の中国が、あるいは中国関係が分からなく感じていることがあるのだろうと思う。中国のことや日本の今後のことを知りたいと言う欲求があり、これは排外主義的(?)な言辞をまきちらし人にもあり、本当なら共通の議論の土壌に成りえることでもあるはずだと思う。私どもは広くて深い射程を持ってこのことを考えたいのだ。テントの中でこんな風にある議論は楽しいものだがこれは今では貴重なことに思える。テントには様々の関わりがあるが、泊りの可能な人は是非とも加わって欲しい。それこそ想定外の楽しさもある。 (M/O)
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