現状分析から見えてくること(一)
- 2013年 4月 22日
- 評論・紹介・意見
- 三上 治
1) アベノミクスはどういう幻想か
安倍政権の登場とともに内外での強い警戒があった。これは一言でいえば、保守と右翼の境の曖昧な政権がでてきたことであり、大きくはリベラルな部分が退潮している政治状況への危機感である。民主党の政権からの退場がリベラルな部分の政治的退潮に重なって見られていることでもある。この安倍政権は登場するや、否や憲法改正などの政治的動きは後景に隠して、経済政策を前面化することで、この空気を和らげようとしてきた。実際のところは憲法改正については第96条{憲法改正の手続き}に絞り、それを準備しているし、集団自衛権行使の法的整備などを進めている(註1)。それに最近は段々と調子に乗って地金が露呈しだしている。
(註1) 憲法第96条は参院選挙の争点として浮上してきている。これは今後もっと全面化してくると推察できる。ただ、経済政策を前面に打ち出してきたことが予想外だったために、最も無定見なメディアの一部が後押ししたこともあって人々を惑わしているというところである。
このアベノミクスと言われる政策は基本的には2008年のリーマン・ショックといわれた世界経済の世界恐慌的事態に対する対応策の線にあるものであり、「みんなで渡れば怖くない」式の経済政策である。要するに、国家《高度資本主義の地域の国家》が貨幣を増刷して、景気回復を図るということである。アメリカもEUも金融危機に対して国家《中央銀行》が乗り出して救済し、危機からの脱出を図ろうとしている。その世界的な動きに安倍政権が追随しているのである。アベノミクスは1)金融緩和、2》財政政策、3)経済成長戦略という三つの政策を重ねているが、1)と2)はこれまで国家的な有効需要の創出として展開されてきた政策である。これで景気が回復し、3)に結び付くというのがこれまでのイメージであり、それを総合して政治的に打ち出したものがアベノミクスである。1)と2)は経済過程にたいして国家が介入に緩慢なインフレを喚起することで、景気循環における不況期を脱し、経済の成長になって行くというのが、これまでのビジョンであった。これの中心はいうまでもなくアメリカ経済であり、幾分かはEUが担った。それはドルやユーロと言われる基軸通貨が存在したからである。(註2)
(註2)この間に円は準基軸通貨といわれてきたが、その通貨としての信用をドルやユーロのように国家的な信用ではなく、経済力にあったことは特異であり、日米関係の中でドルの補完的な意味での準と言う意味と二通りの意味があったことを確認して置く必要がある。日本はかつてのような経済的信用が失われて行く過程にあるのだから円の信用は落ちれば暴落状態になりやすい。ドルやユーロという基軸通貨の不安が円高を呼び込んでいたが、日本も世界の動向に歩調をあわせることで、円安への修正をしたのだが、根本的には世界的な金融緩和や財政政策が緩慢のインフレではなく、リーマン・ショックの再現に至り、より深刻化した世界恐慌的な事態を招くことは避けられない。ここでは日本では国債の暴落につながる事態が懸念されているが、円が基軸通貨ではないという問題が大きく作用するように思われる。
結局のところ、1)や2)は、経済成長戦略に結びつかないという問題が世界経済、とりわけ高度化した資本主義国ではあるがそれがあらわれる。アメリカ経済はかつて世界経済の中心にふさわしい生産力、つまりは経済的力を有していたが、その世界経済での地位は低下している。アメリカの衰退と呼ばれるものだが、この根本には経済成長から停滞に入っているのである。アメリカの停滞はイノベーションの停滞ともいわれるが、これは基軸通貨ドルの衰退《ドル安》として歴史的には現象している。アメリカ経済もかつては高度化という高成長経済にあったが、その展望をなくしているが、依然としてこれを前提として、1)や2)の政策をとり、実際のところは国内的な財政危機を結果させているだけなのである。
アベノミクスの将来ははっきりしていて、その構想にある経済成長戦略に結びつかず、国債暴落も含めた財政危機を招くことになると思われる。早い話が
金融緩和政策は日本の突出した財政赤字の削減要求として世界から懸念が出され、1)の金融緩和政策ト2》の財政政策の矛盾が出てきている。財政規律の要求は財政出動へのブレーキだからである。アメリカが遭遇している問題でもあるが、三本の矢といっても1)と2)ですでに矛盾が顕在化しはじめているのである。世界経済の中で高度成長を経て高度資本主義に至った地域では高度成長から成熟経済への道が不可避になる。アベノミクスでいう金融緩和も財政政策も必要はないのであり、このような財政危機《国債の残高の加速的膨化》を招き、国民生活をインフレ《物価高》で直撃するだけである。資本主義が経済成長を経て高度化した地域ではもう高度成長をというのはできなくて、持続可能な成熟経済の展開が求められている。ここが現在の経済的難所ではあるが、それは現在の世界史な課題である。アメリカは金融経済と軍事経済でこれに対応してきたが、それは経済的な衰退を免れるものではない。アメリカ、EU,日本も金融緩和や財政政策で一時的な景気保持と国家的借金の増大と言う矛盾を繰り返し深めながら、高度成長以降の歴史的段階に対する道を切り開いてはいない。アベノミクスもこの矛盾にあるのだ。生活の再生産を軸にして生産と消費の構造転換を持続可能な成熟経済として切り開いて行くこと、それを東日本大震災の復興を軸に展望して行くことが求められる。要するに「もう一つの世界」を
成熟経済段階での持続可能経済として構想していく、そこに転換して行くことにほかならない。次に論じる原発問題の解決などはそのいい例であり、具体的に展望できることだ。原発エネルギーの転換を経済構造の転換として実現して行く道が求められているのだ。
2) 東日本大震災と原発震災
2011年の3月に東日本大震災と原発震災が発生した。この時はまだ政権交代した民主党政権の時代であったが、その対応において政治的無能ぶりをさらけだし、安倍政権登場の露払いのような役割を演じた。だが、明瞭なことは安倍政権もまた、東日本大震災の復興や原発震災の解決ということをやれていないし、そのビジョウや構想を持ってはいないということだ。先のところで述べたアベノミクスはこれらと関係のないところで立てられている政策である。この中で特に原発震災に絞って問題を指摘したい。これは現在も進行中の事件であるといえるからだ。
原発震災は自然災害を超えた社会的災害であり、その意味では文明史的問題である。1)原発事故は原発の存在の非倫理性を明確にした(原発は人間の存在と相入れない)。2)原発が手をつけてはいけないエネルギーであるというのはよく語られることだが、これは人間と自然の代謝関係(循環関係)を破壊するからである。3)核解放は人間の科学的営みであるから、後戻りできないという意見もあるが、共同管理のもとにそれを制限し撤退することはあり得る。科学技術は無前提に展開して行く時代ではない。4)核エネルギーの産業化が問題なのであり、産業化の制限や撤退ということを考えなければならない。5)核エネルギーの産業化は安全神話に支えられてきたが、経済の高度成長と結び付き、そのエネルギーであった。この高度成長経済の転換と核エネルギーの転換は対応している。6)原発を推進してきた権力の構造が問題である。閉じられた官僚的権力《原子力行政》、経産省と原子力ムラ。7) なぜに、政府は再稼働にこだわるか。既得権益の現在の構造。独占体の問題。8)原発保存と核兵器の関係。
1)~8)と箇条書風に書いたが、原発問題の根本はそれが人間と自然の代謝関係の破壊である。この問題は人間と自然の歴史的関係を象徴しているが、人間が科学によって自然を克服していくという考えの限界をどうするか、という問題である。これまで人間にとって倫理が問題になるのは人間の心的存在(精神的存在)を対象にしたときであったが、科学と言う形態での対象的活動が問題になっている。科学と技術の領域である。科学や技術は不可逆的に進むとみられてきたが、これは考え直される段階にある。これは文明史的問題であり、各エネルギーの産業化は高度成長経済という段階の問題である。権力の問題は民主主義の問題である。大きくはこの三つのことを問うことが上でいう社会的災害であるということだ。これが原発問題の突き出している現在の問題である。
原発は廃止されなければならない。廃炉を含めその廃止にこそ着手しなければならない。福島第一原発事故の解決と地域住民に対する賠償、子供たちに対する健康上の対策は緊急事だが、それを含めてである。原発というエネルギーからの転換は地産地消型のエネルギーへの転換に結び付かなければならないし、それは成熟経済の段階に対応したものになる。原発推進は原子力ムラなどの官僚主導で進められてきたが、この閉じられた権力構造を変えていかなければならない。現在も福島第一原発の事故は収束してはいないし、それは現在も進行形であることは誰もが認識している。だが、安倍政権は原発再稼働→原発保存と言う戦略を取っている。これが問題である。いつ地震に会うかも知れない懸念の中でこうした戦略に固執している。これは電力産業という独占体とそれに連なる産業界と官僚《原子力ムラなど》が既得権益を守るためにとっている道である。このことは東日本震災や原発震災からの復興という作業を遅らせている原因にもなっている。原発再稼働戦略は復興のビジョンを曖昧にし、結局のところ中途半端な政策しか提起できないからだ。東日本大震災からの復興問題はそのうちに原発震災からの復興を含んでいるが故にこれまでも復興とは違う構想を持たなければならない。そこが一番きついところであるが、この復興は高度成長後の社会(持続可能な成熟段階の社会)形成と深く結びついていて、社会の転換と関係している。
脱原発運動は経産省前テントひろばの保持、毎週金曜日官邸前抗議行動などだけでなく、各地域で持久戦的に展開されており夏以降の再稼働を焦点にして進行している。これと福島現地での闘いと重層化してあるが、それぞれ夏を前後して次の段階に入ると思われる。経産省前テントひろばでは「土地明け渡し訴訟」も5月23日から始まり新局面にある。
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座 http://www.chikyuza.net/
〔opinion1258:130422〕
「ちきゅう座」に掲載された記事を転載される場合は、「ちきゅう座」からの転載であること、および著者名を必ず明記して下さい。