パースナリティーの覚書
- 2013年 4月 24日
- 交流の広場
- 山端伸英
ひとつのパースナリティーは固有に形成される。環境や資質、経験などがその形成に影響を及ぼしている。
日常、他のパースナリティーとともに生きることには多様な可能性が秘められている。ひとつの役割を演じるパースナリティーも含めて、私たちにとってパースナリティーへの許容と好奇心が社会性へとつながっている。
パースナリティーが生とつながり、死で断たれるのは、同時に自己のパースナリティーの再生と達成とにかかわりあいながらパースナリティーの世界を広げている。パースナリティーは彼の持つ文具や道具にも、マスコットにも、さらには谷崎潤一郎のように「陰翳」にも特殊性を見出して生きようとする傾向を持つ。
愛するものへの愛着にはこのパースナリティーの一回性が強調される。なぜこのように「あはれ」な一回性の下にひとつのパースナリティーが登場し、愛し合うのか、そこには一種の「配剤」つまり、神の意思を感じうることもあってしかるべきかも知れない。
その神を許すこともパースナリティーの中に入る。しかし、その神があったとしても、その神はこの世に実在しないから神なのである。
パースナリティーの生業は、他者の目とともに存在しやすいが、たった一人の一人暮らしの老人にさえ、しばしば愛すべきパースナリティーが存在している。
平和の理論が礎石としているものは人々のパースナリティーから暴力を排除していくこと、むしろ、他者にパースナリティーを開くこと、そして、すべてのパースナリティーに存在の権利を与えることだろう。
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