死刑廃止論へのプレリュード (3)
- 2013年 6月 6日
- 交流の広場
- 山端伸英
16.ここで検討している廃止の対象であるべき「死刑」は「国家の死刑」であり、基本的には近代法制をもち立憲政体を整えている国家の「死刑」である。要するに「私刑としての死刑」や「事件としての殺人」を廃止する意図はもっていない。それらは社会の営みの中で生じてくる可能性を常にはらんでいる「犯罪」であり「刑法の対象」である。「禁止」を行なっても生じてくるものであり、「廃止」を主張する意義は乏しい。
17.この場合、「国家及び司法の正統性」はもちろん憲法に明示されていなくてはならないし、各「死刑判決」にもそれは言及されていなくてはならない。この条件の下で、死刑廃止を考えることができる。別にその「正統性」は国民すべての承認のもとにある「正統性」である必要はないし、一党独裁政権でもこれらの条件は満たしえる。つまり、その「国家」や「政府」の「正統性」は、立憲体制のもとで、「立国は私である」という福沢諭吉の視線から本質をカムフラージュできる。
18.国家の「死刑」は、したがって「私刑」ではない、というのがタテマエである。他方、国家による「死刑」が絶対神の前で確実に「私刑ではない」という確証はどこにもない。絶対神を念頭に置かない人種には、それは問題とならない。
19.そして、「死刑判決」と「死刑執行」は、「司法」と「行政」に分断されている。法務大臣の政治方針によって「死刑執行頻度」が異なっている。
20.なぜ、安楽死や脳死患者の「死」について「立憲国家」は「死の執行者」を放置したままにしているのだろうか。僕は「脳死」とされた生きている母親を殺した。これは僕からすれば尊属殺の確信犯である。この殺人執行の前に法の介在を求めるのは殺人者の甘えとでも言うのだろうか。
柳田邦男氏の「犠牲」というエッセイでは「脳死」という「死からの再生」を祈る気持ちが殺人能力を決済している。
21.なぜ、僕は母を殺したのに、のうのうと生きているのだろうか。ムルソーほどにも雄弁になれない。しかし、この事実を雄弁に語り始めたら、あなたたちは僕を殺すかもしれない。
22.人間は生まれたときから死を刻印されている。他の生あるすべてのものとともに生の終わりに向かって生きている。僕たちの死への意識は僕たちだけのものなのだろうか。そして、重犯罪者の中には「死刑判決」を待つむきもあるようだ。
23.戦争犯罪者が国際裁判で「死刑」になるのと、国内法の重犯罪によって「死刑」になるのとではコンテクストがまったく違う。しかし、各「犯罪者」にとって「死刑」の帰結は同じである。同じすぎるのではないか?
24.メキシコは死刑を廃止している。もっとも巷間は暴力殺人の殺伐たる修羅場とも言えなくもなく、要領の悪い僕がいまだ生きているのは悪運の技としか言うすべがない。一度は夜道を歩いていてパトカーに引きずり込まれ、ピストルをくわえさせられた。殺せ!とも発音できず、ぶっ叩かれて往来に無一文で捨てられた。何度となくその手の訓練を経たおかげで、今や日本で警官を見ても青年時代どおりの殺意を抱くし、大使館の警察庁派遣領事に「あんたが何を書いているかは十分承知なんだ」と言われた際には、大使館みたいな安全地帯に居る平和ボケ警官の声咳を録音してやった。しかるに、もちろん、死刑がないから治安が悪いと言うわけではない。後進性の横行のゆえに「死刑廃止」と言う先取り政策はメキシコの精神的成長をある程度保証している。たとえばメキシコの「緑の党」という腐敗しきった右寄り政党は、「死刑」の復活を唱えている。しかし、メキシコの現在の「正義や公正」がどんなものかを知っている市民には、これはほとんど脅し以外の何ものでもない。
25.同時に、この緑の党は、重犯罪での犠牲者の家族のことを過大に説きたてる。たとえばテレビ広報で子供を殺された父親が「犯人はのうのうと生きている」とつぶやく場面を「死刑復活」へと結び付けている。これは日本での犠牲者の家族の報道と変わりないと言えば言える。メキシコの刑務所施設は惨憺たるものがあるのだが、日本の刑務所施設はきわめて進歩した機能と設備を持っている。また食事も人間的な尊厳を保てるものだと言う。被害者側の家族と加害者との接触可能な環境を犯罪学者たちは検討する必要がある。憎しみは消え去るまい。加害者に、普通の人間としての苦悶や憎しみ、やりどころのない悲しみといった人間の迷妄を怒号とともに知らしめる必要もある。
26.僕は中学時代、恥辱的な暴力を一部の同学の人間たちに継続的に受けていた。それを目前に見ていても目に入らないかのように動いていたのは仲間だった優等生たちだった。一時期は、暴力を受けることよりも、彼らの事件に対する無視の態度だけを深く考え続けていた。彼らが東大その他の国立大学に入ったとき、一九六九年、僕は彼らに絶交のサインを送らざるを得なかった。官立大学に入る連中は官僚主義者であり、自己保存主義なのである、というのが僕の先入観だったらごめんなさい。正義を公論に吐いて正義の味方面をするのは、それ自体に彼らの行動上の矛盾をはらんでいる。自分と同じ官僚組織に働きかけて彼らと改憲や原発処理について話し合うべきではないか。僕の「優等生」への偏見は、実は僕の「殺意」の根幹を成している。それは「殺意」なのに「私刑」では収まらないほど大きな僕の疑問なのだ。昨日まで仲良く語り合っていた友人が、いま「拷問」にあっている自分を無視して通り過ぎてゆく。
27.そこには雑誌「文芸春秋」の編集部だより的な奇妙なシニシズムの入り込む隙を僕にもたらしているのではないかと何度も僕は立ち止まる。立ち止まることは時間を浪費することでもある。時として僕は日本の左翼が異常な学歴主義に埋もれていることに気がつく。そして、それを皮膚で感じることができるのは敗北の道を歩む社会党を見限った人たちだったのではないだろうか。九〇年代の社会党やその支持者たちの「言語学」を研究していただきたい。左翼が暴力から遠のく身振りをし始めたのは「あらゆる犯罪は革命的だ」とする平岡正明的な情緒を古い物置の片隅にしまい始めたのと同じ時代だろう。しかし、今も僕らは毎日のように日本の「暴力的風土」の露骨な継続を三面記事で追っている。「暴力」は生きているのに、それとともに地べたを這って行く発想は、今どこに潜んでいるのだろうか。そこにあるエネルギーは改憲を待てば「抹殺」されるだろう。
28.殺人狂時代のヴェルドゥ氏は殺人によって家族を養っている市民であった。彼は死刑になってしまうのだが、大量殺戮への批判が戦後のアメリカをも刺激したことはいうまでもない。アメリカとNATOによるユーゴ爆撃とその後の展開を追いながらヴェルドゥ氏の冷静なまなざしを思い出す人は多かっただろう。アメリカとNATOは、またもや国際法廷というショーを主催し、彼らの「敵」を「死刑」にしたが、それを「私刑」だと思わなかった人は少数派なのではないだろうか。
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