安倍「教育再生」の危険な狙い
- 2013年 6月 9日
- 時代をみる
- 自民党の「教育再生」の狙い青木茂雄
1.この国はどこへ向かおうとしているのか
2012年12月16日の総選挙、第二次安倍政権の成立から約半年が経過しようとしている。いまこの国全体をおおっている異様な熱気と異様な無風状態、その行き着く先に待ち受けている光景に、もはや少数派になってしまった“心ある人々”は戦慄を覚えつつある。私もそのひとりである。
「理性の狡智」という言葉がある。かの“真珠湾攻撃”も戦後の民主主義を生み出すための「理性の狡智」であったとすれば、直近のこの国の“政権交代”とは、それを崩壊に導くための、そしてその後の何かのための“狡智”であるのか……。
否、“政権交代”は“狡智”どころか、そのものが戦後の民主主義の崩壊の確実な一里塚であったというのが私の考えである。
政治的な民主主義体制とは多様な部分社会の連合体である。部分社会が各政党によって代表される、政党とはその名の由来のごとくpart(部分)のことである。この国におけるあらゆる「政治改革」によって常に攻撃され、克服の対象とされてきた“五五年体制”とは、このような部分社会が政治的決着の結果として共存することになったひとつの歴史的な形態である。
一九九三年以来、幾度となく呼号され実行に移されてきた「政治改革」とは、政党から「部分」性を剥奪していく過程にほかならない。政党のみならず、この社会のあらゆる中間団体からの「部分」性の剥奪の進行は、高度化する資本制生産と相俟って、社会のいたるところで進行し、その結果砂粒のごとき無数の大衆が生み出された。これが「政治改革」をはじめとするあらゆる「改革」の社会的結果である。
「都市の空気は自由にする」という言葉がある。大都市はしばらく前までは《革新》の拠点であった。しかし現在、東京・大阪・名古屋をはじめとして大都市は、ことごとくが政治的反動の牙城となり果ててしまった。私は、このような現象が大都市において最もドラスティックに進行したのは、《中間組織》の崩壊1が大都市において最も激しく進行したからにほかならないと考えている。その時々の“風”に流される乾いた砂粒のような大衆─これこそまさにファッシズムの温床ではないのか。
2.先行する大阪府市の現状
二〇一三年四月の「教育再生実行会議」の「提言」が、教育委員会の権限を教育長に一元化し、且つ首長の任免権を明確化する方向が打ち出した。いくつかのメディアは“政治による教育支配”として警鐘を鳴らした。しかし、この警鐘がむしろかき消されてしまったのは、これがすでに東京や大阪などの大都市ですでに先行実施されていることの追認であるからだ。
東京での二〇〇三年の10・23通達を嚆矢とする「日の丸・君が代」の強制以降の施策が、政治による教育支配の順を追った進行であったとすれば、橋下維新の会により二〇一一年に大阪府議会に提起された「教育基本条例」は急激であからさまな政治による教育の支配であり、しかもそれは数による「民意」を偽装した疑似デモクラシーを背景にしていたものであった。
「教育基本条例」は、橋下・松井傘下の維新の会が席巻する大阪の府市議会で、それぞれ二〇一二年三月と五月に教育関連三条例2として制定施行されている。この三条例体制を要約するならば、①首長による教育の全面的支配と教育委員会の形骸化、②「免職」を視野に入れた競争と相互監視による教職員の管理統制の貫徹、③学力至上主義による生徒間の競争と差別・選別の強化、④「問題」生徒の隔離と「道徳」の注入、等々である。一言で言うならば、果てしなき競争と力による政治による教育の全面支配である。 安倍「教育再生」の原型はすべてこの大阪の三条例体制の中に存在していると言って良い。二〇〇六年に教育基本法を「改定」し、二〇〇七年に「教員免許更新制」を導入したところで挫折した第一次安倍「教育改革」は、その未完部分をそっくりそのまま橋下徹が引き継いだのである。一旦は死んだ安倍「教育改革」の息を吹き返させた橋下徹は本当に罪深い。大阪市ではその後七月に職員の「政治活動」や組合活動を規制する条例3も制定されており、市庁内は事実上の戒厳令状態が続いている。
大阪府教委は、教職員の「評価・育成システム」を改悪し、保護者生徒を対象とした「授業評価アンケート」の実施を決定し、二〇一三年一月から全公立学校で試行した。府立高校二〇校では、それをもとにした「評価」の試行を行った。これに対しては、生徒や保護者から反対や困惑の声が多数府教委によせられた。しかし、府教委は四月から本格実施を強行している。
市立桜宮高校の「体罰事件」を口実とした入試中止を市教委に圧力をかけて実行させ、これを契機に市立府立高校の再編を前倒しで検討させている。
府市ともに三月の議会で「教育振興基本計画」を改定させているが、どちらも知事・市長・議会の強い圧力を受けて作成されており、教育委員会はほとんど首長の下請け機関と化してしまった感がある。
三月には市職員基本条例がさらに改悪され、一〇年以内に再度懲戒処分を受けた者を分限免職の対象とした。これにより大阪市は、二度の職務命令違反で免職可能となる、司法の判断をもものともしない、全国で最悪の人権無視・労働権無視の自治体となった。これが戒厳令状態でなくて何であろうか。
また、二〇一三年四月からは、府立和泉高校の中原前校長が府の教育長に就任した。卒業式における教職員の口元チェックでその名を知られた、橋下の大学時代からの“友人”である。早くも来年度の卒業式への警戒感が走った。
このような厳しい情勢の中でも、少数ながら抵抗の闘いは継続されている。
卒・入学式における教職員の抵抗の闘いは継続している。二〇一三年の卒業式では、府教委関係で一二名(うち戒告一〇名。減給1カ月二名)、豊中市教委関係で一名 (減給1カ月)、合計一三名が不起立その他で抵抗の意思表示をした。二〇一二年の被処分者八名はすでに人事委員会審理の闘いに立ち上がった。
また、入れ墨調査拒否懲戒処分撤回の裁判闘争も開始された。
3.自民党の「教育再生」の狙いは権力と資本による教育の全面支配
二〇一二年九月に当時の野党第一党自民党の総裁に安倍晉三が返り咲いて真っ先に取り組んだのが第一次内閣の「積み残し」の「教育改革」である。一〇月下旬に安倍直属の「教育再生実行本部」(以下、「実行本部」)を立ち上げ、短期間のうちに二九回の会合を重ね、一一月二一日付けで「中間取りまとめ」を発表し、一二月の総選挙での自民党の政権公約となった。
「実行本部」は本部長を下村博文がつとめ(安倍内閣成立後は下村が文科大臣になったため藤利明本部長)「基本政策」「いじめ問題対策」「教科書検定・採択改革」「大学教育の強化」「教育委員会制度改革」の六つの分科会を設けている。「教育委員会制度改革」分科会の座長の義家弘介が一〇月三一日付けで示した全体見取り図は、地教行法・学校教育法・地方自治法・地方公務員法などの抜本改定の上に立った、首長→教育長以下の指揮命令系統を明確化した上で、「新教育公務員特例法」と「新教育職員免許法」を構想している。
新教育公務員特例法は、①「教育公務員倫理規定」の制定、命令に従う義務・政治的行為の罰則規定など服務の厳正化、②勤務評定及び教員の学習指導要領の適性実施などの適性確認による分限免職、が新たに加えられている。新教育職員免許法は、①「准免許状」による三年間の試験採用ののち「試験」と「適性確認」により「本免許状」が取得できる、②免許状の失効・取り上げ、などを柱としている。
これらの「義家構想」は、分限免職や「教職員人事委員会」など、明らかに大阪の橋下教育「改革」に刺激されて構想されたものである(大阪では「人事監察委員会」)。同構想に基づく法律の改定は、「中間取りまとめ」の中に明記されており、自民党の「教育再生」の主要な柱となっている。分限免職規定や服務の厳正化などは、橋下が大阪の条例で実行していることの追認であり、全国規模で行おうとしているのである。
さて、「中間取りまとめ」で示された主要な内容を以下にあげると、
①「基本政策」では、①6・3・3・4制の抜本的見直し、②高校での達成度試験の実施、③教師インターンシップ制度の導入。
②「いじめ問題対策」では、「いじめ対策基本法防止法」の制定。
③「教科書検定・採択改革」では、①「教科書検定基準」の改定、「近隣諸国条項」の見直し、②教科書採択制度の見直し。
④「大学教育の強化」では、①大学設置基準の見直し、②トエフル活用による高校達成度テストの実施、③九月入学と自衛隊・消防団等を活用した体験活動の必修化。
⑤「教育委員会制度改革」では、①地教行法改定により教育長に権限を一元化、②学校教育法改定により主幹教諭の必置化、教育職員の職階制の明確化、③教育公務員特例法改定により、政治的行為の罰則規定・職務規律の厳格化・勤務評定の強化、④教員免許法の改定により、「准免許状」の新設。
特徴を要約するならば、第一に、教員・生徒・保護者のすべてに競争原理を貫徹させ、教育を市場と資本に全面提供する、格差拡大の新自由主義強化の方向、第二に、教員の管理統制を軸として国家意思を教育の場で末端にまで浸透させるという国家主義教育強化の方向、この両者が柱であり、ところどころ予算その他での優遇をにおわせるあたりは、過去の政権党の名残か。また、この「中間取りまとめ」では直接に言及していないが、“道州制”や地方自治制度改革を契機とした教育の大規模なリストラ・民営化も視野に入っているのは間違いない。「分限免職」はそのために最大限に活用されるであろう。
4.安倍「教育再生」の危険な狙い
二〇一三年一月安倍内閣は、首相の直属機関として「教育再生実行会議」(以下、「実行会議」)を発足させた。座長は鎌田薫(早稲田大学総長)・副座長は佃和夫(三菱重工業会長)で総勢15人、この中には八木秀次・曽野綾子など明らかな右派やつくる会系が4人以上を占めている。当然、政権多数党が先に提出した「中間取りまとめ」がたたき台となっているのは間違いない。
「実行会議」は手始めに、いじめ・体罰問題への対応について二回の審議を行い、二月二六日に「いじめ問題等への対応について(第一次提言)」を安倍首相に提出した。この中で、いじめが生じる社会的背景については一切顧慮することなく、単に道徳意識と規範意識の低下が原因であるとした上で、①「道徳」の教科化、②法律の制定、その他を提言している。大津市で起こったいじめによる自殺事件や大阪の体罰事件を奇貨として自民党政権の長年の懸案であった“修身教育”の復活を一気に進めようとしている。「道徳」が教科になれば、評価の問題はさておいても検定教科書の使用が「義務」づけられ、しかも「実施」とその「成果」について学習指導要領の縛りをかけられる。国家イデオロギー注入のまたとない機会が得られたわけである。4また、「法律」とは自民党がすでに作成した法案のように、警察との連携や加害者の早期発見と隔離が含まれるようになるであろう。
そもそも、「いじめ」は社会的背景抜きには考えられないものであり、異論を白眼視する日本の精神的風土と昨今の弱肉強食の新自由主義的競争の跋扈が原因であり、社会的原因の除去がめざされるべきであるし、もし「道徳」を言うのなら、社会的連帯によるモラルの回復以外にはあり得ない。競争と命令しか眼中にない彼らがそのようなことを考えるはずもない。
教科「道徳」は戦前の修身教育がそうであったように、とくに低学年においては諸教科の中心となり、儀式における「日の丸・君が代」とももに国家イデオロギー注入の中軸となるであろう。
「実行会議」は次いで、教育委員会制度の検討に移り、三回の「審議」で(一回の審議時間は一時間程度でほとんど審議の体をなしていないという)四月一五日に「教育委員会制度の在り方について(第二次提言)」を提出した。それによると、新聞報道されたように、教育行政の最高責任者を「教育長」として、首長がその任免権を全面的に持つというものである。現行の地教行法では、教育委員会が教育長を選任することになっている。ただし、全国の自治体の中では(とくに東京)は事実上首長が教育長を選任しており、教育委員会の選任は形式的な追認になっているという事例が多い。それ自体が教育委員会制度の変則的な運営であり形骸化であるが、「提言」は変則的な運営を合法化するものである。これにより、かろうじて制度上保持されていた戦後の教育行政の制度上の要であった教育委員会制度は、教育委員会の形は残るにせよ事実上消滅することになる。地教行法23条の教育委員会の職務権限がどうなるのか、その領域にまで教育長の権限が及ぶようになるのかはまだ不明だが、これにより、首長が教育の制度的・財政的領域を踏み越えて、カリキュラムや教科書の選定など教育の内容や教職員の人事任用に直接的に介入するようになるおそれが一段がと強まったのは間違いない。大阪府市ではこれが現行法制のもとで堂々と先行実施されている。
「実行会議」の二度の「提言」はまだほんの入り口であり、今後回数を重ねて次々に「提言」行い、中央教育審議会の審議を経て、来年度の通常国会に法案提出の見通しである。先に見た自民党の「実行本部」の「中間取りまとめ」(「中間」であるのだから「最終」があるはずで、どのようなものが付加されるのかさらに予断を許さない)の内容はほぼ「審議」の対象となるのは間違いない。「提言」が出揃った段階で、安倍「教育再生」の危険な内容が明らかになるに違いない。しかし、その時ではいささか遅い。
私たちは事態の本質を見抜き、二〇〇六年の教育基本法改悪に倍する広範な運動を今から作り出していかなければならない。憲法改悪反対のとともに「安倍教育再生」に反対する広範な運動が必須である。今こそが正念場だ。
(注)
1.私は教職員組合という《中間組織》が崩壊していく様を身近に経験している。組合の崩壊は同時に《職場》の崩壊であり、したがって《職》の崩壊でもあった。これはおそらくすべての労働組合に共通することであろう。組合という中間団体に組織された労働は、具体的であり、決してマルクスの言うような「抽象的人間労働」ではないのである。何とでも交換可能な「抽象的人間労働」は、組合が崩壊したあるいは組合に組織されていない企業においてこそ貫徹するものであり、労働の最も堕落した非人間的な形態である。「抽象的人間労働」の貫徹した先に労働者の全面的解放を夢見るマルクスの途方もないユートピアは、むしろ神学に近いとすら言えるであろう。
《中間組織》と民主主義との関係を原理的に追求することが現在の私の関心でありテーマである。注目しているのが、ハンナ・アーレント、トクヴィル、デュルケーム、そしてヘーゲルの『法の哲学』であり、プルードンの連合主義である。私のこれまでの人生において比較的縁の遠かったこれらの思想家たちの達成を通望することは、私に残された時間を考えると、専門的な研究者でもない私にはいささか荷の重さを感じるが、原理的な仕事というのは誰かがどこかでやらねばならず、それには年齢も社会的地位も関係ないと思う。私が常日頃感じていることであるが、社会は頭から腐っていくのである。社会の立て直しは頭の立て直しから始まらなければならない。
労働組合は《中間組織》としてその団結の意味とともに再度提起されねばならないし、そのような歴史的条件はむしろ熟していると考えている。
2.大阪府の三条例(教育行政基本条例・府立学校条例・職員基本条例)大阪市の三条例(教育行政基本条例・市立学校活性化条例・職員基本条例)である。ただし市立学校活性化条例は成立が七月。本誌一七一号(二〇一二年七月号)所収の拙文「大阪府の三条例の危険な内容」を参照されたい。
3.「大阪市の職員の政治的行為の制限に関する条例」「大阪市の労使関係に関する条例」である。本誌一七四号(二〇一二年一〇月号)所収の拙文「ハシズムは労働運動潰しを狙っている」を参照されたい。同様の条例は現在大阪府議会でも継続審議中である。
4.「教科道徳」は東京都ではすでに先行実施されてようとしている。二〇〇七年から実施された教科「奉仕」は事実上の「道徳」として構想されたものであった。二〇一二年から実施されている「宿泊防災訓練」は「道徳」教育の一環として位置付けられている。二〇一三年度から教科「奉仕」の名称が教科「道徳・奉仕」と変更され、体験活動に加えて一〇時間の「道徳」の授業が都教委作成の教材を使用して行われようとしている。国レベルを都が先取りしているのである。
【参考文献】「どうする安倍政権の『教育再生』」子どもと教科書ネット21編著
「教科書の国定化か 安倍流『教育再生』を問う」
子どもと教科書ネット21編著
(『科学的社会主義』2013年6月号に掲載、 本人の承諾により転載)
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〔eye2282:130609〕
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