核の物神崇拝的性格と核先制攻撃論
- 2013年 6月 12日
- スタディルーム
- 核先制攻撃論核兵器細田二郎
○物神性論とは何か
経済学の巨匠マルクスは大著『資本論』において商品経済(概念的には市場経済に近い)ないしその構成要素としての商品、貨幣、資本の物神崇拝的性格について論究している。最も判り易い貨幣の物神性についていうならば、人間は自ら貨幣を創出しながら、貨幣によって支配されるようになる、というのである。それ故マルクスは、思想的には資本主義商品経済よりは、別のシステムとしての社会主義の方が好ましいとみていたといえると思う。ところで私は、現代に生きる人間にとっては、物神崇拝的性格という場合、最もふさわしい事例は核(ここでは他の大量破壊兵器を含む)こそがこれに当るといえるのではないかと思う。核、とくに核兵器は人間によって創出されたものでありながら、もっとも人間に対して脅威を与え、人間を支配するものだからである。それ故現代に生きる人間は、大多数がその廃絶を願っているのではあるまいか。
○ヒロシマ・ナガサキの惨劇
核兵器の廃絶を私達日本人が強く願うのは、いうまでもなく、68年前の第2次世界大戦の終戦時にヒロシマ、ナガサキに原爆が投下されるという大惨事を経験し、短期間に25万人以上の人々が亡くなり、その惨劇の日から長期にわたって原爆被災者は人生におけるさまざまな苦難を強いられ―例えば就職や結婚などにおいても制約を課され―全く運命を変えられる程の悲惨な目に遭われたことを知っているためである。まさに核兵器の残虐性、悲惨性、非人間性は、これをいかに強調しても強調しすぎることはないと思われる程である。1945年8月の終戦時から1年9ヵ月をも経ずして絶対平和主義の見地にたつ平和憲法が発布され、戦争放棄の条項が定められたが、あの時私達日本人の大部分の人は、原爆のような大量殺戮の兵器が現われたからには、今後原爆が使用されれば人類は破滅するかもしれぬといった予感をもったがためにこの平和憲法を歓迎したのである。なお後述の議論のために、私がここに書いておきたいことは、原爆投下によって、日米間の科学技術上の圧倒的相違をみせつけられた私は、当時中学3年生であったが、到底米国に対する原爆による報復などは一般の日本人には考え及ばぬことだったという問題である。
○今年春の北朝鮮の姿勢
今年春における北朝鮮による米国、韓国、日本に対するミサイル攻撃を行うという軍事的圧力のかけ方は異常ともいえる程のものであった。もっともこの圧力は3月からはじまった米韓軍事演習に反応して対決姿勢を示したものであるといわれている。同じ頃の早春の時期に、北朝鮮による核実験が成功したとするテレビ画像をみたことがあるが、北の大衆の一人がこの成功によって北朝鮮はどこの国からも攻撃を受けることはなくなったと喜んでいるのをみて失望した記憶がある。核爆弾というものが、どれ程恐ろしいものであり、どれ程非人道的なものであり悲惨なものであるかの情報を北の大衆は知らされていないと思ったからである。4月に入ると、北の金正恩政権は米国、韓国に対してはミサイル攻撃によってワシントンや京城を火の海にしてやると脅かしをかけるようになり、日本に対してすらも本州、沖縄の米軍基地はもとより、東京をはじめとする都市に対してもミサイル攻撃の対象から外れるものではないと公言するようになった。そのさい北朝鮮では核爆弾の小型化に成功しているとしてミサイルの弾頭に小型核爆弾を搭載可能であるかの如き口吻も示したが、日本のマス・メディアですらこれを判然と示せなかったように思われる。それ故に日本の大衆は、安倍首相による説明、すなわちもし北朝鮮が日本本土の方向へむけてミサイルを発射すれば、まず日本海に航行させるイージス艦でうち落せるし、もしこれに失敗した場合はP3Cの武器で大部分うち落せるとする説明を信じて耐え忍ぶ以外になかったのである。
5月半ばになって、飯島勲内閣官房参与が拉致問題についての北朝鮮当局との会談のためかの地を訪問したさいに歓迎を受けたとの情報が入り―もっともこの訪問に対して米国と韓国は不満であったと報道されているが、その点には触れない―ようやく北のミサイル攻撃は単なるおどし、単なる脅かしに過ぎなかったと安堵した日本人も多かったのではないか。私もその一人ではある。この度の北朝鮮のミサイル攻撃の脅かしとこれに対する超大国米国の対応は重大な教訓を残したと思う。
○北朝鮮の脅かしの教訓
第1に指摘されるべきことは、北朝鮮は小型核を搭載したミサイルを米国・韓国ばかりではなく、日本の都市に向けてすら発射すると公言していたが、そのさい核保有に執着する北朝鮮(まだ国際的に核保有国と認定されていない)は、日本を非核保有国と認めていないことである。この点に私はショックを受けたのである。日本は、表面上は、核をもたず、作らず、持ちこませずの非核3原則の立場にたっているとはいえ、米国との間では日米安保条約を結んでいるため米軍に軍事基地を提供し、核の傘で守られているという立場にある。それ故に外国からみれば日本本土の軍事基地には核があるとみなされ、日本は核保有国とみなされてしまうのであろう。この点は非常に残念に思う。なぜなら日本の平和主義を重視する大衆は「ヒロシマ」の理念にたち、外国への核攻撃などは決してしないとの立場から、日本は核爆弾をいつでも作りうる技術と能力はあるがあえて崇高な理念からこれを作らないのだと思っている人も大勢いるだろうからである。その崇高な理念を外国とくに北朝鮮には理解してもらえないのであろうか。この点では日本自身が、その理念をインターネット等を通じて情報として諸外国に熱心に伝えていかねばならない。日本政府の核抑止政策への積極的姿勢が本当に重要なのであるが、核廃絶に向かう政府の取り組みは、全く消極的で歯がゆさを感じさせられる。
次に指摘したいことは、あれ程米韓合同の軍事演習に対して怒りをぶちまけていた北朝鮮が米、韓に対するミサイル発射をとりやめ、また米国も北朝鮮に対する核搭載の大陸間弾道弾の発射を行わなかったのであろうかというその理由である。それは第1には冷静に考えれば両国にとって得るものは少なく失うものの方が大であることではないか。私は、歴史的には米国対ソ連間の冷戦体制の終結後、米国はイラン、イラク、北朝鮮を悪の枢軸と呼ぶようになり、米国大統領ブッシュが3国に対して核の先制攻撃をも検討するようになり、これによって上記2国のみでなく北朝鮮も米国に対して大変な脅威、圧力を感じてきた歴史を知っている。今日の核兵器の威力はヒロシマ型原爆の比ではない。1発の核爆弾の投下で100万人から数100万人の人間が死ぬことも起こりうる。ヒロシマの原爆投下は、米国にとって第2次世界大戦を終熄に導くという大義名分があった。だが今日のような世界情勢のもとで、核爆弾を先に投下し核戦争を導いた国は、必ずや国際的非難をあびるだろう。核廃絶を主張してノーベル平和賞を受賞したオバマ大統領が大陸間弾道弾を発射するのに慎重な姿勢を示すのも当然といえるだろう。第2にいえることは核爆弾が技術的に簡単にできることが判ってきた今日の段階では、核を先に使用して攻撃した国は必ず核による報復攻撃をうけるということである。その報復攻撃は1週間後に行われるのか、1年後かあるいは10年後かは分からないがその間隙の期間はさして問題ではない。要するに自ら自殺する覚悟がなければ、核攻撃は行えなくなるだろうということである。今日の米国のような超大国の大衆でも核の先制攻撃には反対と思っている人が過半数に上っているということも、このことと無関係ではないだろう。
○報復攻撃は怨念に基づく
核攻撃を核保有国から突如受けた国は、殆どの人間が死んでしまうので報復できなくなるのではという疑問が提起されるかもしれない。だが私はそうは考えない。人類を破滅させる程の威力のある核爆弾であろうと、都市に落とされた場合高層ビルが倒壊し瓦礫の山が築かれようとその隙間で生き残る人もいるし地下鉄にのっている人や地下街を歩いている大勢の人が助かることもありうるだろう。また地方の田園地帯や森林地帯に住居を構えている大勢の人達が難を逃れることもありうる。それらの人達の中には科学者、技術者、政治家、軍人、公務員が含まれていることにより、核攻撃を行った国に対して報復しようとする意志の力が沸き起こることは必ず生じうる。それは生き残った人々の間に怨念が生ずるためである。そして相手国の人々にこうした怨念が生ずることが予想されるからこそ、核攻撃を意図する国の指導者はこれに慎重にならざるをえないのであろう。
○安倍政権による憲法改正問題
現在、安倍自民党総裁は、7月の参院選挙のさいにも基本方向として提示せんとして憲法96条改正を目論んでいる。いうまでもなくそれは、憲法9条を改正し、自衛隊のかわりに国防軍を創設し軍事力を強化し、日本も戦争ができる普通の国にしようと意図しているのである。自民党の政治家の3分の1は日本の核保有に賛同しているといわれるから、今年秋以降は、その点についての国民的議論がわき上ることが予想される。これは北朝鮮問題と関わってくることは間違いない。北が核をもつならば、この国への防衛的意味で、日本も核をもつべきだという議論である。本稿執筆時点での5月25日には、北朝鮮は、従前の強硬路線から平和路線へ転換したといわれているが、六ヶ国協議の場で五ヶ国が主張する朝鮮半島の非核化を本当に受けいれるか否かは判らない情勢にある。日本の核保有問題について次の2点を指摘しておきたい。第1は、米国は日本の軍事力が拡大強化されることには危惧の念を抱いているから、核保有には反対するだろうこと、第2は、もし北朝鮮が核、ミサイルの開発をこれまで通り継続し、日本も核とミサイルの発展に努めるならば、距離が近い両国の関係は、いつ核によって崩壊させられるかもしれないという不安定なぎすぎすした関係に陥らざるをえないだろうということである。
○日本国民の立場を世界に向けて発信
日本は別の道を歩むべきであると私は思う。人間は再び核を使用すべきでないと誓ったヒロシマの理念をより熱心に世界にむけて発信すべきだろう。それは単に政府、地方自治体の諸機関によるばかりではなく、例えば海外との学術交流のレベル、文化交流のレベル、スポーツ交流のレベルにおいても情報は発信するべきであろう。北朝鮮のような情報を閉鎖している国に対しては、日本の市民たちがどのように考えているかを北の大衆に知らせることは困難かもしれないが、それでも時を経るに従い次第に情報は伝わるのではあるまいか。最後に論及しておきたいことは、現在核拡散防止条約に基づいて先進国、大国を中心とする特定国のみが核保有国となっているが、こうした世界の核状況についても私は不満に思っているということである。核保有国は、非人間的、非道義的な軍事力たる核をもつことによって非核保有国に対して少なからざる脅威を現実に与えているが、そうした脅威を与えているかぎりは、国際連合のような機関は、公平を重視し核保有国が非核保有国に対して一定の補償金を支払うような措置をとらせるべきだと考える。
○今後の市民の反核・平和運動がきめ手
現代の国際的、国内的政治状況は決して一国の政府の首脳や政治家によって動かされコントロールされるものではなくなりつつあると私は考える。2年少し前には中東において『アラブの春』といわれる変革の嵐が発生したが、―その帰趨は未だ定まったとはいえないにせよ―あれはまさにインターネットを通じての市民・大衆の運動によって惹起されたものであった。今後の世界において核攻撃に対して抑止力となるのは決して核ではないと思う。敵の核攻撃が予感されたとき、味方の市民、大衆が数10万人、数100万人の規模で核兵器の発射に反対して立ち上がったとき、これに対して核ミサイルをうちこむ程愚かな政治指導者が出現することは決してないと確信する。
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座 http://www.chikyuza.net/
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