「地の果て」で感じたこと
- 2010年 9月 29日
- スタディルーム
- アルジェリア宇波彰
去る2010年の1月下旬に「ここは地の果てアルジェリア」という歌謡曲の文句にもあるアルジェリアを訪れた。「地の果て」というのはどういう意味であろうか。映画「望郷」で描かれているアルジェのカスバにもいってみたが、映画のイメージとはまったく違って何の変哲もない住宅街になっていて、「映画的」な雰囲気は見られなかった。治安が悪いとも思えなかったが、私服警官が警護してくれた。 アルジェリアという時、私にとってただちに連想されるのは、そこを舞台にした「異邦人」などの作品を書いたアルベール・カミュ、そこに生まれた哲学者ジャック・デリダ、若いときにそこをフィールドワークの対象にしていた社会学者ピエール・ブルデュー、そしてアルジェリアの女性を描いたドラクロワなどである。私がアルジェリアに関してそれらのフランスの作家・思想家・画家を連想するということは、すでに私自身の精神に西欧中心主義ともいうべきものが住みついている証拠である。マルセル・モースのいう「身体技法」の概念を精神の領域に移して「精神技法」というべきものがあるとすれば、身のこなし方と同じように精神のこなし方を支配するものがあり、われわれはその精神技法によって動かされているのであり、それがほとんど無意識的にわれわれの考え方を規定する。「アルジェリア」によって、ただちにカミュ、デリダ、ブルデュー、ドラクロワを想起するという私の精神技法を自覚し、それを変えようとしても、その技法は私の思考のなかに根付いているように思える。
アルジェリアに出かける前に私が読んだこの国に関する著作は、ジュール・ロア『アルジェリア戦争』(鈴木道彦訳・岩波新書・1961)と、ピエール・ブルデューの『アルジェリアの社会学』(クセジュ文庫・1958・未訳)、川田順造『マグレブ紀行』(岩波新書、1971)の三冊にすぎなかった。海外への旅行者が一般によく使う『地球の歩き方』にはアルジェリア篇はなく、「ロンリー・プラネット」(2007)を買ってざっと読んだ。(「ロンリー・プラネット」はオーストラリアで出ているガイドブックである。) アルジェリアはさまざまな民族・権力が興亡を重ねたところである。フェニキア人、ローマ帝国の支配のあと、バンダル族が襲来し、そのあとビザンツ帝国が支配した。さらにアラブ人が到来し、そのあとオスマントルコの領土になる。1830年からフランスによる植民地化が始まり、第二次大戦後ようやく1962年に独立国家となった国である。2009年の秋に訪れたセルビアの通貨はディナールが単位だたったが、アルジェリアでも同じである。辞書によると、ディナールは「7世紀から数世紀間にわたってイスラム教国で使われていた金貨」のことだという。イスラム的なものがあるのは当然だが、フランスによる植民地支配の強力な影響もいたるところで痛感した。 カミュの作品は「不条理の文学」などと規定されてきた。しかしアルジェリア人はカミュをどう見ているのか。アルジェリアで「リベルテ」などの新聞を買って読んでみたが(一部15円弱)、帰国してからやはりアルジェリアの新聞である「ル・ワタン」の電子版を読んでいるうち、その1月30日号にカミュについての記事があるのに気付いた。カミュは1913年生まれであるが、26歳のとき、アルジェで発行されていた新聞に「カビリアの悲惨」というルポルタージュを書いていた。2005年にそれがアルジェリアで書物として改めて刊行されたが、それについてのナディア・アグスによる論評である。アグスは、植民地時代のアルジェリア人の「恐るべき悲惨」をカミュが報告していることを一応は評価する。「労働者たちが搾取され、奴隷的体制に置かれていた」アルジェリア人が、木の根や草を食べている惨状をカミュは告発した。しかし、アグスはカミュがフランスの植民地支配そのものを否定せず、その支配体制のなかでのアルジェリア人の状況の改善を求めているにすぎないときびしく批判している。「カミュはいかなるばあいにも、植民地の秩序とその支配権力とを問題にしようとはしなかった」とアグスは断言する。 これはアルジェリア人によるカミュ批判である。アグスはカミュのような立場が「ひとつの社会的な枠のなかでの個人だけを関心の中心とする」ヒューマニズムにすぎないものだと規定する。単なるヒューマニズムでは、政治的な問題は解決できないという批判である。アグスの論評はカミュの仕事を評価しつつも、その限界を鋭く指摘している。これは西欧中心主義の外側からの批判である。私は自らの「精神技法」の変化は、このような機会を捉えることによって可能になるのではないかと考えた。(付記。この文章は、2010年3月に刊行された「アフルンパル通信第9号」に掲載されたものに多少の加筆をしたものである。NHKのラジオフランス語講座を担当されている清岡智比古さんは、そのテクスト「まいにちフランス語」6月号で、この拙稿を引用して下さった。)
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座 http://www.chikyuza.net/
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