竹内芳郎編著『討論 野望と実践』刊行者の辞 -「本そのものの声」がここに-
- 2013年 6月 17日
- 評論・紹介・意見
- 『討論 野望と実践』徳宮峻竹内芳郎
竹内芳郎編著『討論 野望と実践』
A5判1162頁・本体4500円+税 閏月社刊
参加者総計200人強、他者との相克を克服することで真理を追究する〈討論〉の実践の記録
二〇一三年二月一八日付『東京新聞』に、衆院選議席数の結果が掲載された。選挙からふた月余りを経てあらためて知らされたのは、第一党に返り咲いた自民党の議席数の割合が、有権者数に対する獲得投票数の割合と、あまりにもかけ離れているという事実だった。小選挙区で約二四%、比例代表にいたっては一六%の票を獲得しただけ党が、議席数で六割を占めたのである。議会制(間接)民主主義のシステムによって、民意は屈折してしまうのだ。
竹内芳郎氏は、間接民主主義そのものに悪弊があると言う。民主主義が徹底されるには、その間接性を粉砕し、直接民主主義を導入する以外にない。〈政策に参与する「人」を選ぶ〉のではなく、〈政策そのものを選択する〉。人々が直接、政策の賛否を問い、進むべき道を決定してゆく──そのための基本条件こそ、事の真偽を極めんとする討論である。
だがその討論が、日本社会では根付かない。諸メディア上で「討論」と称される座談の類は数あるが、ほとんどが名ばかりの似而非討論であり、その証拠に、それらは互いの意見を曖昧にぼかすことで当たり障りのない妥協点に着地するか(事なかれ主義の最たるもの)、さもなくば真偽の追求を外れた罵倒の応酬に終わる口喧嘩が関の山となっている。
なぜ当たり障りのない妥協点に擦り寄ってしまうのか。日本社会の根底にある天皇制──竹内氏が常々語る〈天皇教〉──にその原因がある。戦後民主主義は象徴天皇制を社会の根幹に据えることで「無責任の体系」を存続させ、〈ムラ社会の掟〉──目立つなかれ、逆らうなかれ、同じであれ──を温存させ、異質なもの、不可解なもの、真の意味での他者を、圧殺し続けてきた。それでもなお、それを〈民主主義〉と呼ぶ。この自己欺瞞を絶ち切れないのであれば、討論が、ひいては成熟した民主主義が、成り立つ土壌などどこにもありはしないのだ。
また一方で、なぜ罵倒の応酬に終わるのか。我執・我欲(見栄や目の前の勝ち負け)に取り憑かれ、真理を前にしての恭順を失っているからである。意見がわかれ、食い違い、一方が真であれば他方が偽であるよりない時、偽であることが論証されながらそれに同意できず、自説に執着し、やがては討論の場そのものを破壊する罵声が、本書にも幾度となく登場する。その過程を読み進めば、読者はいともたやすく破綻した論者の我執を見て取ることができるだろう。しかし、その場に列席してなお自らの我執を払い落とし、討論を展開してゆくことは、その実、読んで見て取るほどに簡単ではない。
簡単ではないことの証拠に、ここで一つの小さな告白をしておこう。筆者にとって、竹内芳郎氏との本作りは、それが一つの討論だった。というのも、原稿を頂戴してから刊行までの一年半、お住まいに通うこと三十余回、差し上げたお手紙は五十を超えているはずだが、氏と筆者との間に〈ムラの掟〉が機能したことはなく、そして何より、氏の真剣によって、遂には筆者の編集者=刊行者としての我執我欲が削ぎ落とされたからだ。我執とは、およそおいそれと自ら気付くようなものではなく、真剣に打たれ、なぜそこまでして、なぜこんな思いまでして本を作るのかと考え込むような苛烈な経験を超えたその果てに、初めてその在処が立ち現れてくるものらしい。そこまで辿り着いてようやく聞こえる声、「それでもこの本を作る」という低くも強く響く声は、もはや筆者の声でもなく竹内氏の声でもない。両者相克の向こう側に出来した、本そのものが発する声である。筆者は、氏との〈討論〉によって、言わば〈書物への恭順〉を教わったのだ。
総頁数は一一六二頁。百万字にも垂んとする議論の記録に、人は「反時代的」と言いまた「奇書」とも言う。いまや筆者は、それらを賛辞として、喜んで享受している。そして竹内氏が本書の中に記した「必ずや出現するであろう真の討論を渇望する心ある読者に」向けて、〈本そのものの声〉をこうして残せたことに、かつてない充足感といくばくかの自恃の念とを抱いているのである。
初出:『図書新聞』2013年5月4日号より許可を得て転載
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座 http://www.chikyuza.net/
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