「統治機能」再構築こそ急務 党内抗争による〝政治空白〟の罪
- 2010年 9月 30日
- 時代をみる
- 池田龍夫
7月参議院選挙で敗北を喫した菅直人・民主党政権の混乱は、目を覆うばかりだ。大騒ぎになった「代表選挙戦」二週間の果て、九月十四日に「菅首相続投」で幕引きになったが、今後の政権運営の前途は多事多端である。
〝菅・小・鳩トロイカ体制〟構築に失敗し、「菅直人vs小沢一郎」の権力闘争劇は何をもたらしたか。…政局報道一辺倒のマスコミの反応も異常で、日本政治の劣化を国民に印象づけてしまった。時代の閉塞感は一向に解消されず、一年前の総選挙で民主党に政権を託した国民の失望は大きい。果たして、旧態依然たる政治風土からの脱却を新政権に期待できるだろうか。
選挙に明け暮れ…政策論議は二の次
「民主政には選挙を行い、意見を集約する側面だけではなく、政策面で成果を挙げるという統治機能が欠かせない。日本の民主政は十年に七回も国政選挙を行った上に念入りな党首選を行うように、選挙志向に傾斜し、その一方で首相の頻繁な交代と重要政策の停滞に見られるように、統治機能は劣化の一途を辿っている。既に『ねじれ』をはじめ、困難な問題は山積している。今度の代表選でどちらが勝利するにしろ、この選挙と統治とのバランス崩壊を加速するようなことは慎むこと、子供じみた権力ゲームを慎むこと、これが政権党の常識でなければならない」と、佐々木毅・学習院大教授が指摘(東京新聞9・12朝刊)している通りで、国民本位の政策を断行する統治能力こそ「民主政治の要諦であろう。
〝人気投票〟的な世論調査の乱発
鳩山由紀夫氏(前首相)小沢一郎氏(元幹事長)辞任を受けて誕生した菅直人政権だったが、深刻化する不況対策の処方箋すら示せず、普天間基地移設問題をめぐる迷走もあって、国民のイライラが募っていた。「政治空白は許されない」状況のため、〝統治機能〟回復こそ政権の使命なのに「代表選挙」で二週間をさらに空費した感が深い。「代表選を数カ月延ばして、緊急経済対策を断行すべきだ」との声は届かず、一票の権利を行使できない一般国民は、「代表選び」に一喜一憂、〝国民不在の政治〟を慨嘆するばかりだった。一応の決着がついた今、その不手際を非難しても詮無い事だが、この間メディアの取り上げ方に問題はなかったか、具体例を検証して考えてみたい。
小沢氏の代表選出馬表明を受けて、各メディアは競うように世論調査を乱発した。まるで芸能誌の人気投票のように、「民主党代表(首相)にはどちらが相応しいか」との電話調査が、トップニュースで繰り返し報道された。さらに、序盤・中盤・終盤の独自調査と銘打った選挙情勢分析の扱い方も過剰すぎた。国政選挙のような規制がないため、人気投票さながらの様相。大手メディアの調査結果は概ね「菅支持60%前後、小沢支持30%前後」との数字で一応の人気度は分かるものの、「これが世論」と言わんばかりの報じ方が気になった。各社の電話調査は固定電話所持の約二〇〇〇サンプル(回収率6割くらい)から抽出したものだが、ここに大きな問題点が潜んでいる。固定電話を持たず、携帯電話かインターネットに頼る若者が激増している現状からみて、「世論調査の精度」に疑問が最近投げかけられていることを念頭に、報道の仕方をもっと工夫すべきではなかったか。「大手メディアの電話調査は、『世論』を誘導している」との批判を無視できるほど、現行の調査精度が高いと断言できないからだ。この点、「ネット世論調査」が、代表選について全く逆の数字を明らかにしていることに注目した。さまざまなネットが調査結果を流しているが、「zakzak」(9・10)が伝えた一例を引用して参考に供したい。
「産経・FNNの8月末の調査で、どちらが首相に相応しいか聞いたところ、菅首相が60・1%で小沢氏の16・4%を大きく上回った。他の報道機関での調査でも、小沢氏は菅首相に大きく引き離されている。一方、ウェブサイトの調査では小沢氏の支持が高い。9月1日から投票を始めた『YAHОО!JAPAN』では9日午後3時の累計で、小沢氏が59%、首相28%。『Infоseek楽天』では、小沢氏の93%に対し、菅首相は6%だった」――「ネット世論調査の不思議」との見出しに、〝世論調査の無謬性〟への警鐘が込められているように感じた。
「世論調査なるものをあまり信用していない私自身の事情を述べると、新聞やテレビのテーマの取り上げ方が、卑しく下品に変わったからだ。政治ニュースならば、政局については騒々しいくらいに論ずるのに、政治を真正面から取り上げた記事はほとんど見かけなくなった。大新聞の政治部の記者や政治評論家は、何を見ているのかと思ってしまう。コメンテーターとしてテレビに始終顔を出す政治評論家も学者も、重要なことをさし措いて瑣末なことしか論じない点では変わりない。低俗化したほうが、購読者は増え、視聴率は上がると考えているのだろうか。ところが、この考え方こそが、人々を離してしまったのだ。……少なくとも、選挙では一票を投じた人であり党なのだ。なのにマスコミは、政権を取るまでは持ち上げておきながら、政権をとるや手の平を返したように、あることないことに批判を浴びせる。いや、批判ではなく非難だ」と塩野七生さん(作家)が憤慨(月刊文春10月号)していたが、今回の〝過剰報道〟への辛口批評と受け止めたい。両候補の政策論には具体性が欠如しており、この点こそメディアが問い詰めるべきだったのに、質問する記者の問題意識が希薄で、危機打開に向けた独自の主張もなく、結果的に〝お祭り騒ぎ〟に終始してしまった印象だった。
小沢氏〝狙い撃ち〟の政治資金疑惑
「『今度こそはまともに政治が動くのか』と半ば疑い半ば期待するのが、国民の本音ではなかろうか」との書き出しで、『毎日』9・18社説は「改造人事を機に望みたいのは、鳩山前内閣以来混乱を来している統治システムの再構築だ。…菅首相は記者会見で『有言実行内閣』と強調した。文字通り背水の陣で、改造初日から力いっぱい全力疾走してほしい」と述べる。他紙の論調も「政権内の総合調整機能を強めつつ、意思決定の一元化と透明化を急ぎ整え直さなければならない」(朝日)、「真っ先に対応すべきは、円高・景気対策だ」(読売)といった調子で、混迷政治に終止符をうって〝国民本位の政策〟を要望していた。
「いつまでも『脱小沢』だとか『親小沢』だとかで党内抗争に興じている余裕はない」との東京新聞社説はもっともだが、代表選を興味本位で報じてきた責任の一端が、メディア側にあったことも謙虚に反省する姿勢を示すべきではなかったか。小沢氏の「政治とカネ」疑惑追及の各社〝揃い踏み〟のような報道ぶりに、有識者の一部から〝行き過ぎ〟との批判も上がっており、筆者も〝過剰〟の印象を拭えなかった。
小沢氏が討論会(9・2記者クラブ)で述べた弁明(『検察が取調べた結果、私自身は不起訴となり、何らやましいことはない』)に対して、記者団の追及は迫力不足だった。金銭疑惑がつきまとう小沢氏だが、検察審査会の結論も出ない段階での〝灰色呼ばわり〟は、裁判前の「推定無罪」原則に照らして行き過ぎではなかったか。これは、「小沢氏擁護」ではなく、常識論と了解願いたい。
「普天間問題、発想の大転回を」
「普天間問題」がホットな争点にならず、本土紙の追求も少なかった。しかし、普天間に象徴される「日米安保の再検討」は、緊急景気対策と並ぶ重要課題で、沖縄県紙の論調に視点の確かさを感じた。「名護市議選(9・12)で、辺野古移設に反対する稲嶺進市長を支持する与党が過半数を占めた。この期に及んでも菅首相は『名護の皆さんの一つの民意の表れと理解している』としつつも、辺野古移設の方針を堅持する姿勢を変えていない。…名護市議選でも明確に示された通り、沖縄の民意は県内移設反対だ。日米合意の実現は不可能だ。新内閣のやるべきは沖縄の民意を正しく受け止め、日米合意を撤回することしかない。その意味では普天間返還・移設問題をめぐる菅改造内閣の思考や発想の大改造が必要だ。対米追従から県民本位の安保論議を強く求めたい」という琉球新報社説の訴えを、菅新政権も本土・有権者も真剣に受け止めなければならない。
限られた紙幅で問題点を論じ尽くすのは難しく、菅新政権が今後難題をどう切り拓いて行くかを、引き続き検証する作業を続けていきたい。
(「メディア展望」10月号より著者の許可を得て転載)
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