書評:『福島原発事故と女たち―出会いをつなぐ』近藤和子・大橋由香子編(梨の木舎)を読んで
- 2013年 6月 21日
- 評論・紹介・意見
- ノーテンキー福島原発事故
*『福島原発事故と女たち―出会いをつなぐ』近藤和子・大橋由香子編(梨の木舎)1600円+税
2011年3月下旬絵描きの友人から個展の案内状が届き、目を遣ると懸命に逆立ちする子供達の姿があった。涙が零れた。彼が描く子供達の絵をたくさん見てきたが、「子供が好きなんだな」としか思わなかった。原発事故後、彼が子供達に愛情と責任を以て真摯に向き合っていることに漸く気づいた。そして私は原発とは危険なもの、廃止するべきものと思いながらチェルノブイリ後も積極的に声を上げることはなかった。そんな無責任さが今回の事故を招き、未来ある子供たちを被曝させてしまったという後悔の涙だった。
あの日以来、地元でのデモや集会、月に1回程度は交通費をかけて都心でのデモや集会に参加してきた。何人もの福島の方々の話も聞いてきたが会場の熱い空気の中で自分自身も高揚し、それでよしとしてきた。この度、標記の本を読んでやっぱり涙を落としてしまった。一人一人が怒り、理不尽さを感じながらも静かに話しかけてくる。故郷から出来るだけ遠くへ、あるいは自分は離れ難く子供たちだけ一時避難、避難先での高齢な親の死、今生活を始めた場所にいつまで居られるのか・・・。不安や無念さがひしひしと伝わってくるが、何と返事をしたらいいのか判らない。執筆者の一人が避難先で現地との温度差を感じる(避難先の人々を責めているのではない)が、反原発の声を上げ続け、避難生活がいつか普通の生活となるようにと書かれていた。東京で生活し続け、無理せず反対運動に係って行こうと思っている私にも温度差はあるのだろう。そんな中で見つけた「原発いらない福島の女たち」の『充分に息抜きしながらも、果敢にアクションを起こしたい』という言葉に大らかさと逞しさを感じ、救われる気がする。
この本の中で二人の方が 障害者=不幸 ではないと書かれていた。これも社会の在り方が問題、と判ったつもりでいたが原発事故のあと福島で耳のないウサギが生まれた、何れ人間にも・・・と友人たちと眉を顰めて話した記憶がある。知らぬ間に優性思想が染み着いていることに気付かされた。
母性主義とフェニミズムに関する話も興味深かった。産んでいない私は「女は産む性だから」も「産む産まないは女が決める」にも違和感を持っていたが、何処を視点にそれぞれの言葉が出てきたのか教えられた。またグリーナムの女たちの精神の力強さ、粘り強さで示した非暴力直接行動は福島の女たちにもしっかり受け止められていることも知らされた。他人事ではない。私も何か細やかなことでも日常的に意思表示を、と遅ればせながら缶バッジを買ってシャツに着けた。雨の季節、ビニール傘に原発いらないと書いて差して歩こうか。一人でも、一人デモ。
最後に、表題に「女たち」とあると、先ず女に呼びかけているような気がするが、是非男たちにも(こそ)読んで欲しいものだと思った。
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