2013ドイツ旅日誌(その3)
- 2013年 7月 12日
- 評論・紹介・意見
- ドイツ合澤清
1.エジプトの混乱を憂う
このところドイツの新聞、ラジオ、週刊誌は、こぞってエジプトの記事であふれている。これらの記事から推測するに、対立は非常に複雑な様相を呈してきているようだ。なかなか我々外国人の、それも素人の目では理解しづらいものがある。いずれ、板垣雄三さんや藤田進さんなど、専門家にこの辺の情勢分析をお聞きしたいものだ。
実は僕にはエジプト人の親友がいる。ドイツで知り合ったのだが、身の丈190センチもある偉丈夫で、かつてはエジプトの国代表のサッカー選手だった。ドイツには、ダブルドクター(彼はエジプトで既にドクターを得ていたのだが)を取得するために来ていた。数年前に、ドイツ・ゲッティンゲン大学のドクターを取得して帰国した。今は、大学の教員をやっているようだ。今でも時々メールのやり取りはしているが、最後に受け取ったメールが、「お前たちともう一度一緒に暮らしたいな」というものだった。かつておよそ7年にわたって、毎年夏の2ヶ月間をゲッティンゲンのあまりきれいとはいえない学生街の、お互い同士すぐ近くに住んで、親しく行き来していた。
彼は普段は非常に優しい男である。よく小鰯の腹を裂いて、頭と内臓と骨を取り除き、そこにアラブ独特の香辛料を詰めてオーブンで焼いた料理をつくってくれた。この一種独特の味と香りが妙に懐かしい。更に、ビール好きの僕につきあって、敬虔なムスリムの彼は、ノンアルコールビール(Alkoholfreibier)を飲みながら、深夜までよく付き合って話し相手になってくれたものだ。
しかし、また、非常に正義感の強い情熱家でもある。当時のエジプトの社会状況(ごく一部の金持ち層、エリート層と、圧倒的多数の極貧層、失業者に分離した社会)や、ムスリムの精神的な堕落(一族の繁栄とカネもうけ主義に走り、他を顧みようとしない)などに対して、時に激しい怒りを爆発させていた。また、ネオナチなどの排外主義、特にアラブ民族への敵対主義に対しても同様な怒りを懐いていた。
この間、僕の方からは何度かメールを送ってみた。いつもは必ず返信が来るはずなのに、いまだに何の音沙汰もない。動乱のニュースを見聞きするたびに気持ちが落ち着かなくなる。それとともに、彼がどういう立場に立っているのかも大いに気にかかる。彼からの直の情報が聞きたいものだ。
ちきゅう座に元共同通信の記者で、アラブ関連の専門家だった、坂井定雄さんのお書きになった記事が転載されていた(7月7日付の「評論・紹介・意見」欄)。この記事から推察しても、現地の対立状況はかなり複雑な構造になっていることが分かる。相互に対立しあう大きなグループの内部にも、またそれぞれに思想的・宗教的な立場や利害関係や変革目的などの異なった小グループがあり、しかもそういう小グループ同士が、大グループ相互にまたがって混在しているようなのである。つまり、どのグループも確かなまとまりをもっていない。軍は規律によって縛られていて、一見すれば一番しっかりしているように見えるのであるが、果たしてそうであろうか。実際には一番多くこういう小グループを抱え込んでいて、脆弱な基盤しか持ちえていないのではないだろうか。
しかも、軍の指導部はかつてのムバラク政権と深くかかわり、共通利害によって結びつけられた人々によって占められているといわれる。一方、下部の兵隊たちが、圧倒的に下層階級の出身によって占められていることは万国共通であろう。彼らは兵役が終われば、再びそれぞれの地方へ帰り、貧困な生活に逆戻りせざるを得ない。あるいは職業軍人になるにしても、やはり大抵の人々は、うだつの上がらぬ下積みで一生を終わらざるを得ない。軍はこの両者の極めて微妙なバランスの上で成り立っているといえよう。このバランスは、何かの要因、例えば社会状況の如何によっては、簡単に壊れる危険性をはらむ。
私見では、エジプトの騒擾の行方を語る時、ただ単に各グループの動きや政治動向に注目するばかりでは「木を見て森を見ない愚」を侵しかねないように思う。やはりその背後の大量の貧困層の存在、格差の拡大、若年層の失業問題など、どの国にも共通するような問題に目を向ける必要があるのではないだろうか。このような共通問題の特殊エジプト的な現れ方(表出形態)を見ていく必要があるだろう。
かつて、僕の友人がこう語っていた。「カイロだけでも、一日の生活費が1ドル(米ドル)以下で暮らしている家族が50%以上もいる」「その半面で、ムバラクやその一族のように、国内のあらゆる産業を一人占めし、私腹を肥やしている少数の人間たちもいる」「イスラムの教えは他人への思いやりに根ざしているはずなのに、髯だけはイスラムだが、心は全くイスラムではない人間があまりにも多くなった」
このような現状変革の要求はいまだにストレートには出されていない。おそらく、社会の再編成とそれに伴う政党の再編、運動の再編はこれから始まるのではないだろうか。大きなうねりはまだ端緒についたばかりのように思える。もちろん、エジプトを取り巻く世界の動き、アラブ圏、またインドネシアやパキスタンなども含めたイスラム圏、パレスチナ問題、シリア、レバノン、トルコなどの現状からも目を離すわけにはいかない。
また、欧米や中国、日本などの動向、世界経済の流れも大きく影響してくるに違いない。
特にアメリカは、これまで、エジプトへは、軍事援助を名目として、イスラエルに次いで多額の資金をつぎ込んできた。もちろん、「エジプトを盟主とするアラブ圏」への実質支配を画策したものであったろう。今後どう推移するか。
しかしそれと同時に、これら外部の世界にとっても、エジプトの動乱は決して「対岸の火事」として見過ごすわけにはいかないはずだ。何故なら、同じ問題がそれぞれの国内に様々な形で存在しているからである。問題の顕在化は、同時に世界の変革へ向けた一歩を意味してくるのではないだろうか。
2.再生エネルギー問題に関する雑感
先日、出版社をやっている友人のSさんから「ドイツの脱原発以降の再生可能エネルギーの可能性とドイツ経済の現状」について報告せよというメールが届いた。急にそれまでの「ほろ酔い気分」から、素面に引き戻された(イマニュエル・カント流にいえば、「まどろみから揺り起こされた」)思いで、「さて、どうすればいいのだろうか?」と考え込んでしまった。
どうも僕の周辺には生真面目な方たちが多いようだ。ドイツへの出発前に、先輩のYさんから、「今回の旅行目的は何なのか?」と問いかけられ、ハタと困惑し、「ドイツビールを味わうことです」と答えて失笑を買ってしまった。編集委員のFさんには、「いつもお気楽なドイツ旅行記で、結構ですね」とやり込められている。
しかし、適度な息抜きは絶対に必要なんだよ、と僕は徹底抗弁したい気持ちだ(多分、彼らには、お前の場合は、息抜きばかりではないか、と映っているに違いないが、…)。
そこで一念発起して、表題の問題に今の僕なりの報告をしてみようと思い立った次第だが、ドイツに来てやがて三週間になるのに、実はまだどこへも国内小旅行をしていないし、しかるべき専門家と話し合ったこともないのである。仕方なく、去年の見聞やドイツ人の友人たちとの会話、それと若干のニュースなどから拾い集めたものをつなぎ合わせて、私流の「レポートもどき」なものを仕上げて大方のご寛恕を乞いたいと思う次第。
脱原発以後の再生エネルギー問題に関して僕が特に印象深いのは、風力発電用の風車がドイツ中どこに行っても実に多く目につくことである。その数の多さは、日本では想像つかないほどで、どの土地に行っても必ずといっていいほどある。アウトバーンを車でベルリンに向かったときは、途中の左右の景色の中に何十本もの風車が林立しているのが見えた。しかも一カ所だけではない。何カ所にもわたりそういう光景がみられるし、ベルリンに近付くと一層多くなっていった。ドイツ人の友人の話だと、ベルリンの周辺に原発はつくれないため、こういう形での発電が主になっているというのである。風力発電がいつ頃から盛んに行われるようになったかは定かではないが、やたらに目につくようになったのは、それほど遠い過去ではない。ここ数年以内に急速に建設されたものだろうと思う。
去年、ブレーメンに近い小さな村(Dorf)に行った時の話だが、そこに住んでいる日本人女性から、この辺では、原発に頼らずに電気を供給するため、村全体で費用を調達し、風車を村内に立て、それによって村の電力は十分賄われている、という話を聞いたことがあった。
ドイツは伝統的に地方自治の強い国である。このような地産地消の自前の電力需給がおそらくここ以外の各地で試みられているはずである。
その後、東北大学名誉教授の大内秀明先生から、今は使用されていない、仙台市外の小さな水力発電所が、戦前から仙台市の電力供給に役立っていたという話を聞かされ、これなども、ドイツの地方と同じ、地域での電力自活の一方法なんだと気づかされたことがあった。
僕の今住んでいるゲッティンゲンなども、周囲の丘にやはり風力発電用の風車が立ち並んでいる。また、飛行機でコペンハーゲンからドイツに向けて飛んでいる時に、下方の海(Ostsee)に、何本もの風車が立ち並んでいる景色も見てきた。「日本は四方を海に囲まれている、それなのに、なぜ、危険な原発に頼ろうとするのか…?」改めて考えさせられた。
さて、実はSさんの要求する「ドイツの脱原発以降の再生可能エネルギーの可能性」という問題に、もう少し詳細なデータなどを元に報告することも考えてはいたのだが、それはこのような雑文(旅日記)の役割ではなさそうだと思いなおしたことと、インターネットで「ドイツの風力発電市場調査報告書」(2012年3月 日本貿易振興機構(JETRO))が、いつでも読めるようになっている。
それ故、ここではあくまで僕の経験談的雑感ということで凌がせていただきたいと思う。
ただこのJETROの報告は、2010年までのデータが基になっていて、その時点ではまだ、「再生可能エネルギー」はドイツの電源構成の16.6%にすぎなかった(原子力は22.4%)が、その後、ドイツのシンクタンクInternationales Wirtschaftsforum Regenerative Energien(IWR、再生可能エネルギー国際経済フォーラム)が、「2013年4月18日の正午、ドイツ全国の電力のうち、50%以上を風力発電と太陽光発電がまかなったと発表」したそうである。以下は、「スマートジャパン」の畑陽一郎氏の記事からの引用である。
http://www.itmedia.co.jp/smartjapan/articles/1304/23/news022.html
「欧州の主要な電力取引所であるEEX(European Energy Exchange)のデータによれば、風力発電と太陽光発電の合計が初めて36GWに達した。これは原子炉30基分以上に相当する出力だ。IWR所長のNorbert Allnoch博士によれば、長期休暇などを除き、電力需要の多い平日に50%を達成したのは初めてのことだという。」
この畑氏の報告から分かるように、この数年で、ドイツの風力発電は飛躍的に伸びているのであるが、その主要因は、海上での風力発電に力を入れた(そのための「法改正」も含めて)ことにあるようだ。
勿論、この再生エネルギー(erneuerbare Energien)への転換が、従来の原子力産業に代わる、新たな産業の手に委ねられて行われているという点にも十分な注意が必要であろう。
ソーラーシステム(Solaranlage:太陽熱利用装置)も、この数年間で急速に普及してきている。屋根の葺き替えをやっている建物の多くが、最近ではソーラーを設置している。また、広い野原一面に、ソーラーシステムが備え付けられている場所も何度か目にした。
ドイツのソーラー発電量は、ここ10年ほどで150倍近くも増えたといわれるが、あまり長くなるので、詳細はここでは割愛し、インターネットの情報にお譲りしたい。
最後に、ドイツの「反原発」運動は極めて活発である。唯一の被曝国であり、原発事故当事国である日本での「反原発」運動が、徐々に盛り上がりを欠いてきているのに対して、ドイツでの運動はますます市民の間に深く定着し、強固になっているように思われる。それらの詳細な現地報告は、ちきゅう座に掲載されたグローガー理恵さんや、リヒトナーすみ子さんなどからの投稿記事によって伺うことができる。
日本でもおなじみの「反原発マーク」(Atom Kraft Nein Danke!)、この旗を窓に飾ったり、家の玄関口に掲げたりしている光景にも時々出会う。また、街のあちこちに、集会の名残であろうか、「反原発」のステッカーが残っているのも見かける。ゲッティンゲンの新しい市庁舎(neues Ratshaus)前にある「ヒロシマプラッツ(広島広場)」での「8.6広島デー」には、今年も大勢の参加者が集い、「反原子力」の決意を新たにすることだろう。
この民衆の不断の監視の眼こそが大切である。そして連帯、団結こそが力ではないだろうか。われわれも頑張らなければ、・・・。
追伸:一昨日、夜の10時頃、市内からそぞろ歩きで帰宅中、近くの小川のほとりで「ホタル」(Leuchtkaefer)が飛んでいるのを見た。久しぶりの光景にハッとし、すごく感動した。ドイツではまだ自然が生きているんだ、とつくづく感じた。
2013.7.11記
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座 http://www.chikyuza.net/
〔opinion1368:130712〕
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