日本国民の愚かな選択 ―2013年参院選を要約すると―
- 2013年 7月 23日
- 時代をみる
- 半澤健市自民党選挙
2013年7月21日の参議院選挙は、安倍自民党が圧勝し民主党の惨敗に終わった。
「日本国民の愚かな選択」。これが私の第一印象であり当面の結論である。
民主主義は民意に依拠する政治である。しかし民意がいつも正しいとは限らない。「愚かな選択」への正当な批判が必要である。現在のメディアは民意を解説するが批判はしない。だから政治評論が迷路に入り込むのである。
2009年8月の政権交代は、「二大政党による保守独裁政治」の成立であった。その中で、わずかに鳩山・小沢が打ちだそうとした対米自立路線は、米日支配層から打ち落とされた。鳩山・小沢が「日米同盟」関係を損ねた。この「逆(さか)しまの認識」が、以後の外交論議の前提となった。屈辱的な誤認である。それがメディアと大衆の言説となり安倍自民党の圧勝へと雪崩を打ったのである。
《「戦後レジームからの脱却」 安倍晋三と岸信介》
安倍晋三は「日本を取り戻す」、「戦後レジームからの脱却」と言う。
取り戻すべき日本とは、日本近代史のいつの時期の日本を指すのか。「戦後レジーム」に対する「新レジーム」とは何を指すのか。「戦後レジーム」の反対語は、「戦中レジーム」または「戦前レジーム」である。安倍晋三の母方の祖父は岸信介(きし・のぶすけ)である。岸は、1930年代に、革新官僚として経済統制に力を振るい、1941年に成立した東条内閣の商工大臣として戦時経済をリードした。
「その祖父の時代に回帰する、正確には祖父の精神に回帰する」。それが安倍のいう「戦後レジームからの脱却」である。そういうと、「お前は気が触れたのか」、「いくら何でも大東亜共栄圏の思想に回帰することはないだろう」という反論が出ると思う。
しかし岸信介は「大東亜戦争」のプレイヤーで終わったのではなかった。A級戦犯容疑者として巣鴨プリズンにいた岸は、のちに戦後の支配体制の主柱として復活したのである。岸は1957年に、病気退陣した石橋湛山に代わり首相となった。そして戦後の転換点となった60年に「安保闘争」の一方の主役となるのである。有力な研究や報道によれば岸の復活にはCIAが巨額の資金を提供している。
《「日本国民の愚かな選択」のゆくえ》
岸のDNAを引く安倍には、「取り戻された日本」=「米国の従属国」は矛盾でないのである。戦前・戦中の「満州国」と戦後日本が重なり合うのであろう。彼の頭脳には、価値観を共有する両国の「日米同盟」という言葉しかないのである。安倍の言葉に特徴的なことは、「観念的なスローガン」しか存在しないことである。それは安倍晋三が、政治を歴史認識の視点から考えない人間であることを示している。現に、安倍はしきりに「歴史認識は歴史家の仕事」という。政治家は確固たる歴史認識の上に政治構想を描くものである。その使命をみずから放棄しているのである。そういう安倍を選択したのは「日本国民の愚かな選択」であった。
安倍政権における「ユーフォリア(高揚感)」のピークは7月21日からの数週間で終わるであろう。「アベノミクス」、「TPP」、「消費税」、「原発」、「歴史認識」、「改憲」、「財政危機」。安倍晋三はこれらの難題に対峙し解決する能力に欠けている。
元外交官孫崎享は、7月21日のツィッターにこう書いた。
「後世の歴史家は7月21日を日本崩壊を担保する日と記憶するだろう。再び原発事故を招く再稼働にGO、主権を侵害するTPPにGO、米国の傭兵的に自衛隊の海外戦闘を行えるようにする集団的自衛権にGO,を国民が容認した日とするだろう。でも歴史家は国民の愚行選択の説明は不可能だろう」。
私は涙を呑んで孫崎の言葉に同意せざるを得ないのである。
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