7.21の参院選挙結果に一喜一憂している暇はない―歯車の狂った日本
- 2013年 7月 24日
- 評論・紹介・意見
- 合澤清選挙
猛暑の中の選挙となった2013年の参議院議員選挙は、大手マスメディアの読み通りに、自民党・公明党の連立与党の圧勝に終わった。僕には、このメディアの読みがあまりにも的中し過ぎていたこと、しかもかなり早い時期から「連立与党圧勝」という予想がなされていたこと、どうもこの辺への疑念がいまだに拭い去れないでいる。なんだか言論誘導がなされているのではないのかという思いがしてならないのである。
かつていわれた「アメリカのテコ入れ」、そして「企業ぐるみ選挙」、今はどう呼ぶべきであろうか?
小選挙区制が、得票数とかけ離れた議席をもたらしていることは既にいろんな論者から指摘されている通りである。その上に付け加えるとすれば、やはり「監視社会」化、「管理社会」化した日本社会の上層部から強制誘導される「不自由選挙」と、屈辱的にそれに従順な国民性がもたらした結果、となるのであろうか。ダニエル・エルズバーグはスパイ大国化したアメリカ政府を揶揄して、アメリカ合衆国をUnited Stasi of America(ユナイテッド・シュタージ・オブ・アメリカ:シュタージは旧東ドイツの秘密警察・諜報機関の略)と呼んだ(次の記事をご参照ください。http://chikyuza.net/archives/36167)のだが、今や日本政府および日本企業は、紛れもなく自国国民のプライバシーを根こそぎ管理下に置きたがっているのである。精神的なゆとりをなくし、享楽的にその日を楽しみ、従順な日々を送るだけで、将来の希望も意欲もない、そういう人間こそが、現代の「理想的人間像」なのであろう。「下手に物を考えられた日には危なくて仕方がない」というのが彼ら為政者の偽らざる本音であろうか。
ドイツ人の友人たちとこの「管理化」の問題について話をしたことがある。ドイツの企業にも徐々にこういう「管理化」が浸透してきているという。それでもドイツの教育の在り方、特に基礎教育制度(日本の小学校にあたる「グルントシューレ」の4年間、8~9年制の「ギムナジウム」、あるいは5,6年制の「実技・職業学校」)は、彼らの自慢でもあるが、僕らから見ても、確かにその期間に学習と同時に人間的な修養もなされる貴重な青春の時期が与えられているように思えるのである。受験勉強に追いまくられ、無味乾燥な知識の詰め込みで過ごす「日本の青春時代」とは雲泥の差である。
ここからして人間的自立性に大きな差が出てくるのは当然のことではないだろうか。
このことは、唯に選挙結果だけの問題ではない。憲法の改定問題や原発事故の問題、沖縄基地問題、様々な社会補償問題、あるいは雇用不安問題などに、ただ受け身で、「泣いて我慢する」だけのわれわれ日本人に対して、ドイツでは粘り強い様々な抵抗運動が生み出されている。その結果が「左翼党」(Die Linke)の躍進でもある。
われわれのところでは、「変革」はただの夢物語として消え去ろうとしている、一方ドイツでは、まさに「社会変革」が現実の俎上に挙げられているのである。
以下、私自身のドイツ語の拙劣さをご容赦願いながら、今回の日本の選挙結果に触れた短い記事と「左翼党」に関する記事をご紹介させていただく。いずれも「DIE ZEIT」の2013.7.22からのものである(大意のみ)。
Japan arbeitet prekaer
既に今、多くの日本人は不安定=不確実な雇用関係の中で働いている(arbeiten in prekaeren Beschaeftigungsverhaltnisse)。安倍晋三首相の改革(Reformen)はさらにこれを悪化させる(verschlimmern)かもしれない。安倍晋三がその原因をつくったのだ(Abe hat es geschafft)。日曜日の選挙では、公明党との連立で、自民党は参議院での明らかな多数を獲得した。その政権はいまや日本の両院を支配していて、以前のように反対党の同意を取り付ける必要はないのである。諸問題は総理大臣の手で強引に処理しうる。かつて日本は10年間以上もスタグフレーションの中でもがいていた。その負債は膨大であり、経済成長は弱まっている。「私は人々の希望にこたえて、経済情勢を著しく改善いたします」と安倍は選挙の夕べに語っているが…。
この「prekaer」という言葉は、もともとはフランス語の言葉からきている。「難しい、不安定な、厄介な、不安な、不確実な、危険な、困難な、重大な」などの意味である。いずれにしても良い意味合いは全く含まれていない。多分これらすべての意味合いを含ませての警告として書いたのではないだろうか。「不安定」とか「不確実」とかだけの意味なら、ドイツ語にももっと適切な言葉がある。しかしそんなレベルではないぞ、という思いが込められているように思われる。タイトルからして、そんな思いなのではないのか。あえて意訳すれば、「日本は危険を冒している」とでもなるのではないだろうか。
以下の記事は、「ディ・ツアイト」の記者のインターヴュ―に「左翼党」の代表代行の女性、サラ・ヴァーゲンクネヒトが答えたものである。大変聡明そうな顔立ちのこの若い女性代表は、以下のようにはっきりと、未来に対しては多少楽観的ではあるかもしれないが答えている。
ドイツの「Die Linke」(左翼党)の代表代理を務めるサラ・ヴァーゲンクネヒトはインターヴュに応えて、「資本主義は消滅するだろう、何故なら、既に資本主義には新たな選択の途がないからだ」という。「あなたは自分の希望を述べたのか?」という質問には、「決してそうではない(Auf keinen Fall)」「資本主義の終わりは歴史の終焉ではない。われわれは目下のヨーロッパで、繁栄(Wohlstand)を減速する(verringern)極めて激烈な(drastisch)
危機を現に経験している。実際にドイツでは、将来、子供や孫が今より良くなるだろうと期待している人はほとんどいない。これこそが実際の経済秩序の行き詰まり(Versagen)の証明ではないか。
日本でも、われわれはこの選挙結果に一喜一憂している暇はないのではないだろうか。今の景気の低迷が、これまでの日本政府(民主党政権下)の政策的な失敗で片付けられる程度のものではないからだ。むしろ世界経済の構造的問題こそが根本的に問われ返されなければならないのではないだろうか。ここでは一例として「東京新聞」の今年3月13日付の記事から榊原英資(青山学院大学教授)の発言を引用しておきたい。「…例えば2002-2007年は、物価の影響を除いて2%の経済成長をして景気は良かったが、物価は下がっている。つまりデフレは景気が悪いからではなく、構造的な問題だ」「東アジアでは国境を越えた生産面の分業によって経済統合が進んだ。日本では物価や賃金が下がり、中国などでは上がって緩やかに収斂する過程にある。一国の金融政策だけで一国の物価はコントロールできない」「2%の物価目標は間違いだ。…デフレは構造的な問題なので、おカネを大量に出してもインフレにならない。」「今の『円安・株高』は期待先行で、株価に企業業績の改善が付いてこなければバブルだ。今はもうその初期段階にあり…給料が上がらなければ大変なことになる」「最近の円高局面は(1ドル=79円台をつけた)1995年と比べ行き過ぎた円高とはいえない。…実質実効為替レートでみると当時より円安だ。1ドル=100円からさらに円安が進めば、石油の輸入代金などが増えて日本経済にとってマイナス。あまり円安を煽るべきじゃない」
先に大意を示したドイツの二本の記事と、この意見とをよく読み比べながら、いかなる状況が進行しているのかをじっくり考えてほしい。その上で、早晩行き詰まりを見せざるを得ない「アベノミクス」後の対応を今から直ちに考える必要があるだろう。
民主党の空約束とその失敗、それに続く自民党の巻き返し、しかしそこには二重の障害が待ち構えている。先ず第一は、民主党の空約束をまるっきり後退させる(反古にしてしまう)ことは出来ないからだ。もう一つは、強引な景気浮揚政策(バブル政策)をとりこまなければ、政権奪取はおぼつかなかったことである。「アベノミクス」の崩壊は、次には下部階層への強引な犠牲の押し付けとなることは、先のバブル崩壊時と同じである。
日本共産党の若干の伸長は、字義通りには受け取れないが、それでも近い将来に左右の激突がありうることを予感させるものではある。そういうことを十分考慮し、今からそれに備えなければならないと思う。 2013.7.23
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座 http://www.chikyuza.net/
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