死刑廃止論へのプレリュード (12)
- 2013年 7月 28日
- 交流の広場
- 山端伸英
71.(第三世界における「机上の共和国」からの偏見に満ちた党派批判が、小生のYAHOOのポストにヴィールス付きで送られてきた。キチガイ染みているがプレリュードの一角においておく。1)
社会民主党がなにを目指す党かはわからないが「国家の殺人」である「死刑」に対する見解を未だに固めていない。要するに憲法を無視して自衛隊を正当化したこの政党であるから、「日本国憲法」が世界に深く理解され始めている現況の中では国権主義的な反動政党だ。この政党に投票する輩は、沖縄をはじめいくつかの例外はあるにせよ、社会民主党の民衆への媚と国権への権威主義的執着とを分裂症的に共有化しているのであろう。
「国家の殺人」に現在の社会民主党は自覚をもってNOとは言えないのである。理屈は通りいっぺんに決まっている。ほとんど自民党と同じである「被害者のご家族の…」。異なった刑罰条項を市民参加の下で構築し適用する意気込みさえ見せずに同じことの繰り返しで、票数まで失い続けてきたこの社会民主党は今や組織政党でもない。そのくせ昔の労組依存体質をもって生きながらえようとしている精神疾患政党である。根底からの市民政党への実質的自己改革は今、早急に行われなければならない。もう村山や土井みたいな大言壮語で交通違反専門の年寄りはいらない。凶悪犯は強制労働だなどと言いかねない若くて無軌道な連中を早く党の前面に出すべきだろう。若い青二才の、システムに甘え果てて年金暮らしのクソ大人意識や経験を気取らない、新しいリーダーシップを得ることだ。それができないなら、あるいは潔くつぶれてしまえ。
今までの出世民主主義的機構信仰(これは保守反動として俗受けしていた尾形典男の用語)である日本イデオロギーを撤回できなければ、放射能の拡散は深まり福島だけで徐々に日本民族は滅びるだろう。3月11日から現在までの東電の執行部の動きを見直し給え、国権主義(親方日の丸)と自己防衛だけの繰り返しで、それは結局東大卒業生たちの発想そのものの事なかれ主義と出世主義の漫画ストーリーに過ぎない。都合の悪い問題は、ゴミ箱に捨てて蓋をしたいのだ。それが実は「死刑」の本質でもある。
破滅を避けることのできる創造的リーダーシップをとる人材は開かれた社会主義の再建者でもあるだろう。
72.(またも第三世界における「机上の共和国」からの偏見に満ちた党派批判が、小生のYAHOOのポストにヴィールス付きで送られてきた。2)
この日本というヤフー国家の悲劇は彼らの主人たちであるべき馬どもが完全にヤフーどもの状況を前にして無力感に陥っていることだろう。大体、この国には憲法に対する完全保守の立場がない。始めっから立憲国家を敗北の恨みといがみと卑怯なへつらいで承諾した負け犬下郎どもなのだ。吉田茂やその辺の自民党風情の連中にとっては日本国憲法は始めっから従うつもりなど毛頭ない、日本の一部知識人とアメリカの理想主義派との合作でしかないのだ。
そして、現在までの「民主党」も基本的には自民党と同じスタンスを取っている国民だましの装置でしかない。その証拠に「護憲派」も「改憲派」も見事な呉越同舟の状態なのに、少しも調和が取れない。非寛容に個人的諍いが絡まって芸能週刊誌も顔色を失う面白さである。多元主義から始めておいて多元主義に生きる原則を体得できないダニばかりで、「党組織」を破滅に追い上げながらバカげたショーを繰り返している。革新でも反動でもないとすれば何をイデオロギー的な共通項としているのだろうか。結局は国権である。だから、法務大臣の千葉の女性が「死刑執行」を面白半分に行った。「国家の殺人」について当の内部は乱れることもなかった。政治的利害が一致したのである。これでお互い仲良しだよねと女のムジナが同じ穴を探り当てたのである。
では、なぜこのような党が誕生できたのであろうか。結局、自民枠では職にありつけなくなったと悟った出世主義者たちが、異なった通路から勲章をもらえる装置を、互いに腹の裏を読みながら、これの俺の欲望が満たせるわいとニコニコ笑顔ででっち上げたのである。だから「死刑」なんてのは面倒臭くて不毛な話題でしかなく、てめえの出世とは関係ないから「憲法」同様に本当は変えてもそのままでもいいのである。ここに、民主党が何人もの小ボスどもに利用される理由がある。
このような党に期待を持っていた連中の気が知れないのだが、彼らが自衛隊を平和部隊として編成替えの議論さえしなかったことは、以上のすべてがかなり的を得ていることを証明しているだろう。彼らも、平和よりも戦争のほうが儲かると本心では思っているのであろう。平和に賭ける能力などは、諍いばかりやっている現状を見れば嘘っぱちもいいところだと分かるであろう。要するに自民党と民主党というのは、日本の出世民主主義における一期校と二期校の分類わけでしかない。
73.(またまた第三世界における「机上の共和国」からの偏見に満ちた党派批判が、小生のYAHOOのポストにヴィールス付きで送られてきた。しかし、今度は送り主そのものがヴィールス的になっており、もはや正気の沙汰とは思えないので読解できた二三箇所だけ皆さんお暇しのぎにコピーする。3)
日本にはまだ「共産党」があるらしい。日本社会党というのがなくなっちまって皆さん金持ちになりたくなってバブルボケだかなんだか知らないけど社会民主党という古典的な名前になったと思ったら変な仲間同士の世襲委員長が選挙もしないで続いているんだって。正にキューバを尊崇している連中だね。
だけど「日本共産党」は偉い。何せすべての特派員記者がメキシコからトンずらしても、きちんと赤旗の特派員をメキシコに残しているのを見ても偉い。記者によっては市民のデモ行進にもついてきているので時々挨拶したりしてしまう。
しかし、「死刑」については何を言っているのか、分からない。何か自分が一番先に「死刑」されかねない気がして怖い。
公明党は社会的なリーダーシップの不足を生きている。安倍が現在のリーダーだけど。
政権に就くうまみを知ってしまうとバブル意向、かなり体質に変化があったかもしれない。
要するに外国を流浪していると何もかも分からないまま奴隷の生活をするようになり、つまり自分では先住民と一体化したような気になりながら顔だけは日本人をやっている。流浪のヤフーといったところか。
「机上の共和国」というのが訳として妥当かどうかは分からないが実はガリバーにもオディッセイにも机を前に座って構想する時間などなかったはずだ。マルクスは奇跡的にもそういう時間を持てたらしく「ルイ・ボナパルトのブリゥメール十八日」(岩波文庫)に中にこれを持ち出している。
「ちきゅう座」に掲載された記事を転載される場合は、「ちきゅう座」からの転載であること、および著者名を必ず明記して下さい。