官僚機構が不滅の理由
- 2010年 10月 13日
- 時代をみる
- 官僚機構浅川 修史
「官僚支配は右手に政治家、左手にマスコミを使うことで成り立っている」。
昔のことになるが、こんな指摘を大蔵省(現在財務省)の高官から聞いた。この元高官はその後大学教授になり、今でもテレビなどでコメントしている。
同時期、米国政府の高官は、「日本の大蔵省は男を女に変える、女を男に変える以外のことは何でもできる」と語っていた。また、米国通商代表部にいたグレン・フクシマ氏は、「日米で会談すると、政府間の協議でない文化交流などの場でも、日本側の出席者は官僚や特殊法人職員、国立大学教授など、いずれも官の息がかかった人々ばかりだったことに日本の特殊性を感じた」と語っている。
こうした「何でもできる」日本の官僚制度は明治14年(1881年)の政変に起源を置けば、すでに130年の歴史がある。あまたの法律で国民を統治し、国民生活の隅々に影響を及ぼしている。官僚機構は国民が選挙で選んだ政治家(特別職公務員)をコントロールしている。同時にマスコミ(以下記者クラブメディア)を駆使して、国民の意識をコントロールし、世論を形成する。こうした鉄の三角形は、露骨な暴力支配を隠せなかった旧ソ連に比べて強靱である。そこには、「公務員は全体の奉仕者」(憲法15条)という姿はない。
選挙で選ばれない「永久官」(大隈重信の表現、ちなみに政治家を大隈は「一時官」と呼んでいる)高級官僚と呼ばれる一握りの集団が実際の統治者であり、支配者である。
「日本支配しているのは独占資本家」。こんな理論を大学時代に「経済学」と名のる講義で教えられた。だが、堤義明事件などの実態を見ると、こうした俗流マルクス主義が空虚に思える。
官僚機構は生物と同じように敵となる異分子を排除し、生命を奪う免疫機能を持っている。民主党政権になって、鳩山・小沢時代には、「政治主導」「対等な日米関係」がうたわれたが、管政権になって、これらの主張は消えた。民主党は今や国会答弁における立ち振る舞いまで自民党に似てきた。
官僚機構の無意識的な免疫機能は小沢一郎氏を民主党代表から排除し、幹事長から排除し、代表選で勝利することを許さなかった。官僚機構と一心同体になって、小沢氏排除に動いたのは記者クラブメディアだった。そこでは朝日、読売、毎日、産経が一体になり、日頃の主張の差異は消えた。
あまりの露骨さに言葉を失う。インターネットが普及し、言論、世論に一定の影響を与えるようになったが、記者クラブメディアが本気を出せば、とうてい太刀打ちできないことが証明された。
官僚機構の第3者の支援者として、筆者がいつも思うには、日本共産党の存在である。日本共産党は今では大きな議席を持たない少数政党で、党員の高齢化も進み、活力は低下しているが、それでも多くの知識人を集め、多くの地方議員を擁するなど、社会的影響力は残っている。筆者の経験でも高校の担任教員、大学教授、会社の先輩など周辺に多くの日本共産党員やシンパがいた。
ところが日本共産党は「独占資本」「大企業」を批判するが、官僚機構を批判することは少ない。難関大学の卒業生が多く、知識人主導で、細部にこだわる文化は官僚機構を同じである。
日本共産党は東京地検特捜部が捜査する事件などでは、官僚機構を両手を上げて支援する。こうした日本共産党に見られる思考方法や文化の官僚機構との親和性は、日本社会党(現社会民主党)や新左翼系にも見られる。
話は飛躍するが、本当の「支配者」「統治者」が官僚機構と認識できなかった(意識的にしなかった?)左翼・リベラル派の態度が「不滅の」官僚機構をもたらしているように思えてならない。
彼らは本当は体制派だったのだ。
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座 http://www.chikyuza.net/
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