私のメデイア時評 ―「書かないこと」と「書くこと」―
- 2013年 9月 9日
- 評論・紹介・意見
- 半澤健市品川正治
《品川正治氏の死亡記事の意味》
元日本火災海上保険社長で経済同友会終身幹事の品川正治氏が8月29日に89歳で亡くなった。氏は財界人としては珍しく護憲と反戦を公然と訴えていた。武器輸出三原則の緩和にも反対であった。新自由主義にも批判的だった。私自身も数年前に、氏の熱意のこもった講演を聴いたことがある。
朝日、毎日、読売、日経、産経、東京の6紙は9月6日に死亡記事を載せたが、氏の平和主義にスペースを割いたのは東京、朝日の2紙であった。毎日は死亡記事中に数行挿入した。他の3紙は氏の思想と行動に全く言及しなかった。大手新聞の記者が品川氏の動きを知らぬ筈はない。憲法「改正」が最大の政治テーマである今、氏の護憲・反戦を書かないのは意図的だと思う。「書かれていないこと」は「なかったこと」ではない。しかしメディアの読者には「書かれていないこと」は「なかったこと」と同じである。
《ファシスト独裁であろうが、議会制であろうが》
京大教授の山室信一氏が「「崩憲」への危うい道」という論文を書いた(『世界』、2013年10月号)。麻生太郎の「ナチ憲法」論を切り口にした改憲風潮への批判である。その結語部分で、ナチス指導者ゲーリングが独房で米人のインタビューに応じて、次のように語ったと書いている。
「もちろん、普通の人々は戦争を望まない・・・しかし、政策を決定するのは最終的にはその国の指導者であるのだから、民主政治であろうが、ファシスト独裁であろうが、議会制であろうが、共産主義独裁であろうが、国民を戦争に引きずり込むのは常にきわめて単純だ・・・そして簡単なことだ。国民には攻撃されつつあると言い、平和主義者を愛国心に欠けていると非難し、国家を危険にさらしていると主張する以外に、何もする必要がない。この方法はどんな国家についても等しく有効だ」。
ゲーリングの言葉にハッとし納得する。今の日本メディアにはこの種の言説が溢れている。
それどころかその先へ行っている。品川氏の死亡記事は、「平和主義者を愛国心に欠けていると非難」することさえやらない。財界には希な平和主義者の存在自体を無視しているからである。日本メディアの伝統ある言論統制は強化の一途を辿っているようだ。
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