朝鮮学校の良さを知ってもらいたい: 原京子レポート&映画「ウリ・ハッキョ」紹介
- 2013年 9月 13日
- 評論・紹介・意見
朝鮮学校ってどんなところ?
(横浜朝鮮学校訪問記と映画“ウリ・ハッキョ”のご紹介)
東京・新大久保、大阪・鶴橋で“凱旋”を行っている一部団体の常軌を逸した行為が問題となっている。また、“ネトウヨ”(ネット右翼)と呼ばれる人種が出現し、ネット上で在日コリアン・韓国人・中国人を誹謗している。
北朝鮮情勢が緊迫してくると、マスコミ報道が過剰になり、これまで朝鮮学校を援助していた各地方自治体も、補助金の次年度予算案への計上を見送る方針に変わってしまった。
東京・町田市では、市内の小学校の新入生にこれまで配布してきた防犯ブザー(私立の場合は、希望する学校には配布していた)を、朝鮮学校の児童には配布をしないと教育委員会が決定した(2013年3月)。配布取りやめの理由は、「社会情勢と市民感情に照らし、今回は配布できない」ということだった。町田市の防犯ブザーの一件には多くの抗議が寄せられ、その後町田市教育委員会はこの決定を撤回した。
朝鮮学校については、「北朝鮮の思想教育をする危険な学校」のイメージが横行している。
私は、これまで多くの朝鮮学校の学生、卒業生と関わってきたが、“危険な思想”を感じたことはない。最近の朝校生からはむしろ、素直で純粋な印象を受けている。朝鮮学校を思想教育の場として考え危険視する方々のほとんどは、実際には朝鮮学校を知らず、朝鮮学校の学生と直接関わることなしに、イメージだけで判断しているのではないだろうか。
先日、横浜市在住の裵 安(ぺい あん)さんのご紹介により、朝鮮学校を訪問する機会を得たので、多くの人の中にある朝鮮学校への固定観念を払拭していただきたく、このレポートを投稿する。
神奈川朝鮮中高級学校・訪問
横浜駅から徒歩20分。小高い丘の中腹にあり、 “横浜朝鮮学校”として知られている。 |
2013年4月、学校法人・神奈川朝鮮学園(通称:神奈川朝鮮中高級学校)を訪れた。横浜駅より徒歩20分ほどの所にあるこの学校は、神奈川朝鮮中学校として1951年に開校した。現在は、中・高校があり、近郊に在住する生徒たちが通学している。(同じ敷地内には横浜朝鮮初級学校という小学校もある。)
現在、全国に大小あわせると80余校あるという朝鮮学校の中でも、神奈川朝鮮中高級学校は大きな規模のもののひとつである。
迎えてくれた張末麗(ちゃん まるりょ)先生は、朝鮮学校での教師歴30年以上のベテラン先生。教師として、同胞として、時には母親の眼で学生たちを見守り育てている。
「言葉を話すことで朝鮮人としての自覚が芽生えると思います。朝鮮語を学ぶ機会として朝鮮学校に来るというのが、一番の理由ですね。」
これだけの校舎を造り上げた、一世たちの“想い”の強さを感じる |
日本の中で育っている朝鮮人の子供たちは、日本の社会の中で、日本のテレビ(ニュースを含め)を見て、日本の食べ物を食べ、日本語を話して育つ。その中で民族を意識していくことには、大きな努力が必要となってくる。その中でも、特に言語の習得が、保護者が学校に期待する最も大きなものであるという。朝鮮学校に行かないと朝鮮語を習得する機会がないため、母国語を話せない在日の若者も増えてきている。言語を話せるかどうかは、民族のアイデンテイテイ-を保つために重要なものである。
実際に、授業を参観させてもらった。教室の雰囲気は、明るくて柔らかい感じで、いわゆる“北朝鮮のイメージ”とはかなりかけ離れている。
20数名の生徒が机を並べ、見学者を少々意識しながらも、積極的に授業に参加していた。
凛とした先生の朝鮮語が教室に響く。授業は、すべて朝鮮語で行われる。小学校から入学すると(幼稚園から朝鮮語を学ぶ子もいる)、通算12
年の間朝鮮語で学ぶ。日本生まれの子供たちは、初めは全く朝鮮語がわからずに入ってくるが、すぐに習得してしまうという。
学校内で飼われている犬は、みんなにかわいがられている。 朝鮮半島原産の、由緒正しい血統の末裔だという。 |
ウリ・マル(朝鮮語)の授業では、先生に示された生徒が前に出て、朝鮮語で朗々と詩を朗読する姿が印象的だった。
女性の先生は、みな民族衣装を着て授業をしている。男子学生は、ブレザーの制服だが、女の子たちは今は見かけなくなったチマチョゴリ風の制服を着用。この制服を着ているとターゲットになりやすいので、学校外では、普通のブレザーにスカートの制服で、学校に来てから民族衣装の制服に着替えるという。
以前は各教室の中心においてあったという金正日の写真も、見学した教室内には見られなかった。(飾られている教室もあると、説明を受けた。)
英語、朝鮮語、生物と3つの授業を見学させてもらったが、どれもテンポの良い授業で、先生たちの意気込みが感じられた。授業は少人数のためか教室内に活気があり、先生の眼が全体に行き届いているように感じる。現在の日本の学校で失われつつある、古き良き時代の先生と生徒のつながりが今でも生きているような印象を受けた。
授業風景を見学させてもらい、教室を出る時にちょっと目の合った数名の生徒は、みんなニコッと笑顔で、礼儀正しく会釈してくれて好感が持てた。
和やかな雰囲気の教室内。 先生の目が行き届いているという感じがする。 |
「多くの生徒が在日の家庭の子供ですが、国籍は韓国籍、朝鮮籍と様々です。最近では、韓国語を学びたいという日本人の入学希望者もいます。」と、張先生。
日本の政府からの補助がないため、高い授業料を払ってでも“母国語を身につけて民族としての誇りを持ちつづけて欲しい“という、親御さんの強い思いを感じるという。
「朝鮮学校と言うと昔はちょっと悪いイメージがあったかもしれませんが、外で悪いことをしてしまう子たちも、私たちには素直なかわいい子でした。外では、構えていたのかもしれませんね。今は、そういう問題も全くなくなりました。」
父母(保護者)も大変協力的で、そのサポートがあるからこそ、学校が成り立っていると張先生は言う。多くの父母が朝鮮学校の卒業生ということもあるが、日本の学校で育った父兄が“我が子の教育はウリ・ハッキョ(朝鮮学校)で”というケースもある。
教員は、“日本の公立校よりかなり安い”給与で、それでも子供たちへの愛情と民族教育への情熱を持って、現場に立っているという。先生と父兄の強い信頼関係と協力がうかがわれる。「最近問題になっている教育現場での暴力も、ここでは問題なしです。“これだけのことをしたら、これくらいは当然だよね!?”と、ゴツンとやることもありますが、生徒も納得しているし、父兄も理解してくれます。」今時、珍しいタイプの学校かもしれない。
入学おめでとう応援隊”募集のポスター。 |
「卒業生は、朝鮮大学や、多くは日本の大学に進学しています。その後も社会の様々な場所で、朝校出身者が出て行って活躍しています。それだけ教育の質も高く、社会的にも評価されているということだと思います。これまで“多文化共生”を掲げてやっていた神奈川県が、昨今の情勢を受けて朝鮮学校の助成金の計上を見送ったことは、とても残念です。これまでとても良い関係が続いていたので、神奈川県の職員の中にもこの措置に驚いている人がたくさんいます。」と、裵さん。これまで、思想教育をしているかどうかの“査察”を受けながらも、県からは理解を得ていたという経緯があるので、今回の措置には納得できないものがある。
神奈川朝鮮中高級学校は、地元とも共存して存続してきた。
校舎の中に“朝鮮学校の入学式に行ってみませんか?”というポスターをみつけたた。学校を知ってもらうための新しいイベントか?と思い質問したら、「ああ、それは、日本人の有志の方がボランテイアで初めてくれたものです。」とのこと。それまで朝鮮学校を温かく見守ってきた地元の人たちによって、様々な嫌がらせやバッシングを受けながらもがんばっている子供たちを応援しよう、入学式は明るい気持ちで迎えてもらおうと結成されたのが、この“入学おめでとう応援隊”だという。2003年に始まり今年で10
年、オレンジ色ののぼりを立てて入学式を盛り上げてくれている。心温まる企画である。
映画“ウリ・ハッキョ(私たちの学校)”
もう一つ、朝鮮学校を知るための映画をご紹介する。
「ウリ・ハッキョ」(監督:金明俊・キン・ミョンジュン、2006年・韓国映画)である。ウリ=私たちの、ハッキョ=学校という意味で、在日コリアンの間では、朝鮮学校を親しみを込めて“ウリ・ハッキョ”と呼んでいる。
映画「ウリ・ハッキョ」ポスター |
日本にある朝鮮学校については、日本人もだが、韓国人にもあまり知られていない。この映画は、韓国人の金監督が、北海道朝鮮初中高級学校の寄宿舎に3年半滞在し、先生や生徒と深く関わり合いながら撮影したドキュメンタリー映画である。
朝鮮学校はいったいどんなとことろであるか、実際にその中で暮らした韓国人・金監督の目で温かく描かれており、多くの人々の共感を呼んだ。韓国では、劇場公開された記録映画としては過去最大の動員数を記録し、2006年釜山国際映画祭雲波賞(ドキュメンタリー部門の最優秀賞)、大韓民国映像大賞最優秀賞を受賞している。(日本では、自主上映のみ。)
朝鮮学校の生の姿を知っていただくために、是非、実際に観ていただきたい映画(DVD)だが、朝鮮学校および在日コリアンの立場を理解していただくために、映画の中の金監督の言葉を引用する。
日本の敗戦により、その時まで日本国籍だった在日同胞には、植民地以前の朝鮮国籍が与えられた。 しかし65年の日韓協定以降、韓国籍を取得した同胞に多くの有利性が付与されると、韓国籍を取得する在日同胞が急激に増えた。これは在日同胞社会の二分化を加速させる結果を招いた。今でも朝鮮国籍を変えない同胞たちは、いまだに消えうせた朝鮮、あるいは記号としての朝鮮、すなわち無国籍者として存在しているのだ。多くの同胞が、故郷は南・祖国は北と話すのも、さかのぼれば理由がある。
学校が建てられた初期、いちばん困難だった時代から現在まで、教育援助費を送り続ける北の政府に比べ、南の政府は数十年に及ぶ棄民政策、すなわち在日同胞のことは日本の政府の方でやりなさい、という態度と、各種のイデオロギー攻勢に終始したのだった。
この事実が、生徒と先生たちには、故郷は南だが、自分たちを理解して大切にしてくれる祖国は北だという思いを生ませたのだ。
固定観念を抜きにして、多くの方々に“朝鮮学校”の良さを知っていただきたい。
原 京子(はら・きょうこ)
フリーランス・ライター。神奈川県出身。1990年、在日コリアンの夫と結婚。1994年、渡加。現在は、バンクーバー郊外に在住。異文化の中での5人の子供の子育ての経験を通して、主婦として母としての視点から、情報を発信。バンクーバー九条の会・会員。平和を考える会「White Rock の会」・共同主催
初出:「ピースフィロソフィ―」2013.9.11より許可を得て転載
http://peacephilosophy.blogspot.jp/2013/09/blog-post_11.html
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座 http://www.chikyuza.ne/
〔opinion1450:130913〕
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