福島第一元作業員の証言(9/11神戸新聞)
- 2013年 9月 16日
- 交流の広場
- chiba
神戸新聞に、先月亡くなられた福島第一元作業員の話が掲載されました。
記事3本紹介します(一部抜粋)。全文はURLからご覧下さい。
神戸新聞NEXT
地震で配管落下 続く場当たり体質 福島第1元作業員の「遺言」
(写真入り)
http://www.kobe-np.co.jp/news/shakai/201309/0006327170.shtml
2013/9/11 07:10
東電のずさん体制糾弾 「現場体験、伝えなくては」
http://www.kobe-np.co.jp/news/shakai/201309/0006327168.shtml
2013/9/11 08:00
福島第一元作業員の「遺言」詳報 東電、信用できない
http://www.kobe-np.co.jp/news/shakai/201309/0006334811.shtml
2013/9/13 16:13
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地震で配管落下 続く場当たり体質 福島第1元作業員の「遺言」
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東日本大震災から11日で2年半。節目の日を前に、福島第1原発事故発生
時に1号機で働いていた一人の男性作業員が亡くなった。全身に転移したがん
と、石綿(アスベスト)が原因とみられる肺線維症(じん肺)に侵されていた。
男性は5月下旬、神戸新聞の取材に応じていた。事故後の東京電力の対応を批
判し、「このまま日本各地で原発を再稼働すれば『安全神話』が復活するだけ
だ」と危機感をあらわにした。
福島県郡山市で暮らしていた木下聡さん。原発の電気設備を専門にする技術
者で、東電の3次下請けに当たる同県大熊町の会社に40年間勤め、昨秋に退
社した。その直後、肺線維症と診断され、肺がんも判明。8月5日、65歳で
亡くなった。(中略)
場当たり的な体質は変わらない。「素人工事の結果だ。熟練作業員が線量
オーバーで現場に入れなくなっており、同様の原発事故は今後も起きるだろ
う」と強調した。
「簡単には死ねない。話せるうちに体験を伝えたい」と話していた男性。
この時の取材が「遺言」となった。
(木村信行)
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東電のずさん体制糾弾 「現場体験、伝えなくては」
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・・・「余命8カ月」と宣告されていた。「地震の影響と向き合わない東京
電力は、何も変わっていない。私の経験をもっと伝えなくては」。そう語って
いたが、帰らぬ人になった。
地震直後、1号機の冷却装置「非常用復水器」は作動せず、メルトダウンの
主因の一つとされる。木下さんは「現場にいた私たちに明確な指示があれば動
かせた」と指摘。東電などの調査で、当直の社員が使い方を知らなかったこと
が判明しており「情けない。結局、すべてがメーカー任せだった」と憤った。
稼働40年になる1号機の老朽化にも言及した。「重要器具は定期検査で交
換するが、周辺の装置はそのまま。どんどん配管を増やし、防火剤を塗りつけ
るから、設備の重量は設計基準を大幅に超えていた」(中略)
福島第1原発の全電源喪失と地震の関係について、事故後に設置された政府、
東京電力の両事故調査委員会は「無関係」と否定する。しかし、木下さんは
「内部はすさまじい破壊ぶりだった」と証言した。(中略)
木下さんは原発事故の1カ月後、避難先の青森県から呼び戻され、1~4号
機の電源車のケーブル敷設作業に従事した。(中略)木下さんを支援していた
福島県の労働関係者は「実際は長年、被ばく線量を低くごまかすため若い作業
員の線量計を借りて現場に入った、と本人は言っていた。放射能と発がんの関
係は否定できないのではないか」と話す。
(木村信行)
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福島第一元作業員の「遺言」詳報 東電、信用できない
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福島第一原発事故が起きたとき、1号機内部にいて、今年8月にがんで亡く
なった元作業員の木下聡さん(65)の証言は次の通り。
■事故当時の様子は
あの日は午後から、1号機で定期検査のための足場を組む作業をしていた。
1階には私と同僚の2人。4階に元請けと協力会社の4、5人がいた。
最初の揺れはそれほどでもなかった。だが2回目はすごかった。床にはいつ
くばった。(中略)危ないと思ったら案の定、無数の配管やケーブルのトレー
が天井からばさばさ落ちてきた。落ちてくるなんてもんじゃない。当たらな
かったのが不思議。(中略)正門を出た。いつもなら浜側の道を通るが、陥没
していたから、山側の道を行った。あのまま浜の道を通っていたら、津波にや
られとった。
東電は「全電源喪失と地震の揺れは無関係」と言っているが、そんなのあり
得ない。謙虚に検証する姿勢がないと、安全神話が復活する。
そもそも、運転開始から40年になる1号機の老朽化はすごかった。重要器
具は定期検査で交換するが、周辺の装置はそのままだ。追加、追加でどんどん
配管を増やし、耐火構造にするために防火剤を塗りつけるから、重量は半端
じゃなかった。設計基準を大幅に超えていたはずだ。(中略)鉄筋をモルタル
で塗り固めるときもクレーンで流し込むだけ。本来はバイブレーターを使うが、
竹の棒で突っつくだけ。施工はひどいものだった。だから水素爆発で粉々に吹
き飛んだ。
■東電への思いは
ずっと世話になったが、今は言っていることの半分も信用できない。事故後
の対応については新聞をずっと切り抜いている。「4号機の建屋、問題なし」
という記事があるが、そんなのうそっぱちだ。あれだけ揺れて「問題なし」だ
なんて。
事故後の対応は全てメーカー任せだった。正常に作動していればメルトダウ
ンを防げた可能性がある非常用復水器(緊急時に原子炉の蒸気で冷却)も、当
直の社員は使い方を知らなかったって言うんだから。当直の人は、中央制御室
の操作はできても、せっかくの冷却装置を使えない。訓練もしていなかったっ
て言うんだから、恐ろしい話だ。(中略)熟練した作業員が線量オーバーで入
れなくなっているから。今後も事故は起きるだろう。
人生のほとんどを原発に捧げてきたのに、情けない。のんびり暮らそうとし
た途端、病気が分かった。体力は元気なときの10分の1になって、ペンも持
てなくなった。
だけど、簡単には死ねない。納得できない。俺は俺で、じたばたして生きて
みせる。
(聞き手・木村信行)
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