地獄への道は善意で敷き詰められている ―レトリックを操る政治は破滅への道―
- 2013年 9月 21日
- 時代をみる
- アベノミクス盛田常夫経済
いったい経済学は科学かそれともイデオロギーか。これは古くて新しい問題。一昔前、マルクス経済学はイデオロギーで、「近代経済学」は科学と断言する学者が多かったが、何のことはない、マルクス経済学が姿を消したら、「近代経済学」のイデオロギー性も明々白々になってしまった。経済学の理論分析は現実分析からかけ離れた「頭の体操」の域を出るものではなく、ほとんどの理論が経済政策にまったく役立たない。だから、多くの政治家は経済学を勉強しなくても、GDP成長率を語り、専門家のように経済政策を語る。経済学など学ばなくても、経験だけで政策を語ることができる。
経済学の現状がこうだから、政治家に助言しているという「学者」も、理論的分析に裏付けられた政策を提言しているわけではなく、たんなる「勘」で話を作っている。ところがその「勘」も当てにならない。会社勤めの経験もない学者の「勘」など、現実の経済運営にあまり役立たない。会社経営者の方がよほど気の利いた提言ができる。経済学が扱っている理論と現実政策との間には埋めることのできない距離があるから、政策の正当性を理論的に評価することすら難しい。金融政策効果をめぐって経済学世界が二分されている現状はそのことを物語っている。経済学がまだ科学のレベルに達していない証左であることは確かである。金融緩和政策の評価すら明確にできない学問が、「科学」の冠をいだく資格はない。
消費税率引き上げに政治家や政党の政治的配慮の余地があることは理解できるとしても、「学者」と称する内閣顧問が「景気の腰折れ」を心配して、税率引上げの先延ばしや、1年ごとの漸次的引上げを提言するのは笑止千万。これなどは実務を知らない学者の典型的な観念論である。理論家と称する「学者」が目先の一時しのぎの政策を提言するのでは、学者の資質が疑われるというものだ。このような「専門家」が助言者では、安倍内閣の経済政策の先が見える。
「異次元政策」はレトリック
「異次元の金融緩和」と鳴り物入りで喧伝された政策は、なんのことはない、「新規発行国債の7割を日本銀行が買い取る」ということ。誰も考えもしなかった妙案を考えついて日本経済復活への道筋をつけたような印象を与えているが、これこそ金融緩和イデオロギーにほかならない。「異次元」という修飾語は、この政策の本質を隠すためのレトリックにすぎない。それを真に受けた日本のマスコミはまんまと安倍内閣の「アベノミックス」イデオロギーの術中に嵌(はま)った。
国債の7割も日銀が引き受けたらどうなるか。事実上、日銀が財政ファイナンスを始めたとみなされても仕方がない。長期国債市場が機能しなくなり、政府の国債発行に歯止めがかからなくなれば、日本経済は制御不能なインフレに陥る。理論的にも歴史的にも、中央銀行の国債直接引受けは経済政策の「禁じ手」だ。「異次元緩和」とは日銀が「禁じ手」の採用に踏み込んだことを意味する。そのリスクに警鐘を鳴らすのではなく、あたかも究極の経済政策のように煽り、「アベノミックス第一の矢」などと宣伝するのは、イデオロギー的扇動以外の何物でもない。
日銀の国債引受けは長期国債市場の信用低下(価格下落=利回り高騰)を招き、日本は将来の国債消化に大きなリスクを抱えることになる。国家財政の累積赤字がGDPの2倍を超える日本にとって、国債市場の信用低下は、「日本売り」による財政破綻と、円の暴落を惹き起す可能性がある。
安倍内閣の「学者」顧問と異なり、黒田日銀総裁が消費税引上げの完全実施を主張するのは、辛うじて国債の国内消化による財政補てんを維持している日本経済に、これ以上の信用低下が許されないからだ。日本国債の信用が低下すれば、日銀保有の国債は不良資産に転化し、他方で国家財政は国債利払いによって、さらに財政収支が悪化する負のスパイラルから抜け出せなくなる。外国の投資ファンドはこのような日本経済崩壊のシナリオ、つまり財政ファイナンスが負のスパイラルに入るその時を虎視眈々と狙っている。そんなことも露知らず、「アベノミックス第一の矢」などと浮かれている日本のマスコミは、脳天気と馬鹿にされても仕方のないほど、「井の中の蛙」なのだ。
それもこれも、金融が経済のすべてと錯覚している一部の「学者」のイデオロギーが経済政策を先導しているからである。貨幣数量がすべてを決めるかのようなナイーヴな単純理論が幅を利かせ、金融緩和すれば問題がすべて解決するかのような幻想に嵌っている。目的であろうはずもない物価上昇率を唯一の経済政策目標とせざる得ないほど、経済政策に打つ手がないのだ。
「デフレ性悪・インフレ性善」説のイデオロギー
日本の経営者や政治家の頭の中にあるのは、高度成長時代の成長とインフレの共存だ。1960年代から70年代にかけて、団塊世代が労働力人口に加わり、日本経済は年間200万人を超える労働力人口の増加をみた。これが高度経済成長を支えた基礎であり、経済の量的拡大は資材の需給をひっ迫させ、それが価格を高騰させると同時に、資材の増産を促進して、価格高騰が増産を生み、やがて賃金の上昇を生むという好循環が展開した。ここからインフレは「善」という単純な発想が生まれた。ケインズも「インフレよりデフレの害の方が大きい」と指摘したことも、「インフレ性善説」の基礎になっている。
物価水準が上下するのは貨幣経済現象だが、その背景には実体経済の浮き沈みがある。実体経済と貨幣現象のどちらに基本的な原因があるかは明確だ。ところが、浜田内閣参与などは、デフレは貨幣現象だから通貨量をどんどん増やしてインフレにすれば、景気は良くなるという単純な貨幣数量説を真面目に展開している。それに便乗して、数学者の藤原正彦までが調子に乗って、「ヘリコプターから札をばら撒け」という単純なインフレ礼賛を展開している。
こういうお馬鹿さんたちが陥っている過ちは、通貨量という比較的分かりやすい経済指標だけに頼って経済を議論していることだ。浜田参与も藤原氏も経営実務に就いたこともなければ、実体経済の知識があるわけでもない。だから、経済の本質を捉えることができない。
貨幣現象にではなく、実体経済にデフレの本質がある。金融動向だけに気を取られているエコノミストには、こういう経済のイロハが分からない。日本経済はもう倍々ゲームで量的に拡大していく時代を終えてしまった。もうこれからの日本は、人口も労働力人口も減っていくし、それにつれて生活に必要な耐久消費財の必要絶対量が減っていく時代に入っている。もう車も家電機器も飽和状態で、次第に需要が減退してく。日本経済はそういう大きな歴史的転換期にさしかかっている。もう、行け行けどんどんで、量的拡大が見込める経済ではないから、高度成長時代のように、「量的拡大からインフレ増進、さらに賃金上昇」というスキームで描くことができない。ところが、経営者も政治家も一昔前の高度成長時代の量的拡大の発想から抜け出ることができない。
これからは量から質への転換が必要となる。それはインフレが主導する量的拡大ではなく、物価と賃金の安定による生活の質の転換である。物造りが量から質へ転換していく時代には物価と賃金の新たな安定的な関係が生まれてくる。そういう時代に、物価が下がり、賃金も下がって、新たな物価-賃金関係が生まれることに、何の不思議もない。物価と賃金が上がり続けなければならないというのは、量的拡大時代の古い観念に外ならない。最初から「デフレは悪で、インフレが善」という単純な観念では、新しい時代を乗りきることはできない。
量的拡大政策から質的転換政策を必要とする日本経済には、これまでと異なる、それこそ本当に「異次元」の経済政策が必要だ。それは日銀が国債を買い取って財政ファイナンスするという間違った道ではなく、財政健全化へと舵を切り、将来世代の生活インフラを構築するという新たな国造りへの道以外にない。民間企業は短期的な収益で右往左往しているから、「国家百年の計」を考えることなどできない。政府こそが大局的歴史的視野に立って、日本経済の行く末を示さなければならないはずである。ところが、安倍内閣は民間企業のように、目先の利益だけを追求している。前へ進むことだけを考える時代は終わった。日本は今、一歩立ち止まって、百年の計を考えるべき時にある。政治家への助言や進言はこのようなものであるべきだろう。そういう歴史的視野のない「学者」は、政治家の下僕(げぼく)=御用学者と言われても仕方がない。
「円安救国」イデオロギー
一部の輸出産業の利益が最優先されて、あたかも円安によって日本経済は救済されるような幻想が振り撒かれている。戦後の1ドル=360円時代から現在の為替水準へ移行は日本経済の発展の賜(たまもの)である。ほんの数十年前まで、一般市民が海外旅行することなど夢の夢だった。アメリカへの往復航空運賃は父親の年収ほど高かった。輸送コストの削減もあるが、円が強くなったお陰で、海外渡航や留学が容易になり、海外から輸入される資源や資材の価格が下がって、日本経済や市民の生活がどれほど潤っていることか。経済が強くなり、通貨も強くなることによって、今まで実現できなかった夢が実現する。多くの発展途上国が夢に見ていることを、何十年にわたる経済成長を通して実現したのである。通貨が強くなることによって、国民生活が向上するという基本的な事実を忘れてはいけない。
経済が強くなり為替水準が上がっていくという基本認識と、短期・中期の為替相場が国民経済間の経済力を反映しているか否かは別問題である。それを一緒くたにして、「円が安ければ安いほど日本経済にプラス」と単純化するのは大きな誤りだ。
アベノミックスが国外投資ファンドの「日本売り」を惹き起し、円安をもたらした。政府・自民党はこれをアベノミックスの成果だとし、これを推奨した浜田参与と本田参与のお陰で、日本経済は数兆円の利益を得たと強調している。しかし、いったいこの数兆円の中身は何か。円安差益と株価上昇による資産価額の増加分の合計だろう。博打が好きな連中は儲けた時は声高に誇るが、負けた時はダンマリを決め込む。株式売買はゼロサムゲーム。株式売買で国民の付加価値が増加することはない。株式運用で散々損しておいて、たまに株価が上がって資産増を強調するのは詐欺行為だ。「官僚の商法」で年金資産を食い潰しておいて、株価上昇で数兆円の資産増が達成されたなどと騒ぎ立てるのは笑止千万。
円安で一部の輸出産業は「棚ぼた」利益を得たが、海外で円を使う旅行者は円安の直撃を受けている。たとえば、ユーロが対円で3割も上昇したために、海外の旅行費用が3割もアップした。ユーロの実勢を考えれば1ユーロ=100円が良いところ。明らかにユーロは過大評価されている。消費税3%増の比ではない。旅行者1人当たり10万円の差損と計算して、年間出国者1600万人を掛けると、1兆6000億円の差損になる。なんのことはない、輸出産業が儲けた分、旅行者が損しているだけなのだ。これに原材料費の高騰による輸入品価格引上げで被った家計支出増を加えれば、さらに数兆円の為替差損になる。国民が被った「数兆円の円安差損」に頬被りして、「数兆円の円安差益」だけを一方的に強調するのは、政策詐欺行為だ。
アベノミックスによる「日本売り」を「善」とするのは、目先の利益に囚われた愚かで浅はかな考えである。それを救国政策のように有難がるのは、信仰に近いイデオロギーだ。
「消費税引上げ」をめぐる怪
国家財政の累積赤字がGDPの2年分を超え、年間予算の半分が国債に頼っている日本経済は、早晩大きな危機に直面する。年金積立金も2031年には枯渇するという試算が発表されている(厚労省試算)。要するに、日本の財政はすでに破たんしている。財政再建に残された時間はない。にもかかわらず、政治家たちはつまらぬ数字の辻褄合わせで右往左往している。
引上げ先延ばしか、1%ずつの引上げを主張する浜田・本田参与に配慮して、引上げ分3%のうち、2%を景気回復に使って参与の面子を立てようというのが安倍総理の考え。実務に疎い顧問の面子に配慮して、財政再建を遅らせるのは本末転倒。こんな消費税引上げは焼け石に水。財政再建の一歩すら踏み出せないだろう。こういう中途半端な引上げを繰り返していては、財政崩壊を押しとどめることができず、50年経っても国家財政の再建は実現できない。こんな体たらくが続けば、国外投資ファンドの「日本売り」によって、日本経済は深刻な危機を迎えることになろう。その時にはもう手遅れなのだ。
「地獄への道は善意で敷き詰められている」とは、まさにアベノミックスの行く末を言い当てている。
(関連する記事は、http://morita.tateyama.hu を参照されたい)
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