日本語英語はどこまで通じるか
- 2013年 10月 4日
- 評論・紹介・意見
- 日本語盛田常夫英語
もうだいぶん前になるが、夏季講習で学生をアメリカの姉妹校に引率した。日本の大学の語学授業を担当するのは文学専攻の教員がほとんどで、語学教育の専門教育を受けた教員はほんの一握りでしかない。教員が自分の好みに応じて文学作品の読解をやるのが日本の大学英語の授業になっている。だから、外国語授業を聴講してもまず現実生活に役立たない。しかも、こういう問題を指摘すると、文学専攻教員は語学教育を学問でないとばかりに馬鹿にし、「文学の専門家につまらぬ語学授業をやれというのか」と反発するのが常だ。日本の大学における語学教育はその存在意義が疑問視される分野である。
案の定、学生が発する英単語はアメリカ人には通じず、アメリカ人の英語発声も理解できない。「マクドナルドがどこにあるのか」という簡単な質問すら通じない。学校教育できちんとした発音訓練を受けていないことが原因だが、言葉に抑揚を付けることができないことも理解の障害になっている。しかも、日本では「英語のようで英語でない」日本語英語が氾濫しているので、何が正しい発声なのかを知るのも簡単ではない。
日本語の発声は平板だから、それと同じように抑揚を付けずに発声すると、ネイティヴは理解できない。「マクドナルド」という簡単な単語ですらそうなのだ。「そんな馬鹿な」、と思われる人がいるかもしれないが、ここに英語などの欧米語と日本語の発声の基本的な違いがある。
MacDonaldの発声では、Doが大きく強調される。しかも、「ド」ではなく、「ダ」という音になる。抑揚を付けずに「マクドナルド」と「べた」に発声しては駄目で、「マク ダ ナルドゥ」と発声しないと通じない。これは歌を歌う時に、メリハリを付けるか付けないかの違いのようなもので、平板な歌は聞くに堪えないのと同じで、日本人が一番苦手とするところだ。
たとえば、安倍首相の日本語は、早く喋ろうとすると語尾が曖昧になり、「舌足らず」になる。それを注意して矯正するアドヴァイザーがいるのだろう、国際会議ではゆっくりと、一つ一つの単語をきちんと言いきるように努力しているのが分かる。英語スピーチでもそこをとくに気を付けているようで、すべての単語を一つずつ同じ強度で発声している。政治家の英語としてはマシな方だが、個々の単語を発音しているだけでは、「言っていることは分かる」が、スピーチにはならない。抑揚とメリハリは音楽やスピーチのみならず、すべての分野で重要な要素だ。
同じことは、economicsあるいはAbenomics(Abenomix)の発声や表記にも言える。「べた」発声表記では、抑揚のない「エコノミクス」や「アベノミクス」になるが、前者などは「イコ ノ ミックス」と発声しないと外国では通じない。それに注意して表記すれば、後者はせめて「アベノ ミ ックス」と発声することが必要なのだ。「My ア べノミクス」と発声するのはエレガントではない。
この抑揚問題は、日本に戻った帰国子女が最初にぶつかる問題でもある。英語授業で、ネイティヴのように抑揚を付けて英文を読むと、同級生から「恰好を付けている」と陰口をたたかれるので、わざわざ平板に「べた読み」して、他の生徒の水準に合わせなければならない。日本がこれだけ外国に開かれていても、この状況は現在も変わらない。もちろん、これは英語の授業を担当する教師の資質の問題であるが、これこそ日本語英語が抱える固有の問題の一つである。
二番目の問題は日本語の「なまくら発声表記」である。日本語では「ス」と「シ」の音は明瞭に区別される。「シ」と「ス」の音を取り違えたのでは、日本語でも通じない。外人が「スリ」のことを「シリ」と言ったら、理解不能なのと同じである。ところが、英語の発音になると、途端にこの区別が曖昧になる。
たとえば、スチュワーデスが「お席のベルトをお締め下さい」の意味の(Please fasten seat-belt)を「シート ベルト」と発声しては通じない。なぜなら、「紙のベルトをお締め下さい」となるからである。「シート」と発声すればsheetとなってしまう。ここは「スィート」と発音しなければならない。
以前、「朝日新聞」に投稿し、この「ス」と「シ」の区別の問題を指摘した。 その甲斐あってかどうか知らないが、NHKの「サラリーマンNEO」では、「セクシー部長」ではなく、正しい表記で「セクスィー部長」と表記されていたし、コントの中でもこの違いを強調する場面があった。
中学英語で初めにshe(シィー)とsee(スィー)の発音の区別を学ぶはずだが、英語の授業が進むにつれて、この区別が曖昧になる。明治維新以降に最初に日本語訳を行った文人が、この二つの発声を曖昧にし、表記の簡便化を考えて、「なまくら発声表記」を行ったものと思われる。しかし、これだけ国際化した時代に、「なまくら発声」と「なまくら表記」はいただけない。こういう事例は身の回りに数多くあるはずだ。
もっとも、「セクスィー部長」のNHKも内部で十分に統一されておらず、「言葉おじさん」という番組では、simulationを「シュミュレーション」と発声するのは日本語英語で、「シミュレーション」と発声しなければならないという解説があった。しかし、この「シミュレーション」も日本語英語であることに変わりはない。「スィミュレーション」と発声しなければ通じない。「シミュレーションも日本語英語ですよ」という指摘には、返答がなかった。
三番目の問題は日本語にない発声の表記である。この表記はどうしても妥協しなければならないが、現在では可能な限り、ネイティヴの発声に近い表記が採用されつつある。日本語英語の表記を正しい発声だと信じて、国際会議の場で恥をかかないためにも必要なことだ。
たとえば、チケット。現在ではティケットという表記も使われているが、「チケット」は国外で通じない。これはTの発声表記の問題で、最近のツィッターという発声表記も間違い。Twを「ツ」と表記してしまうのは「なまくら表記」で、「トゥイッター」と発声表記しなければ国外で通じない。これではTwentyを「ツェンティ」と発声表記するのと同じで、「トゥエンティ」と発声表記しなければならない。
Photoは今でこそ「フォト」と表記するが、少し前までは「ホト」だった。もっとも、昔の発声のまま会社名にしているところもあるが(「ホトニックス」のように)。これはhとfの発声の区別であるが、日本人には難しい。しかし、Fortyを「ホーティ」と発声してはダサい。今では「フォーティ」と発声し表記するのが一般的だろう。bとvの区別も同じである。ベートベンと表記するか、ベートヴェンと表記するか。これはまだ混在している。 近年では可能な限り、ネイティヴの発声に近い表記が採用される傾向にあるが、日本語にない破裂音や摩擦音を使うのは、意識的に訓練しないと難しいだろう。
日常的に外人と接する機会もない島国日本で、ネイティヴ並みの発声表記で統一するのは難しいだろうが、せめて国外で仕事したいと考える人は、恥をかかない程度の発声・発音練習はしたいものだ。
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