10.5現代史研究会レジュメ:「マルクスとプルードン」(的場昭弘)
- 2013年 10月 4日
- スタディルーム
- マルクスとプルードン的場昭弘
日時:10月5日(土)1:00~5:00
場所:明治大学駿河台校舎・リバティタワー1133号(13階)
テーマ:『初期マルクスから「資本論」へ』
報告要旨:「マルクスとプルードン」
的場昭弘(神奈川大学教授)
「初期マルクスから『資本論』へ」というテクストクリティークなテーマは、ある意味きわめて古典的なテーマです。そしてマルクスという思想家を知るにこれほどいいテーマがないことも確かです。マルクスという思想家の苦悩の道筋をとらえることは重要なことです。
しかし、ここには大きな問題が欠落しています。それはマルクスの思想は、マルクス一人の自己発展によって生まれたものではけっしてないということです。時代背景、人物交流、マルクスに影響を与えた人々のテキストを知ることがなければ、この問題ははっきりと見えてこない点が忘れられています。
私は現在、マルクスの伝記の執筆に従事しています。そのために、いくつかのマルクスの書物を翻訳する作業も行っています。『共産党宣言』、「ユダヤ人問題に寄せて」、「ヘーゲル法哲学批判-序説」をこれまでに出版しました。今、プルードンを批判した『哲学の貧困』、そして『ルイ・ボナパルトのブリュメールの18日』に取り組んでいます。この作業は、マルクスのテキストの翻訳に限定しておりません。マルクスの書物に影響を与えた人々のテキストもできるだけ翻訳するようにしています。そして、時代的文脈や人物交流なども詳細に語るテキストも入れてあります。そしてマルクスが、彼が批判したテキストから何を理解できなかったのかということが、わかるように編集してあります。
「初期マルクスから『資本論』へ」といテーマからは、マルクスの思想の直線的な姿しか見えてきません。『資本論』へ至る道が最初からマルクスにあって、そこへ至る道は当然最初からであったのだという筋道が前提にされているからです。ここで、ひとつこういう疑問を呈してみましょう。『資本論』のマルクスへと進まないマルクスはなかったのか。『資本論』のないマルクスなど、初めから問題にするなと一笑に付されそうですが、『資本論』のないマルクス、あるいは別の顔をもったマルクスを考えてみることも、マルクス主義が衰退したといわれる今日大きな意味をもつかもしれません。
私の研究は、『トリーアの社会史』以来『資本論』のマルクスに通じない可能性をもったマルクスを研究することが中心でした。『資本論』から見ると、一見瑣末に見える論文や書物を見ることで、『資本論』がなくても光り輝くマルクス、それはときに哲学者マルクス、政治学者マルクス、ジャーナリストマルクス、亡命者マルクスといったテーマで語られます。
たとえば「ヘーゲル法哲学批判」や「ユダヤ人問題に寄せて」を見ても、それ自体としては後年のマルクスは見えてきません。当時同時代人から見たマルクスは、ある意味時代を超越しすぎていて、理論ですべてを語り、書くことで相手を震えさせ、人々を魅了するというよりも、ペダンティックで、皮肉屋な人物として見られていましたい。そのため、読者を失うところが多々ありました。理論的に、あるいはその後の影響においてマルクスが勝利したといくら述べてみても、当時の書物の評価や、受け入れられ方を見れば、マルクスは失敗したとしかいいようがありません。もちろん自己発展のためにどれだけ彼の書物が、どれだけ意味があったか、すなわち今回のテーマのような話でいえば、『資本論』を生み出すきっかけになったのは彼のどの書物であったかということは、この問題とはまったく別の問題です。
内田報告(プルードンを中心に研究されていますので)とも関係しますので、今回はとりわけマルクスとプルードンとの関係に論点を絞って考えてみます。マルクスの終生のライバルはプルードンであったことは間違いありません。それはけっして愚かな社会主義者としてではなく、したたかで強力な思想家としての話です。
プルードンは、未刊の『一般文法論』から『日曜励行論』、『所有とは何か』、『人類における秩序の創造あるいは政治組織の原理』を経て、『貧困の哲学』まで、独特の方法論で自説を展開していきます。その方法論の特徴は、科学は原因を探究することより、影響や救済を目的とするという発想にあります。相互関係の論理を系列と述べていますが、こうした発想から考えられる経済学は一般均衡論的経済学です。そこには歴史性という概念はありません。人間はどの時代も同じであるという発想の上で、その人類の均衡を達成する理論を構築すること。それが彼のいう科学で、労働の組織化というのが彼の最大の仮題となります。労働の組織化は生産だけではなく、消費においてもいえ、需要と供給の構成というのが、均衡を実現することが課題となっています。ここで労働は所有を構成しないというのですが、だからとって所有一般の廃棄にまで進みません。それは原因に問題があるのではなく、作用と結果に問題があるという発想があるからです。所有を正しき所有に導くというのが、プルードンで、集合労働力が利潤の源泉ならば、その所有は労働者にあると考えます。
この議論をマルクスは理解できません。プルードンは、価値論で分析される世界がそのまま実現していないから、それを実現することが彼の社会主義だと感がえているからです。後年、労働収益論という発想の典型ですが、これはラサール主義も含め、マルクス経済学者、ソ連の研究者たちにも、形をかえ引き継がれていきます。マルクスのすべての概念は歴史的に生成されるとすれば、今あるのは仮の姿になるのですが、プルードンはそう考えていません。プルードンは今あるものを、本来あるべき方向にもっていけばいいという議論をするのですが、マルクスは今があるものでも、今本来あるものでもなく、今を打ちこわした世界、価値を乗り越えた未来の社会を求めます。ここでの二人の対立は鮮明です。
それが社会批判という立場で問題になると、その相違はより明確になります。マルクスは所有そのものを批判することに全力を注ぐのですが、それは歴史的に規定されるものだからです。プルードンは、所有は全人類的なものであるがゆえに、廃棄はあり得ない。むしろ本来の所有の戻るべきだとなります。だからプルードンには共産主義という発想はまったくありえません。しかし彼は自らを社会主義だというのですから、マルクスにとっては頭のいたい話です。しかもプルードンの書物はそれなりに何度も再版され、影響力ももつ。たとえばマルクスの『哲学の貧困』は、まったく無視されてしまいます。マルクスにとって重要なものでも、社会にとって重要なものにならない。その理由はなにか。まずは表現形式と、理論的組み立ての問題です。仮象はわかるのに、本質的なものはなぜわからないか。なぜ仮象が意味をもつのか。言語学者デステュ・ド・トラシのいうようにイデオロギーの問題は簡単ではない。
マルクスは何度もこれに挑戦するのですが、簡単ではない。マルクスは以後も、『ルイ・ボナパルトのブリュメール18日』において、『経済学批判要綱』において、ことあるごとにプルードンに言及するのですが、それはなぜか。なぜマルクスにプルードンの意図が理解できなかったか、またプルードンも(こちらは語学上の問題があるのですが)、なぜマルクスの理論が理解できなかったか。もし理解できていたとすれば、どんな理論が構築され、新しいマルクス像、あるいはプルードン像が描けるのか、今われわれはこうした問題を設定して、新しい社会の可能性について考えてみるべきではないでしょうか。
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座 http://www.chikyuza.net/
〔study594:131004〕
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