マスメディアはハーメルンの笛吹き男か ―チベット高原の一隅にて(94)―
- 2010年 10月 20日
- 評論・紹介・意見
- メディア世論誘導阿部治平
日本ではもう旧聞かもしれないが、ついこの間まで日本からのネットニュースの中心は民主党の党首選挙、小沢一郎と菅直人との争いであった。目立ったのは大小メディアによる「小沢たたき」である。メディアは鳩山政権以来ずっと小沢を「政治とカネ」問題で批判してきた。
不思議な感じがしたのは、マスメディアの新聞社説・コラムがほとんど一致して小沢の党首選出馬をあざわらい、彼の政策を批判したことである。党首争いだからやれたのだろうが、この選挙の重大性は国政選挙に勝るとも劣らないものであった。国会議員の選挙のときに、マスメディアが特定候補の批判をやり、揚足をとり、スキャンダルを暴き、他の候補を支持する論陣を張るだろうか?
私は決して小沢が清潔ですぐれた政治家だとは思わない。田中角栄の汚い部分を受継いだ政治家だといったのは田中の娘の真紀子である。だが、政策のうえでは菅よりはましだった。こうとしかいえないのは残念だが、日本の政治家はいまバカが多いからしかたがない。
小沢一郎は民主党政権ができる前に、何回でも「政治とカネ」問題で釈明のための時間をかけた公開討論をやるべきだった。ところが弁解というほどのことをほとんどやらない。ひどく鈍感か、傲慢で、弁解の必要はないと思い込んでいるのか。
ところが、カネをめぐる事件で不起訴になったとたん、自分を執拗に狙い撃ちする検察を賞賛し「潔白が証明された」といった。この程度の男である。
話はわき道にそれます。
一時帰国した8月、富山県議が酔払い運転でコンビニエンス・ストアに突っ込み逮捕された。たまたまこれが森元首相の息子だったから、元首相は「息子が世間をお騒がせして申し訳ない」と記者会見で謝罪したという。二十歳過ぎれば、首相の息子だって刑事民事上の責任は本人にあり、親にはない。いったんは国家行政の長の座に座りながらなぜ森はそう発言できないか。
いや、できないんだなあ―――これが。
森の考えかたが陳腐だからじゃない。週刊誌も含めて記者連中は鬼の首を取ったような顔をして、親父の森に「何かひとこと」と迫っただろう。「謝れ」ということだ。そこで森は形だけでも謝罪・恐縮して見せる。本当にそう思っているわけではない。
森元首相ならずとも子どもの犯罪には親がなにかいわされる。形はさまざまだが、いやおうなしに新聞テレビにも引っぱり出される。人々は自分の本音はさておき、「たてまえ」に反しない発言につとめる。
菅と小沢の争いの最中、小沢が女性国会議員と密会したという記事がいくつかのメディアのホームページに転載された。だが、それは民主党党首争いに持ち出す問題だろうか。田中角栄だって複数のめかけと、娘に異母きょうだいがいることは首相になる前からわかっていた人物である。にもかかわらず田中を「今太閤」とかと持ち上げたのは、いま小沢批判に忙しい大新聞だ。アメリカのクリントンも、フランスのサルコジだって、イタリアのベルルスコーニだって悪い話題にこと欠かないが、ちゃんと仕事ができる。
20年ほど前、フランス大統領ミッテランが愛嬢のパリ高等師範学校だかの入学式に出席したというニュースがあった。この娘は夫人以外の女性との間にできた子だという。私は勤務する学校のフランス人教師にきいた。
「フランスでは、大統領がこのお嬢さんの入学式に出席して問題になりませんか」
彼はけげんそうな顔をして、日本ではスキャンダルになるのかと反問した。
「そういう個人的なことと、大統領としての資質・能力とは何の関係もありませんが」
その通り。では日本もそうかというと、そうではない。
日本には近代的憲法とそれに基づく法体系があるから、誰もが近代国家で近代社会が形成されていると思っている。だから尖閣事件の際、中国は特異な国家だと批判することができた。だが、現実に人々の生きているのは法の論理とは別の、近代以前をひきずった「世間」である。森元首相が息子の不行跡で謝罪しなければ、「世間」に逆らうことになり、生きてゆけない。
当時、いや、いまでもそうだが、日本にとって重要なことは政治家のカネと異性問題ではなく、沖縄普天間問題、貧困・年金対策を含めた社会保障、勤労者の3分の1が契約工・臨時工という雇用の不安定、赤字財政をどうするかである。
民主党党首選挙ではこれをめぐる政策論争をやるべきだったし、小沢・菅両者の間に論争が起こらないなら、これをメディアは批判すべだったのである。ところが、彼らは「政治とカネ」を前面に押し出して、「小沢たたき」をくりかえし、焦点をねじまげた。まともに論争をすれば菅直人陣営がたかだか小泉・竹中の新自由主義亜流であることが民主党の支持者にも明らかになり、勝目はなかったかもしれない。それは日本を支配してきた財界官界の意向に反する。
マスメディアは「世間」の声、庶民の感覚、「世論」を代表するような顔をする。「世間」におもねり、時には誘導する。それを正当化するために千人だか2千人対象の「世論調査」をやる。調査の前には大宣伝をしておくから「世論」はマスメディアの狙い通りになる。調査方式も処理の仕方もろくに発表しないし、やっても大雑把だ。その「世論調査」の結果をタネに「世論」は形成されたのである。民主党サポーターにはメディアのシンボル操作がわからなかった。
先日検察審査会が起訴相当の結論を出したのをうけて、大新聞の社説・コラムはまた小沢の国会議員辞職、政界引退を迫った。検察審査会の意図は検察官の不起訴が不適切だから強制起訴し、裁判をやれというのである。法のたてまえからいえば、小沢は有罪判決が出るまでは無罪の推定を受ける存在である。
いまは昔、沖縄返還の日米秘密公文書が毎日新聞西山記者によって明らかになったとき、マスメディアはこの重大内容を追うのではなく、ときの政権と「世間」の低劣な感覚におもねり、西山記者を女性問題で葬りさり秘密公文書問題は避けて通った。いやそんな昔のことでなくても、松本サリン事件がある。このときは警察だけではなく大小メディアがみな河野さんを犯人だとした。最近では厚生労働省の村木元局長が逮捕起訴されたとき、判決前の彼女をやはり真犯人扱いして、検察官のもくろみをそのまま記事にしたのを我々は忘れてはいない。
「朝日」はこの裁判の証拠物件捏造をスクープしたと鼻高々だが、その後、捏造容疑で逮捕・起訴された検察官については最高検察庁情報に頼っている。法意識の低さとジャーナリストとしての自覚の程度が知れる。いま小沢に退陣を迫る底意を知りたい。
残念なことに、日本の左翼もつくられた「世論」に追随する。これでもネットで日本共産党の機関紙「赤旗」の主張を毎日見ている。主張では尖閣事件をひとつも取り上げたことはない。だが、小沢批判には熱心である。弾劾社説を2回も書いている。だが待て、「世論」は正義でも真実でもない。
戦前の共産主義者は、軍部の意向を受けた新聞によって煽られた「世間」の声が間違っていることを知っていた。だから、大勢に逆らって「戦争反対で戦った唯一の政党」となったではないか。いまこそ共産党はマスメディアの異様な「世論」誘導にたいして独自の見解を出すべきである。小沢批判をやるのは結構だが、いまのところその主張は民主党のサポーターなみである。がんばってほしい。
マスメディアは巨大な設備と斬新な手段と、要員を多数つかって「世間」の声を誘導することができる。人々はマスメディアの誘導方向を自分の意見だと容易に錯覚する。いま、我々にはマスメディアがこのあと日本をどこへつれてゆきたいのかわからない。これには背筋が寒くなる思いがする。あなたがた、まさか子どもを多数連れ出して行方不明にした「ハーメルンの笛吹き男」じゃないでしょうね。
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〔opinion179:101020〕
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