沖縄現地からの通信 高江での攻防戦から(1)
- 2013年 11月 23日
- 交流の広場
- 9条改憲阻止の会
2013年11月23日 連帯・共同ニュース第316号
富久亮輔さんの現地からのレポートをお送りします。[約1カ月にわたります]
イザ、沖縄へ出動セム
霜月。高層ビルが林立する霞ヶ関。ビルの谷間の刻は駆け足で夜に向かう。四時を過ぎると街は薄暗さを増していく。暗さが寒さを携えてくる。神無月の晦日まではこれが秋かと思うような日々であり、とても晩秋だとは思えなかった。暦を捲るやいなや、いきなり秋を跳ばして冬の到来である。街路樹は気候の移ろいに戸惑い、紅葉を忘れている。連続的に颱風が列島を襲いかかった所為であろう。颱風の暴虐さに抵抗している間に季は通り過ぎていた。
そんな日に沖縄へ移動した。移動の前日に那覇の知人に季節の挨拶をした。知人は、「那覇は半袖のポロシャツ姿だ」という。「ただし、ヤンバルは那覇よりも二、三度は低いだろう。朝夕は少し冷えると思う。日中は薄手のサマーブルゾンの一枚ぐらいは持って行った方が無難だろう」と忠告をしてくれた。知人を疑ったわけではない。東京のあまりにも激しい寒暖の差に驚いた我が身が本能的に知覚に対して反抗した。長袖のポロシャツとカーディガン、デニムの上っ張り等々が追加された大型旅行鞄はパンパンに膨れあがり、小型の鞄までファスナーが壊れはしないかと心配になるくらいであった。手には冬用のブルゾンを持参した。那覇空港についてブルゾンを脱ぎ、カーディガンを鞄に詰め込んだ。宜野湾に着いてバスを降りると冷たい風が待っていた。慌ててカーディガンを鞄から引き出し、ブルゾンを重ねた。
普天間基地。いつもの行動場所である野嵩口を横の330号線を普天間爆音訴訟団の事務所へ歩く。遠目に見える野嵩口横の行動場所には人気がない。不審に思いながら野嵩口へ進むと金網フェンスに一列の赤いビニールテープのリボンが20メートルばかりぶら下がっている。その一番端に黒い服装の男性がビニールテープの列に取りついている。眼を凝らして見ると、貼り付けているのではなく、引き剥がしている。この男は車で出入りする海兵隊員に敬礼をする一人右翼男では無いか。おかしいと思っていた。赤いビニールテープを貼り付けるにはカマ○○―小の得意技であったはず。面白い光景に出会ったとばかりにカメラを取り出し,被写体に向けた。この男は武術の心得があるのだろうか。殺気を感じたのだろう、いきなり反転して小生を見た。「馬鹿野郎!どうして俺の顔を写すんだ」
「お前の顔なんか写しちゃあいない」。確かに小生は顔を写してはいない。後ろ姿を写そうとしていたのだ。330号線を挟んで互いに罵声の応酬。
普天間基地周辺では兵隊や業者がよく使う野嵩口と正門の大山口がある。大山口もサラバンジヌ会という比較的高齢者の行動集団が午前6時から8時まで抗議行動をしている。ここには十数名の「オスプレイ友の会」なる手●根某という男を先頭にして度々嫌がらせ行動をする右翼が湧いてきている。この連中はサラバンジヌ会の会員の勤め先に電話をしてきて「何某を馘首しろ」と嫌がらせをする陰険さである。普天間周辺では●福の科●などと言う右翼も出没するという。
閑話休題
道路際に橙色をしたゲットウの実が鈴なり状に実っている。オジイの畑に某氏が植えた五本のパパイアの苗が50センチ以上に成長している。小生が7月に滞在したときには某氏が雑草を刈り、鍬を入れていた状態であった。某氏曰く、150センチになると実がなると言う。来年の4月頃かな?
キリン(ジラフ)の首そっくりの木が立っている。細くて大きな斑点模様があり、一番上だけ冠みたいな状態でシュロの葉に似た枝葉が生えている。その中心からゼンマイみたいなシン、芽が出て来る(この時期には新芽を観ることは出来ない。この新芽が枝葉となる)このヘゴというこの植物の新芽をある住民が薄くスライスにしたり、天ぷらにして食べさせてくれた。表現する事が難しいが微妙な香りと味がした。「美味しかった」と思っているのは珍しかったせいかもしれないが、「美味しかった」。古代植物が故にこれを食すると罰せられるとある人は言った。「ただし、自分の敷地に生えたヘゴであればそのかぎりではない」とも言った。眉唾の様な気がする。何がどのように眉唾なのかは……。
この地域には紅苔とか寸詰まりのテナーサックス状の食虫植物などが自生している。 日頃から観ている景色でありながら割と記憶には残っていない。余程、阻止行動に心を奪われている所為であろうか。我ながら、余裕のないことである。ある日、阻止行動の現場へ急ぐときに県道70号の歩道上にアカマタと言われる沖縄で一番攻撃精神に富んだ蛇(ハブと争っても勝ち、ハブを喰ってしまうそうだ。しかし、毒は持っていない)が横たわっていた。1メーター50くらいの大きさだ。初めて見るアカマタなのですぐさま写真機を取り出した。いろんな方向から写真を撮った。近寄っていっても撮った。アカマタは微動だにしない。近くにあった枯れ枝で突いてみた。動かない。死んでいたのだろう。今でも小生の写真機の中でアカマタが休んでいる。
他日、同じ場所を歩いていた。歩道脇の薮からいきなりネズミが跳びだしてきた。凄いスピードで走り去る。「脅かすなよ」と思っている暇もなく、大きな蛇がネズミを追いかけて薮から跳びだしてきた。これが蛇かという早さでネズミを追う。小生は呆然とし、自失していた。気がつけば、冷や汗をかいていた。ハブはネズミが大の好物だそうだ。その話を聞いたときに再び冷や汗をかいている自分に気がついた。
11月14日の事
ヤンバルの朝で更に驚いた。寒い。那覇の寒さから更に5度は低い(体感温度であるから正確ではないが)感じがする。下着、長袖の厚手のスポーツシャツ、カーディガン、冬用のブルゾンを羽織る。それでも寒い。完全に冬の印象。情報では深夜2時あるいは3時に作業員が入境するという話に、小生も9時に出動するわけにはいかず、5時に起床し、6時にトゥータンヤ経由(住民の車に同乗し)メインゲートへ行く。メインには車上宿泊していた四人が立ち番していた。
6時までは丸政の作業員の入境は確認されていない。(その後も入境は確認されていないにも関わらず、N4奥を作業現場へ歩く丸政の作業員の姿を確認しており、作業人は基地内に宿泊していた事がかなりの確率で想像できる)9時過ぎに作業員がN4奥を作業現場へ歩く姿を確認している。現場からバックフォーの作業音が間断なく聞こえてくる。午前中は小雨模様であったが、午後は陽が射し、汗をかくほどの晴天になった。重機の作業音も昼食時間の12~1時の間以外は途絶えることがなかった。2時15分に音が一時止んだが、断続的に再会。午後三時に完全に止んだ。午後3:15、ブルドーザーがN4奥を正面ゲート方面へ去っていった。
早朝に丸政の作業員が基地へ這入った姿は確認されていない。夕刻に作業を終えた作業員がN4-2の工事現場から正面ゲート方面へ移動する姿は確認したが、正面ゲート及び他の出入り口から出てきた姿は確認されていない。基地の中に対流しているとすれば、テントを張って睡眠をとっているのか。と、すれば、日曜日の夕刻に基地へ入り、終日は基地内にキャンプを張り、土曜日の早朝に基地から出て来るのか。過去の経験を生かし、防衛局の職員は姿を見せず、強引な作業方針はとらずに、常に隠密行動をとっている。このままでは作業は進むばかりである。
(文責 富久亮輔)
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