テント日誌12月4日 経産省前テントひろば816日目…商業用原発停止81日目
- 2013年 12月 5日
- 交流の広場
- 経産省前テントひろば
秘密保護法案反対の広がりの中で
昨年のことなどもう誰も振りむきはしないだろう。まして、遠い過去のことなどである。でも、僕はどうしても思い出してしまう。官邸前や議員会館前図テントを行き来し、秘密保護法案の行方を案じながらのことだ。テントはいつもよりは訪れる人が多いし、何となくざわめいた雰囲気もある。活気づいている。官邸前や国会前で秘密保護法案やTPPなどの反対行動をしてきた人が立ち寄るからであり、その声が自然に伝えられるからだ。こうした中で僕はどうしても、あの1960年の6月15日やあの前後のことを思い出してしまう。
むかし、子供や孫に日露戦争のことを話してどうするのだ、ということがよく言われた。老人の繰りごとのように歴史を言って見ても、相手には通じない独りよがりのものだという意味であり、ここには経験や体験を伝えることの難しさが込められているのかも知れない。「歴史とは子供をなくした母親の歎きだ」という小林秀雄の言葉もある。僕の中で1960年6月15日のことが思い出されるのは孫に日露戦争を聞かせるためではなく、なくした子供が必然のように浮かんでくることかもしれない。6月15日は時間の経緯からいえば、すでに過去という歴史的な時間であって戻ってくることのないものだ。子供が二度と生き返らないように。けれども、6月15日は精神的行為(幻想的行為)であったという側面からみれば、死んだ子供とは違って生き続けているものかもしれない。歴史を精神の存続と考えれば、6月15日という子供は生き続けていると言っていいのだ。子供を亡くした歎ききとは、精神(魂)を亡くした歎きであり、歎きにはその再性を願いがあり、祈りがある。そのことにあいてなくした子供は生き続けることはないが、もし子供が精神(魂)ならそれは生き続けているはずだ。そう言ってもいいのである。
6月15日は僕には精神[魂]の発露としての行為であったし、それは自己の中で生き続けているものだ。それではなぜ、それを死んだ子供のようは歎きが出てくるのか。それは、この精神[魂]を僕らが殺し続けてきたからであり、生かし発展させたいという願いとは逆のことをやってきたからではないのか。そんな疑念が僕らにはあるのだ。先行する歴史(精神)に支配され、それが6月15日の精神を殺し続けてきたからではないのか。先行する歴史とはロシア革命の権威を背景にした左翼的精神といってもいいし、その物語といっていい。歴史的な伝統とも言うべき国家(歴史)の精神と、この先行する国家の精神との二重の存在に抗いながら、それに抵抗する共同の精神を表現(表出)したのが6月15日である。そこでの精神の発露である。それは言葉の真の意味の自由や民主制の精神(理念)の実現であり、民衆の自己権力[構成的権力]の発露であった。これは日本の民衆の初めて実現した革命であり、真の意味で左翼的精神の実現したものだった。日本の民衆に内在する力としての自由で民主的なものの登場だったのだ。
国会ではかつて国会での強行採決で自由や民主制の圧殺をやってのけた岸信介の孫が秘密保護法の強行採決を目論んでいる。これに異議申し立てをする国会勢力はかつての社会党勢力からみれば貧弱である。国会の外で異議申し立てをする力はかつてに比すれば小さい。これはある意味では僕らもその意志に反してあの6月15日の精神を育て発展させることに失敗した結果だと思える。これは僕の勝手な思いだがそう思えてならない。これは現状を歎いているのではない。なぜなら、日本の伝統的な国家の側は官僚的な権力支配を強めるしか道はないからだ。国家と言う精神の復権という道は持っていないのだ。確かに、彼らは憲法の改正を目論み、それに国家精神の回復を込めているのかもしれない。それは曖昧である。彼らは官僚支配の強化という国家の機能的な強化をやることは可能であり、それしか道はないといえる。彼らには精神としての国家を強める道はないのであり、曖昧なのだ。僕らの運動や権力に抗する力が貧弱に見えても、僕らは国家との関係で負けているのではない。僕らの側の発露する力の問題こそが、こういう現状を結果している。それを思い起こすためにこそ、こういう現状を書いている。
本当は6月15日の精神の発露が、共同の物語になってその後に生き続けていれば現状の違っていたかも知れないというのは僕の空想的な夢想かももしれない。こういう夢想がしばしば僕を訪れるとしても、この夢想は可能性でもあるからだと思う。かつての6月15日の歴史など無縁な、いうならそんなことは考えたことない多くの人たちが秘密保護法に異議申し立てをしている。世代的に見ればそれは明瞭なことだ。だが、彼らもまた、無意識の底も含めれば、現在の国家と闘う物語(歴史)を引きよせているのであり、もた、それをしているのだと思う。それは自分たちの共同の精神を、その歴史的なつながりを求めることであると思う。物語をと言っていい。これは国家や社会の構想やビジョンと言い換えてもいいのだ。確かに、僕らにとつてこれは視界の閉ざされたものであり、言葉もなく、どこにも未来は考えられないものとして現在はあるかも知れない。だが、小さな、一人ひとりの行動はこれを欲しているし、僕の自分の欲求も含め応えたいと言う思いが、6月15日の後の誰にも書かれない歴史を書きたいということになってもいる。これが夢想としてでてくる。
秘密保護法を強行する国家と対峙し続け、それを超えて行くためには、不断の異議申し立てと共に、僕らがこれを超える共同の精神の物語を作り出していかなければならない。その一つとして6月15日とそれ以降の誰にも書かれていない歴史と物語がある。これはロシア革命に影響された物語でも、戦後民主主義の物語でもない、真正の自由と民主制の物語であり。それが共同の精神としてある物語である。この列島の住人の歴史につながる物語である。秘密保護法を色々の形で現実化してくる政府や官僚たちに抗し続ける道でもある。
今が一番きれいに輝いている金色の銀杏を眺めて、僕はこんな呟きをしている。夜は寒いテントの中で眠れぬままに考えているのもこんなことである。いつまでも夢をみ続けるのだと言われればそれは死ぬまでやまないのだろと思う。(M/O)
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
テントからお知らせ
12月8日(日) テントの冬支度の最後の仕上げ日。作業は10時からお集まりください。テントの幕の張り替えなどを行います。
「ちきゅう座」に掲載された記事を転載される場合は、「ちきゅう座」からの転載であること、および著者名を必ず明記して下さい。