「辺野古に新しい軍事基地を造ってはならない」 -世界平和アピール七人委員会が訴え-
- 2014年 1月 18日
- 時代をみる
- 伊藤力司沖縄辺野古
世界平和アピール七人委員会は1月17日、「辺野古に新しい軍事基地を造ってはならない」とする以下のアピールを発表した。
世界平和アピール七人委員会は1955年に、平凡社の下中弥三郎社長、日本初のノーベル賞の湯川秀樹博士、日本婦人団体連合会会長の平塚らいてうさんら、当時の日本を代表する知識人7人で結成された無党派の知識人グループ。以後こんにちまでメンバーは代わったが、平和と核兵器廃絶を内外に訴え続けてきた。今回は通算111番目のアピールである。
現在の委員は、武者小路公秀(元国連大学副学長)、土山秀夫(元長崎大学学長)、大石芳野(写真家)、池田香代子(翻訳家・作家)、小沼通二(慶應義塾大学名誉教授)、池内了(総合研究大学院大学教授)の6氏。もうひとりの委員だった辻井喬氏(詩人・作家)は昨年11月逝去。
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WP7 No. 111J
辺野古に新しい軍事基地を造ってはならない
2014年1月17日
世界平和アピール七人委員会
武者小路公秀 土山秀夫 大石芳野
池田香代子 小沼通二 池内了
私たち世界平和アピール七人委員会は、日米両政府に、沖縄県名護市辺野古に米海兵隊の軍事基地を造る計画を断念するよう要請し、沖縄県外に住むすべての人々に、この問題を真摯に受け止めることを訴えます。
同基地計画は、1995年の米兵による少女暴行事件に対する沖縄の県を挙げての怒りを受け、1996年、日米両政府が宜野湾市の市街地の中心にある米海兵隊普天間飛行場を閉鎖し、辺野古に代替施設を新設することに合意したことに始まります。
それから17年たっても辺野古移設が成らなかった第一の要因は、沖縄に新たな軍事基地を造らせまいとする沖縄県民の強い意思です。にもかかわらず、これまで沖縄県の自己決定権を奪ってきたことを、日本政府と沖縄県外の人々は直視すべきです。日本全体の面積の0,6%しかない沖縄県に在日米軍基地面積の73,8%が集中するという異常な事態をこれ以上は容認できないとする沖縄県民の思いを、県外の人々は重く受け止めるべきです。
沖縄は、1609年の薩摩島津藩による琉球侵攻、そして1879年明治政府の「琉球処分」と、ヤマトの横暴に翻弄され続けました。さらに第二次世界大戦末期、沖縄を本土防衛作戦の捨て石とした沖縄戦では、12万人以上の県民が犠牲になりました。
このような苦難の歴史を強いられた上、さらに戦後も沖縄県民は多大な基地負担を押しつけられ、こんにちに至ります。県外に住む私たちは忸怩たる思いで一杯です。今また安倍内閣が、カネの力で仲井眞沖縄県知事に辺野古沖の埋め立てを承認させたことは、まさに「21世紀の琉球処分」です。県外に住む私たちは、歴代日本政府による対沖縄「差別」政策にいたたまれない気持ちでおります。
辺野古の海はジュゴンやウミガメが生息する、地球に残された貴重な海域です。その海を埋め立てて恒久的な軍事基地を造ることは、75億の人類が共存すべき地球への冒涜です。残された自然環境を守るためにも、辺野古に基地を造ってはなりません。
連絡先:世界平和アピール7人委員会事務局長 小沼通二
メール mkonuma254@m4.dion.ne.jp ファクス:045-891-8386
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