民族主義者の台頭の意味するものは何か?ヨーロッパ社会の真実とは?
- 2010年 11月 4日
- 評論・紹介・意見
- ヨーロッパの民族問題岩田昌征
今年の8月12‐13日に、新(真)民族派団体、一水会がヨーロッパ諸国(ポルトガル、スペイン、フランス、オーストリー、ハンガリーなど)の民族主義団体の有力メンバーを招いて東京で国際会議を開いた。大和左彦を自称する私も縁あって右彦たちの議論を拝聴した。
そこでは、フランスの代表がトルコのEU加盟に反対して、「私はトルコの繁栄・発展を望むものである。だがしかし、それはフランスにおいてではなく、トルコにおいて実現してほしい」と言明していた。ヨーロッパ諸国の諸民族派に共通する考えである。学会レベルでEU主題の国際会議を開くと、どうしてもEU指導部のポリティカリ・コレクトな方向性に沿うものとなり、上品ではあるが、EU諸国の社会の深部に届かないものになりがちである。
その点で、一水会主催の国際シンポジウムは、私たちがあまり接触できない「ポリティカリ・インコレクト」な話を多々聞くことができて有益であった。
そんな印象がまだ残っていたころ、ポリティカ紙(ベオグラード、10月22日)の意見欄にオブラド・ケシチがEUについて鋭い指摘をしているのに気づいた。
―諸政権は、民主主義を恐れている。彼らは市民たちが最重要問題を決定するほどに成熟していないと信じている。このことは、EUそれ自体においてもっともよく見てとれる。EUの高官たちはオープンに任命されず、投票もない。そして憲法も同じ政治エリートたちの協議で採択される。民主主義を脅かす追加的ファクターは、かつては右派の、今やますます多く左派の政治エリートたちの確信、すなわち、民主主義と国家を、そしてもちろん自分たちの権力と信用をも守護し、救済するために、市民たちに自由を与え過ぎてはならないという確信である。
―別のことばでいえば、民主主義は、非民主的な方法で守られるのだ。
こういう次第で、ポリティカル・コレクトな市民主義者の情報だけに頼っていては、ヨーロッパ社会の真実が分からなくなる。
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座 http://www.chikyuza.net/
〔opinion196:101104〕
「ちきゅう座」に掲載された記事を転載される場合は、「ちきゅう座」からの転載であること、および著者名を必ず明記して下さい。