丸山眞男「政治の世界 他十篇」の解説から
- 2014年 4月 7日
- カルチャー
- 山端伸英
最近出版された岩波文庫の「政治の世界、他十篇」の解説で松本礼二という大学教授が、丸山眞男の「政治学者」へのイメージについて次のように言っている。
「すなわち政治学者は医者にして指揮者であれと。今日の学問状況を前提にすれば、率直に言って、これは過大な要求であり、本解説の執筆者自信を含めて大方の政治学者にとって、いささか迷惑である。」
ここでは丸山以降の70年代80年代の政治学者たちの動きがまったく捨象されている。例えば松本礼二自身が参照したと言っている田口冨久治「戦後日本政治学史」の中で絶賛された高畠通敏は、晩節に天皇制下での『出世』を計ったにせよ、「市民政治」の中での政治学者の位置づけを計っていた時期がある。また松下圭一は政治に理論的にかかわることを続けていた。その後、北岡伸一や山口二郎などが政府や党の御用学者然として政治学者をやっていたことがある。
松本礼二の言う「大方の政治学者」たちは世俗的には「現行システム」内部の受益者として生きている面があることは確かだろう。わたくしは1993年10月に高畠からFAXを送られて日本に大学院を受けに行ったが、1994年の正月に会った当初から彼の天皇制論のおかしさを議論してしまったのでひどい滞在になった。二度目にあった時、彼は立教の法学部の若い教師たちからのわたくしの評判が悪いと歩きながら言った。わたくしは以降腹を立ててしまった。評判というものがあったのかどうかは知らないが個人的に知っているのは吉岡知哉現学長くらいなものだった。松本は彼らの世代より少し上でもある。当初、高畠はわたくしの滞在費は払うと言っていたが払わないで死んでいった。
東大の政治学では岡義達の影響で「政治」概念からの「暴力」の排除が進んでいる。岡が戦後の50年代に書かれた尾形典男の雑誌「思想」に掲載された論文に対して手紙を書き、その物理的強制力を伴った政治権力論を個人的に批判したことは、尾形典男自身が後半生を賭けての自己格闘への契機となったことを述べている。もちろん、「政治」概念と現実政治との間には「暴力」を単なる社会学的事象と片付けてしまえないものがある。
同時に、岡義達の観照的政治学の態度には、政治学者自身のシステム依存性を強める傾向が明らかに見て取れる。松本礼二が、現在も続く受験体制から体制エリートとなる自分たちの性格を丸山的に「自覚」しないのはよいとしても、「大方の政治学者にとって、いささか迷惑である」と言うのは「代言」として東大卒研究者たちの極めて現状に合ったものであることはわかる。しかし、現在の日本の疑似国家主義化の中でそれは、全く反省も責任もない代言の仕方でしかない。
岩波書店は現在では日本の権威システムを補強する能力をもち、執筆者たちへの褒章や学閥主義で押さえているが、このような片手落ちな解説を大学教授に書かせて、しかも発行してしまうのでは、編集者たちの実力に対する疑問も持ち上がるだろう。せっかく自分で支えている現行の価値システムを自分で揺るがすのでは、岩波茂雄も成仏どころの話ではなかろう。松本に言及されている神島二郎の「近代日本の精神構造」や前田康博の「思想」連載論文などは「現行システム」のおかげで売れる心配をしなくてよい岩波書店の手で文庫にされてもいいと思う。
*「政治」概念については近いうち出る思想の科学研究会のものにいくぶん整理する。ところでこの文庫を入手するのに表示価格の3倍の代金と交通費がかかった。確実に「システム」の外にいる。
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