「何をなすべきか」と現在(四)
- 2014年 4月 22日
- 評論・紹介・意見
- 三上 治
積極的平和主義とは言葉の上では消極的平和主義(一国平和主義、一国防衛主義)批判としてでてきたものであり、起源としては湾岸戦争(1990年の第一次湾岸戦争)における小沢一郎の「普通の国」という提案にあった。ここではアメリカの湾岸戦争が世界警察的な戦争であるという主張が強かった。これは地域紛争の防止戦争であって、アメリカの自衛戦争といってもその要素は薄いとされていた。9・11後の反テロ戦争(アフガニスタンやイラクでの戦争)とは幾分か性格が違っていたという主張だった。ここでの消極的平和主義批判はこのままでは日本は国際的に孤立するという議論が強く、裏側では国際貢献とか参加がというのが存在していた。
戦争といえば、直接の国家間対立とそれを介しての行為というイメージや概念がある。例えば、憲法9条に規定されている戦争のイメージはそれをあらわしている。だから、国家の安全保障という概念に関係したものだった。これに対して地域紛争から発生する戦争にその直接の当事者でない国家が参加(関係)する、そこでの戦争とどう関わるかが問題にされるとしたら、それまでの戦争の概念やイメージとは違ったことがもたらされる。国家の安全保障に関係するものとして、自衛も含めた国家行為として戦争の是非が問われてきた歴史はあり、消極的平和主義は、専守防衛という事も含めて、戦争に否定的というか、消極的ということだ。ただ、自国の安全保障とは関係がない地域紛争という戦争に戦争を含めて関わるかどうかという議論は以前にはなかった議論だった。アメリカは世界支配(世界警察的役割も含め)の立場から、そこに参加する論理は明確だった。ただ、湾岸戦争に積極的に関わったアメリカでもその後、地域紛争との関わりは難しいものとなってきていた。アメリカではブッシュ(父親)大統領からクリントンに政権が変わったこともあったが、アメリカでは地域紛争としての戦争と自国の安全保障とは簡単に結び付かないからである。これを結びつけたのは9・11である。その結合においてアメリカの反テロ戦争はアフガニスタンーイラク戦争になったのであるが、日本では自国の安全保障)に関わる戦争と地域紛争の戦争とは違うということが認識されていた。
1990年の湾岸戦争を契機に出てきた消極的平和主義批判は、いうなら戦後の戦争観が成り立っていた基盤の外から、地域紛争という事から戦争観(平和観)を突き崩すものとして出てきたのであった。
さらされたとはいえ、まだ力を持っていた。もちろん、現在でも想像以上の力を持っていると思っているし、僕はそれを評価する立場にある。これを保持するために何が必要かは後に展開したい。日本の戦後の外交―防衛に大きな影響を持ってきたのはここで消極的平和主義といわれるものであった。これが大きく批判にさらされる契機に湾岸戦争があったのだが、それはこれを積極的に崩すものとはなっていない。地域紛争への参加論を契機とする国際貢献論などがあっても決定的に事態が変わったというのではない。この積極的平和主義にしても、それが大きく人びと捉えているわけではない。積極的平和主義とは戦争も準備するということであり、戦争によってこそ平和も可能になるという考えにすぎないからである。ただ、これがそれなりに浸透してきた契機についてはよく見て置かなければならない。
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座http://www.chikyuza.net/
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