心情的民族主義が台頭するハンガリー ―将来を見通せない不安が、偏狭な民族主義を育む―
- 2014年 4月 28日
- 評論・紹介・意見
- 盛田常夫
ハンガリーの総選挙は与党の圧勝となったが、与党の民族主義的政策に呼応するかのように、扇動的な民族主義政党Jobbikが台頭した。反ユダヤ主義、反ロマ主義を党是とする政党が2割もの得票を得た事実は、国民の間に偏狭な民族主義に一定の支持があることを明らかにした。
隣国ウクライナではロシア系住民とウクライナ系住民との間で、内戦に近い混乱が続いている。1990年代初頭にもユーゴスラビア内戦が勃発したが、冷戦時代が終焉した21世紀に、排他的で心情的な民族主義が台頭するのはどうしてだろうか。
民族主義の台頭は政治家によるイデオロギー的扇動によるが、それぞれの国家が国内外に難しい問題を抱えていることにその社会的基盤がある。政治家が国家的難問に真正面から取り組むのではなく、難問から国民の目を逸らすために、民族主義的イデオロギーが意識的に利用される。しかも、政治家のイデオロギー操作に呼応する社会層が存在する。一定の社会的不安と政治家のイデオロギー操作が結合する時、偏狭な排外主義や民族主義が勢いを増す。
問題の本質を隠蔽するイデオロギー闘争
ハンガリーでは政権与党FIDESZ(民主青年連盟)が、2010年の政権奪取以後、対EU関係で大きな摩擦を抱えてきた。憲法改正が可能な3分の2の議席を得たFIDESZは、憲法とメディア法を変え、集権的な支配体制を構築しようとしてEU委員会から度重なる修正勧告を受けた。国内では自らの支持基盤を固めるために、周辺国に居住するハンガリー系住民に選挙権を与え、他方で財政赤字を理由にしたEUや国際機関からの干渉を避けるために、多国籍企業や特定業種への特別徴税や消費増税で赤字幅を縮小してきたが、その結果、国家財政の規模が拡大し続けた。特別徴税がEU委員会の討議問題になるなどの摩擦を生み、多くの国際批判を受けたが、FIDESZ政権は電気ガス料金を下げる「公共料金切り下げ」キャンペーンで、国民の支持をつなぎ止めるのに成功した。
ハンガリーの野党勢力は西欧の「左翼」勢力と提携して、与党FIDESZにたいする「反独裁・反ファシズム」キャンペーンを展開した結果、FIDESZ政権は対外関係で受け身の対応に追われ失点を重ねた。ところが、体内関係では与党はこれを逆手にとり、反EUキャンペーンを張って、自らの国際的失点を政権支持に利用してきた。「ハンガリーはEUやIMFの下部組織ではない」、「国際機関はハンガリーに命令することはできない」など、FIDESZ政権は民族利益の擁護者というイメージを振りまいてきた。
今次の総選挙で、ハンガリー社会党を中心とする旧「左翼」勢力は、「民主主義対独裁」という構図で、選挙戦を乗り切ろうとした。対外的なイデオロギー闘争では勝利した「左翼」だが、これ以外に有効な政権公約を提示することができず、国内の民族主義的高揚に対処することができなかった。反ファシズムや反独裁のイデオロギーで国民が飯を食えるわけではない。民族主義が高揚する社会的背景や経済問題、「左翼」の腐敗堕落にメスを入れることなく、「民主主義か、独裁か」という時代錯誤のスローガンでは選挙に勝ち目はなかった。
冷戦時代が終わってすでに25年も経つのに、ヨーロッパ大陸の東の地域では、いまだに時代錯誤的なイデオロギー闘争が活性化している。「右翼」も「左翼」も、真の問題を直視することを避けてイデオロギーの空中戦に嵌(はま)り、民族主義が勝利するという構図になっている。
「利権は政治信条より強し」
ヨーロッパは政治家の「金」と「女性問題」に非常に寛容だ。ドイツのシュレーダー首相が首相辞任から間髪を入れずに、高額の報酬が約束されたガスプロムの役員に迎えられたことは記憶に新しい。金や利権の前には政治信条など二の次になるのが、ヨーロッパの政治家だ。日本と違って、左翼が長く政権を担当したヨーロッパ諸国では、右も左も利権に深く絡んでいて「同じ穴の狢」化している。ところが、ヨーロッパでは第二次世界対戦時の反ファシズム運動の伝統から、今でも「右」と「左」の政治区分だけは生き延びている。しかし、この対立にもう実質的な意味はない。頭が少しだけ赤いか白いかの違いだけで、首から下はどちらも五十歩百歩だ。
ハンガリーの社会党は旧社会主義労働者党(共産党)を受け継ぐ「左翼」政党とされるが、体制転換以後、長期に政権を担ってきたため、腐敗の極地に達した政党である。2006年総選挙で269万票を得た社会党は、2010年の総選挙ではわずか99万票しか獲得できず惨敗した。実に170万票も得票を減らした。社会党政府・議員や社会党の地方自治体首長が絡んだ公金横領・贈収賄スキャンダルが次から次へと暴露され、社会党支持者が愛想を尽かしたからだ。この当時も、ジュルチャーニィ首相は、何度か「反ファシズム」の街頭デモを呼びかけたが、社会党自身の腐敗問題から国民の目を逸らせるためのイデオロギー操作に過ぎなかった。この時の総選挙で社会党が失った支持基礎票100万票のかなりの部分は、政権交代を望んでFIDESZに流れたと思われる。
総選挙後にジュルチャーニィ派は社会党を出たが、社会党は自らの腐敗体質を払拭できなかった。今次の総選挙直前、社会党副党首シモン・ガーボルがオーストリアの銀行に保有しているユーロ口座が国会議員に義務づけられた財産目録に記録されていないこと、その口座がある銀行はシモン選出区の地方債発行幹事銀行だったこと、さらにハンガリー国内の銀行にも偽パスポートによる偽名の口座があることなどが暴露され、逮捕拘置されるという事件が起こった。シモンは副党首と議員を辞職したが、やはり社会党の腐敗体質は治っていないと印象づけてしまった。
また、公金横領で6年の禁固刑を終えて出獄した元社会党の若手国会議員だったツシュラーグ・ヤーノシュが、やはり総選挙前に、暴露本(Parthazbol bortonbe、「党本部から監獄へ」)を出版したことも打撃になった。社会党閣僚と幹部が指揮権を発動して、自分を助けることができはずだと思い込んでいるツシュラーグは、当時の首相で社会党党首ジュルチャーニィ等の指導部が厄介者の切り捨てを図ったと、恨み辛みを記している暴露本だ。2006年の総選挙に出馬しない代償として、ビニールの買い物袋に入った5000万Ft(当時の為替平価で3000万円)をもらったことも暴露した。社会党にとって弱り目に祟り目だ。
政策面でも、前回の総選挙直前まで、社会党は連立パートナーの政策に押されて、医療保険の民営化に手を付けようとしたのだから、とても「左」とは言えない。他方、「右」と称される与党FIDESZは旧社会主義体制のような国家的統合を推進しているのだから、FIDESZが「右」で、社会党が「左」だと言うのは、政治概念の混乱も甚だしい。
要するに、「右」も「左」もない、あるのは「権力の座にある与党か」、「権力行使から疎外されている野党か」の違いだけなのだ。単純なイデオロギー操作に惑わされない人々はそれに気づき始めた。だから、今時の総選挙で、与党FIDESZは前回選挙の得票より70万票も減らした。他方、社会党中心の政権交代実現連合と自由主義政党は13万票しか得票を増やすことができなかった。FIDESZ政権には失望したが、社会党を中心とする野党勢力に期待することもできないという多く人が投票をボイコットした。政治そのものへの失望感が広がった総選挙だった。
この結果、与党の得票率は10%減の44%弱となり、野党の合計得票率の方が高かったが、小選挙区制のために、与党は議席の3分の2を獲得した。
「国庫経済」という罠
ハンガリー経済は長期停滞という根本的な問題を抱えている。しかも、その解決にはかなりの荒療治が必要になる。しかし、どの政党も国民が痛みを分かち合うことを公約に掲げることはない。とりあえず、4年間の権力行使権を得ることが最大の課題だから、ポピュリスト的なスローガンや公約を掲げて選挙戦を乗り切ろうとするだけだ。
体制転換開始時には、旧社会主義国の中でもっと先進的で開放的と言われたハンガリー経済が、長期停滞に陥っている原因はどこにあるのか。多くの要因を列挙することができる。
一つは、1990年代の体制転換のドサクサで、略奪された巨額の国家・党資産(当時のGDPの1年分程度と想定)の多くが、国内事業に投資(原始的資本蓄積)されることなく、国外に持ち出されたままであること。
二つは、多国籍企業におんぶに抱っこで、市場経済を発展させるための国内事業者育成が進んでいないこと(国民経済の「借物経済」化)。
三つは、国家(国庫)への所得集中度(再分配率)が5割を超え、国家が国民経済の最大のプレーヤーになり、国家発注や補助金事業が最大のビジネスになって事業者の市場経済活動の発展を阻害していること(国民経済の「国庫経済」化)。
四つは、個人所得から所得税(一律16%)と社会保険負担(18.5%)が控除された後の手取り所得からさらに各種地方税を支払い、残りの所得から消費支出するごとに消費税(27%)がかかる。この結果、勤労者の実質購買力(名目所得からすべての税と社会保険負担を控除した純購買力)は名目賃金のおよそ45%前後まで縮小する。これでは消費財市場は発展しない(重税による消費財市場の停滞)。
五つは、事業者の租税負担や社会保険負担(28.5%)が重く、営業余剰が得られず、したがって事業規模拡大が阻害されていること(重い公的負担による事業者の圧迫)。
六つは、勤労者保護の各種休暇制度のために、雇用人数を少なくとも2割増しで採用にしなければ、事業をやり繰りできない(労働力管理問題と賃金コストの割増)。
このように、市場経済の発展が阻害され、資本蓄積もできない国民経済は市場経済とも資本主義経済とも言えず、単純に「国庫経済」とでも特徴づけられる。国庫経済でもっとも利益を享受できるのは公的発注や補助金決定の権限をもつ政治家で、必然的に政治家の腐敗を生み、事業者は政治家が支配する官僚システムに従属するしかない。
他方、勤労者には西ヨーロッパ並みの休暇制度が保証されている。すべての就業者の有給休暇は年間20日から始まり、28歳からは自然年齢とともに増えていき、45歳で最大年間30日の有給休暇を得る。これに年間15日の病気休暇を加えると、年間45日(9週間)の有給休業が認められる。さらに、出産休暇制度や育児休暇(短期・長期)があるので、製造業では従業員の最低2割は常に休業状態にある。休業者の割合が3割近くになる企業も存在する。つまり、4000名を働かせようと思えば、最低で5000名の雇用が必要になる。事務系の多くの会社で金曜日は午後2時終業になっているので、各種休暇をすべて勘案すると、週5日労働日ではなく、3.8日労働日になる。まさに「EU型社会主義」の実現である。
国庫経済化した国民経済では、民間の活力や市場競争力は失われ、国家だけが肥大化していく。「ソ連型社会主義」から体制転換したハンガリーは、国庫経済社会という「EU型社会主義」の「変型モデル」へ行き着いた。この二つの社会主義に共通しているのは、発達した市場経済の裏付けを欠く弱い経済基盤の上に、「社会保障制度」が辛うじて乗っかっている脆弱システムである。EU補助金で市場経済の発達の遅れが取り戻せるわけではない。このシステムが抱える矛盾は社会生活の種々の側面で、深刻な問題を生みだしている。しかし、政治はそれを解決しようとするのではなく、国家主義や民族主義を鼓舞することで隠蔽している。無策という点では「右」も「左」も同じである。残念ながら、筆者の見るところ、この深刻な問題に気付いている知識人は少ない。
筆者がこの5月に上梓する拙著Valtozas es orokseg(「変化と継続」、初版2009年5月刊)の第2版に、A kincstari gazdasag csapdajaban(「国庫経済の罠」)の副題を付けたのはこういう理由からである。国庫経済の罠に落ち、そこから抜け出すことができないのが、今のハンガリー経済。しかし、政治家はこの「いつか経験した罠」から脱出することを目指すのではなく、このシステムを自らの蓄財に利用するだけだ。問題の解決は遠い。
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