どうして誰も「交戦権」を語らないのか
- 2014年 5月 20日
- 時代をみる
- 「ピースフィロソフィー」ダグラス・ラミス集団的自衛権
安倍政権が世論の反対をよそに押し切ろうとしている改憲によらない集団的自衛権行使容認について、政治学者のダグラス・ラミス氏と他の数人の仲間たちとのメールのやり取りでラミス氏が書いていたことを許可を得て引用する。
Douglas Lummis |
You can’t talk sense about this issue if you refuse to use the key term, right of belligerency, which means the right to kill people on the battlefield without being guilty of murder. Article 9 says the Japanese state has not been given this right. Another deception is the use of the expression “the least necessary amount of force”. The word “least” makes it sound like something very small. But in war, the least necessary amount of force is the amount necessary to win.
この件については、キーとなる言葉、「交戦権」を論ぜずして理にかなった話をすることはできない。「交戦権」とは、殺人罪に問われることなく戦場で人を殺す権利である。憲法9条は、日本国はこの権利を与えられていないと定めている。もう一つごまかされているのが「最低最小限度の武力」という表現の使い方だ。「最小」という言葉は何か小さなもののような響きがある。しかし戦争における必要最小限度の武力とは、勝つために必要な武力のことである。
I believe the right of belligerency is the precise key to determining what is war and what is not. When you have it, you have the legal right to kill and destroy, and to be treated as a POW when you are captured. When you take military action without it, you are a criminal. It ‘s extremely interesting that just about everybody wants to carry on this discussion without using the term.
交戦権という言葉が、何が戦争で何が戦争でないかを決定する明確なキーであると思う。交戦権を持つ場合は、殺し、破壊する法的な権利を持ち、捕われた場合はPOW(戦争捕虜)としての扱いを受ける権利を持つということだ。交戦権なしに武力行使した場合、犯罪者となる。今回誰もこの言葉(「交戦権」)を使わずしてこの議論を続けていることが大変注目すべきことと思っている。
5月15日、集団的自衛権行使について、在外邦人を紛争地から救助した米国の艦船が狙われたら何もできないのが今の憲法なのだ、とあり得ないような事例を使って人の情に訴えるような芝居を打った安倍氏。この会見の夜にTBS「ニュース23」の膳場貴子キャスターも、ゲスト出演していた自民党の石破茂氏に「これは人が殺し、殺される問題なのだということをほとんどの人は触れない」、と挑戦していたがやはりスルーされていた。この問題が実際に人命がかかる重要な議論であるということから逃げ回っている政府は、すでに人命軽視の政府であるということを自ら宣伝しているようなものだ。@PeacePhilosophy
このブログのラミス氏関連の過去の投稿は:
Douglas Lummis on Smedley Butler, and Butler’s “War is a Racket” speech
初出:「ピースフィロソフィー」2014.5.19より許可を得て転載
http://peacephilosophy.blogspot.jp/2014/05/blog-post_19.html
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座http://www.chikyuza.net/
〔eye2632:140520〕
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