親指シフト?
- 2014年 6月 1日
- 交流の広場
- 熊王信之
早稲田大学の水島朝穂教授ホームページは、私が、日々、参考にさせて頂いているもので、憲法学の観点よりの御指摘には襟を正すべき正論がある、と信じています。
近頃は、風雲急を告げる政情にあって、定期的な「直言」更新は大変なようであり、書き溜めた「雑談」(と云われても、その内容は貴重ですが)をもって更新に替えられることがあります。 2014年5月26日付の「直言」では、「雑談(106)「親指シフト」が消える?!」と題されて、日本語の表記法と、その入力法について書かれています。
私は、「親指シフト」については、始めて聞くもので、今の今まで、そのような入力法があるとは知らなかったもので、標準的な入力法であるローマ字入力よりも優る手法、とは俄かには信じられませんでした。 尤も、この手法は、仮名入力に依るものなのでしょう。 昔から、英文タイプライティングに馴染んで、その延長でワープロからPCに乗り継いだ者にとっては、初耳が当然です。
その昔のタイプライターは、英文のものと日本文のものとは、まったく違う機械でした。 日本文のタイプライターは、英文のものよりも長時間の練習が必要で、一朝一夕に出来るものではありませんでした。 英文のものも短時間で出来るものでは無く、私が、一通り英文をタイプ出来るようになったのも半年の間、一日数時間の練習を反復した後でした。 タイプライティングが特別な技能であったことを物語る事実として、当時、通っていたYMCAでタイプが出来る人材の募集があったこともありました。
昔話はさておき、水島教授の「親指シフト」の話です。 論考中で、教授は、御自分の過去の論考からの抜書きを示されています。
それは、以下のとおりです。
「…そもそも、極端な漢字擁護論者や国粋主義者が、ローマ字入力で文章を書いているのは悪い冗談としか思えない。TENNNOUHEIKABANNZAIなどと19のローマ字に分解して入力する『右翼』の諸君は、その自己矛盾に気づいていない。ちなみに、「親指」なら日本語だけで11打である。…本当に日本語を大切にしたいなら、あれこれの言説やイデオロギーよりもまず、親指シフトを試してみたらいかがだろうか。…」
しかしながら、前段の「漢字擁護論者」は兎も角も、「国粋主義者」がローマ字入力に依ろうとも、仮名入力に依ろうとも、現行の漢字・仮名混じりの日本語表記法に依れば、自己矛盾は自己矛盾であるのには違いが無いのです。 何故かなれば、漢字とは、中国伝来であり、仮名文字も漢字由来なのですから。
教授の論理を敷衍すれば、国粋主義者であれば、韓国のハングル文字のような独自の自国語表記法を創設し、その使用をしなければならない筈です。
即ち、此処では、自国語の文字に依る表記法と、その文字に依る表記法を活字に転写する入力法を、言語本質と混同されておられるのです。
引用文の後段で言われる「『親指』なら日本語だけで11打である。」とは、正確に表すと、「日本語」の部分を「現行漢字・仮名混じり表記法に依る日本語標準語表記を、親指シフト機能付仮名文字入力法に依ると」と書かれる必要があるものと思われます。
まず、一般的には、日本語とは、現行標準語を指すものと思われますが、これは、関東地方の一地方語を「標準語」と定めているだけで、私のような関西人にとっては、借り物に過ぎません。 表記法以前の問題で、仕方なく使用しているだけで、日常生活では、今、此処で書き表しているような言葉使いは、まずしません。 居住人口も関西地方の方が多いのですから、関東地方の一地方語を「標準語」とは可笑しな話です。
これは、外国人が経験する一番の不思議ですが、よく聞かれて困ります。 大阪を始めとして、関西に来れば、自分たちが習った日本語を話す人が居ない、と笑われるのです。 事実、私も日本語の通訳を何度かしたことがあります。 日本語の出来る外国人が、いくら話しかけても、「何言うてんのか分からへん」、と云われて戸惑っている外国人の標準語を、大阪弁に通訳して喜ばれた経験が何度かあるのですから。
本当にあった笑い話ですが、その昔、大阪のある大学に通学していた留学生が、担当の先生に申し入れたことがあるそうです。 学校で教わった日本語が大学の外では通じない、通じる日本語を教えて欲しい、と。 その気持ち、よく分かります。
さて、日本語の表記法ですが、漢字・仮名混じりの表記法が、中国伝来の漢字に依るもの、と書きましたが、これに替えて、ローマ字表記法によるべき、との主張もあります。 実は、私は、ローマ字表記論者で、漢字・仮名・カタカナ、の入り混じった表記法から脱してローマ字にすべきと思っていますが、此処では置き、日本語の表記法(正書法)、と、日本語そのもの、とは違う、という事実を確認したい、と思います。
そもそも言語、とは、音声、であり、従って、現代でも、その表記法を持たない言語も実在するのです。 正書法を言語の本質と同等に見做す考えには、本質とその表記技術の混同が観られるのです。
現代では、言語の本質である音声を科学的に分析し、客観的に表記可能にした「音標文字」があります。 国際音声記号(IPA: International Phonetic Alphabet)がそれです。 音声を正確に記述出来る目的には叶いますが、正書法としては複雑に過ぎるでしょう。
さて、「親指シフト」ですが、今では、仮名入力に依る人そのものが無くなる気配ですので、どうなるでしょうか。 製造メイカーも需要が無くなれば、製造中止にすることでしょう。
水島教授も、一度、ローマ字入力法をお試しになれば、御分かりになることでしょうが、現在の問題は、入力法よりも、本当にお間抜けな漢字変換方式です。
お馬鹿のWordの漢字変換では、イライラが募り、キーを叩く力が強くなることも度々ですが、最終型の日本語ワープロなら快適で、私は、今でも、長い文章ならワープロを使うことが多いのです。 特に、法律文書なら、今でもワープロです。 Wordなら、法律用語の数々を、何処かのサイトからコピペしないと、とても間に合いません。
それにも拘わらず、ネット社会の現状からも、ソフト利用の便宜からも、PC抜きには生活も出来ません。 それに、私から観れば、タッチメソッドのタイピングの習得さえすれば、ローマ字入力が、一番、便利、と思えるのですが、如何でしょうか。
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