6/14世界資本主義フォーラム レジュメ「マルクスの思想形成過程-1848年革命と『共産党宣言』」
- 2014年 6月 10日
- スタディルーム
- 合澤 清
「世界資本主義フォーラム」レジュメ(2014.6.14立正大学)
演題:マルクスの思想形成過程-1848年革命と『共産党宣言』
1.『共産党宣言』に内在する諸問題
2.1848年革命の再検討の試み
(1)1848年革命の時代には近代的「プロレタリアート」は存在していたのか?
(2)「民族問題」について
(3)『党宣言』は、「一段階革命」論か「二段階革命」論か
3.『共産党宣言』の意義とその歴史的制約
ここで検討することは、もとよりマルクス主義を再び無批判的(教条的)に受け容れ、称えようとするものではない。むしろマルクスをその時代の思想として相対化、限定化する課題を一方に負う、と同時に、我々自身も「歴史的現在」としてのみ存在しえていること、つまり、我々の現在は同時に歴史的なものであるということ、このことに十分な注意を払いながら、マルクスの歴史的継承を試みようとするものである。
「今日われわれに属する自覚的理性は直接的に生まれたものではなく、現在の土壌からのみ生じたものでもない。むしろ所有は本質的には相続でなければならない。詳しく言えば、労働の結果であり、それも人類の過去の全世代の労働の結果でなければならない。」(ヘーゲル「哲学史」)
つまり、マルクスの持つ今日的意義を、現状が投げかける新たな諸課題の中で再考すること、それらの作業のために彼我(1848年の時代と現代)の相違を明らかにし、歴史に限定的、偶然的なものをそぎ落とし、その思想の概念的な継承を心がけることを課題としたい。
ただし、論者の菲才故に、ここではほんのアウトライン程度のものしか提起できないことをあらかじめお断りしておく。
もうひとつ重要な問題がある。それは、マルクスの思想を取り扱う上で、その対象がどうして『資本論』ではなくて、『共産党宣言』なのか、という点である。元より『資本論』をないがしろにするつもりは毛頭ないのだが、当座の理由として次の点をあげておきたい。
第一の理由は、今日の『資本論』研究が、もっぱら経済学としての研究に傾きすぎていること、それ故、資本主義システムの分析をもってマルクスの本意であるかのような誤解を生みだしていることへの疑義である。『資本論』の中でもマルクスは、「商品の物神的性格とその秘密」に代表されるような個所で、単なる「資本主義システム」の分析にとどまらない問題を展開しているが、そのことは『資本論』よりもむしろ、実際の革命運動と向き合った『共産党宣言』の方にはっきりと表現されていると思うからである。第二の理由は、いかなる人間もその時代を跳び越えることはできない(時代の子である)。彼らとて同様であり、彼らが織りなした思想が、その特有な時代と密接に関係していることはいうまでもない。そしてマルクスやエンゲルスの活躍した時代の状況、とくに西欧のそれの中で、1848年はかなり特別な意味を持っている。「48年革命」の持つ時代状況の複雑さは、過渡期社会特有のものによるところが大きい。そしてこの社会の概念把握の試みにこそマルクス主義の原型がある。第三の理由は、『共産党宣言』の中にこそ、彼らの思想の意義(先見性=普遍性)とその歴史的制約がはっきりと読みとれるからである。いわば、マルクス主義思想を検討する上でこの書は格好の材料を与えてくれていると思う。
以上に述べてきたことを勘案したうえで、次のような順序で議論を進めたい。最初に、『共産党宣言』が孕む問題点を摘録する、第二に、1848年という特有な時代状況が、いかなる時代であったか、また、彼らの軸足はどこに据えられていたかということ、このことを今日の歴史学研究の成果と突き合わせながら、『宣言』の基本タームを再検討するという仕方で論ずる。その際、彼らと同時代の革命家(理論家)の視点をも併せて瞥見してみたい。第三に、この1840年代時代状況との関わりにおいて、マルクス、エンゲルスがいかに抜きんでた視野で構想していたかを見るとともに、その思想を今日的な諸問題と対質することで、その可能性をも考えてみたい。
いつの時代のいかなる社会運動においてもそうなのであるが、ある運動が、そのままで(即自的にan sich)誰の目にも見えるような形で「在る」と考えることはできない。それが「そのように在る」といえるためには、一定の思考形式を身にまとったうえでのことである。
つまり、それは何らかの意味で概念的なものとして捉えられることを要する。それこそが思想であり、理論である。ブランキ、プルードン、ヴァイトリング、ヘスらの思想、また当然ながらマルクスやエンゲルスの思想も、こういうものとして、その時代との密接な絡み合いの中で理解されなければならない。
1.『共産党宣言』に内在する諸問題
①「階級」と「抑圧者・被抑圧者」という二つのタームが、極めてあいまいな形で一括りに使われている。
②地方性、民族性の解体(解消)による世界のブルジョア的世界システム化(=一元化)の進展、封建的な諸身分の解体と、世界の「二大階級への収斂」という構図があまりにも一本調子な図式で論じられすぎている。それ故、今日的問題として、「民族浄化」「文明の衝突」の正当化につながりかねない危険性を孕むことになる。
③大工業化、機械化の発展とともに年齢差、性差が解消する(労働内容がフラット化するに伴い、労働力の質もフラット化する)、と説かれている点。確かに一面ではそういう傾向はあるが、必ずしもそうは言い切れない面もある。当時既に「監視労働」も存在している。労働者間の階層分化(エリート労働者と底辺労働者)と対立への警戒心が欠けているため、その後の新たな差別が生み出されている現実(臨時、パートなど非正規労働者が大量に生み出され、ワーキングプアが蔓延している)に思考が及んでいない。
④二段階革命論の母斑が強く残っているのではないか。例えば「国民的な闘争」「国家的所有への統合」など、これらを通過することなしには最終目的は達せられないということ、つまり、必然的な通過点としてこれら「ブルジョア革命」が位置づけられている。10カ条の「措置方針」(要求)は、それ自体としては改良的な要求であり、それを全体としてみたところで高々「国家社会主義」的なものでしかない。
⑤労働者の結合(団結)の拡大に関してもあまりに図式的で強引である。3.でも触れたように、社会構造(構成)が複雑化するにつれて、労働者間にはっきりした階層分化が進んでいる点が軽んぜられている。後の60年代以降、彼らが英国の労働組合に幻滅を感ずる遠因になっているとも思える。
⑥ルンペン・プロレタリアート=無精者と位置づける一方で、プロレタリアートの一層の貧窮化が説かれているが、しかしこの段階でマルクスはドイツの労働者がいかなる状態にあるかをどれだけ知っていたのだろうか。ドイツにおいて「プロレタリアート」は、今だ「未定形」でしかなかったのが当時の現実であった。そして、「ルン・プロ」問題は、外国人労働者(Gastarbeiter)問題、民族問題と緊密に関連している。
⑦上記の4.と重なるのであるが、生産手段の国家的所有の問題。また、生産力主義が前提されている(このことは特に、第Ⅰ章に顕著である)。この点はマルクス主義の克服されるべき大きな問題点の一つである。唯物史観が単線的な発達史観の枠内にとどまり、その視点から革命の必然性が説かれているため、民族問題、環境問題、差別問題などが等閑に付され、マルクス主義の範疇から逸脱するという重大な欠陥を生むことになったのではないか。
⑧特に民族問題に関しては、「大ドイツ主義」的な観点から、クロアチアなどの「スラヴ人」の民族問題が看過・軽視され、単なる「革命派対反革命派」という対立構図の中でしか理解されていないように思う。
⑨「近代主義的観点」が中心におかれていて、近代主義に適わない民族に対してはすべて「反動勢力」というレッテルが貼られて切られることになっている。近代主義=進歩史観の延長線上に共産主義が展望されているにすぎず、歴史があまりにも単純化されて考えられすぎているようだ。
以上、思いつくままにピックアップした問題点を、以下の三点の問題に集約させながら考えて行きたい。
2.1848年革命の再検討の試み
(1)1848年革命の時代には近代的「プロレタリアート」は存在していたのか?
『党宣言』をドイツ語の原書で読むと、われわれが通常同じ意味として考えているはずの「労働者」と「プロレタリアート」という言葉使いに微妙な差異があることに気づかされる。しかも、情況に応じて、あるいは多少杜撰なやり方で両者はいっしょくたにされたり区別されたりしていることが分かる。最初は、マルクスが書いた部分とエンゲルスが書いた部分の相違かという程度にしか考えていなかったのであるが、どうもそうではないらしい。明らかにArbeiterとProletariatの二重規定がそこにはあるのではないかとしか思えないのである。どうしてこんなことになったのか?このことの意味することは何か?
このことを究明するのがここでの問題である。この問題の追求は、上記の問題群の中では、①、③、⑤、⑥などに絡んでくる。結論的に言えば、当時の時代状況から見て、両者の区別性は極めて曖昧なもの、というよりもほとんど「ない」と言っても良いものだったこと、それにもかかわらず、マルクスは既にはっきりした「プロレタリア」概念を持っていたということ、この点が注目される点である。「ルンペン・プロレタリアート」に関しても同様な再検討がなされるべきであるが、こちらの場合はさらに深刻な問題をはらむ。それが、次の「民族問題」である。
(2)「民族問題」について
近年になって特に強調されているのは、1848年革命の大きな特徴としての「民族問題」の台頭という点である。彼らにおいてすら、無意識的な(あるいは潜在的という方が正確かもしれないが)「民族差別」があったこと、しかもこの点はいまだにマルクス主義の未解決の大きな弱点として残されているのである。②、⑥、⑦、⑧、⑨に関わってくる。
(3)『党宣言』は、「一段階革命」論か「二段階革命」論か
『党宣言』の立場は「二段階革命論」である。この点は、実は廣松渉も良知力も同じ考えだったと断言しても良い(廣松からは直接聞いたことがあったし、良知は様々な個所で書いている)。この点のポイントは、特殊個別性を捨象した「のっぺらぼうな」普遍革命(一段階革命論)に対して、あくまで各国の特殊事情を考慮しながら、具体的普遍性としての革命を構想する彼らの革命論(二段階革命)との差異である。しかし、実際の論じ方は残念ながら極めて曖昧さの残るものになっている。④を再検討すれば分かるように、ここで言われているのは高々「国家社会主義」レベルの内容である。
3.『共産党宣言』の意義とその歴史的制約
散々マルクスとエンゲルスの悪口を言っているように思われるかもしれないが、実際には彼らがこの時代にあって群を抜いた理論家であることは間違いない。プルードン、ブランキ、ヴァイトリング、などの当時の名だたる理論家たちが、いまだに感覚的な領域でしか対応できなかった事柄に対して、彼らは明確に概念的な把握という立場を掲げている。
この点は、マルクスが言うように、後進国ドイツは、哲学、特にヘーゲルの哲学によって、世界に先駆けていたためであるとともに、彼ら二人とも、若かりし頃からのへーゲリアナーとして、「青年ヘーゲル派」の議論の中で自己を研鑽してきたことの成果でもあったと思われる。
ヘーゲルとマルクスの内在的な関係の研究書は、残念ながら今だこれという本格的なものを目にしていないのであるが、例えば『資本論』とヘーゲルの『法哲学』との関連など、梯明秀が嘗て触れていたし、廣松もどこかで関説してはいるが、正面切っては触れていなかったように思う。
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世界資本主義フォーラムの6月例会を下記のように開催しますので、ご参加ください。
テーマ:
①合澤清:マルクスの思想形成過程――1848年革命と共産党宣言
②矢沢国光:宇野弘蔵『経済政策論』にみる資本主義限界論――資本主義像の発展のために
●日時:2014年6月14日(土) 午後2時~5時
●会場:立正大学 大崎キャンパス 11号館4階 114B 教室
(いつもとは別の建物です。山手通りに面した高い建物。)
品川区大崎4‐2‐16 (JR五反田駅・大崎駅から徒歩7分)
会場案内(http://www.ris.ac.jp/access/index.html)
●入場無料
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座 http://www.chikyuza.net/
〔study616:140610〕
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