青山森人の東チモールだより 第271号(2014年6月9日)
- 2014年 6月 11日
- 評論・紹介・意見
- チモール青山森人
子どもたちに投資せよ
気候の変化は人の変化
最近の日本の異常な天候と同調するように東チモールの天候も従来通りではないことがむしろ普通になってきました。ただし日本では冬の寒さや雪の降り方あるいは高温などの現象が乱暴になってきた観があるのにたし、東チモールの天候は従来どおりでないにしても現象が乱暴になったという印象を抱かせはしません。もっとも農作物を育てる人にとってはどのような気候の変化でも乱暴に映るかもしれませんが。
国旗のデザインをアレンジしたかなり人目を引くポスターです。首都にあるポルトガルのスーパーマーケットの外壁にあります。2014年5月22日。ⒸAoyama Morito
わたしの抱く5~6月における東チモールの季節感覚とは、5月は雨季の終わりとなる月であり、独立記念日前後の雨が最後となり、6月になればカラリとした乾季が本格的に始まる……というものでした。しかしこの5月後半、雨は降るには降りましたがチョロチョロとケチくさい降り方であり、昔のように雨季の終わりを告げる景気の良い降り方ではありませんでした(少なくとも首都でわたしがみた範囲ですが)。そして6月に入って2日、南国らしからぬシケた降り方をする雨がありました。その他、曇りの日もあり、乾季の始まりという雰囲気はいまのところありません。6日は、雨も降らず一日中空の広い範囲が雲でずっと覆われ、おかげでこの日、飲んだ水の量が少なかったといったらありゃしません。これまでの例えでいえば、南方の山岳からもくもくと雲が立ち込め、その雲が首都デリ(ディリ)の上空高いところに達したときにドバーっと雨が降る、強い雨なので傘をさして歩くヤボは人はおらず道行く人は雨宿り、30~60分ほど待てば空は明るく晴れ、雨宿りをした人の心もつられて晴れる……このようにいい意味での南国気分を味わえる天候が東チモールでめっきり減ってきました。
東チモールと日本の天候が変わってきたことにともない、両国を行き来するわたしの天候にたいし心身の状態も変化してしました。こんな体に誰がした……といいたいところです。青森の津軽出身者の端くれとして寒い日を暑い日より好む体質が“DNA”として保っていると信じていました。クソ寒い日とクソ暑い日、どちらかを選べと問われれば、寒い日にきまっていました。寒い日ならば、暖かい服を着て、暖房を効かせれば、実にいい按配となり、読み書きの効率があがります。しかし暑ければグダ~っと身体も動かせず思考もとまりそうになります。東チモールの湿気の高い暑さで身も心も溶けそうになるとき、津軽の寒い日々のことを思い出して凌いだものです。これがいままでした。2~3年前の青森の冬がすべてを変えてしまいました(この前の冬はわたしの住む所ではさほどの雪ではなかったので助かった)。乱暴な寒さのうえに休息を許さない豪雪で天候にたいするわたしの感覚は激変を余儀なくされました。いまでは東チモールの暑さに悩まされるとき、まあ、寒いよりマシか、と思うようになってしまったのです。まるで“DNA”が変えられた気分です。
メルカード ラマと呼ばれる環状交差点の中庭が修繕工事されている。首都デリ市内のこうした中庭が軒並み一斉に修繕工事中となっている。7月のCPLP会議という晴れ舞台のため首都の景観を大修繕しようとしているのか。しかしこの写真で注目してほしいのは、6月6日だというのにこの曇り具合である。また一方で妙なのはこれほど曇ったら東チモールでは雨が降るはずなのに一日中こんな状態が続いて結局、雨は降らなかった。歩いても汗はかかなかった、この日は。2014年6月6日、メルカード ラマにて。ⒸAoyama Morito
子どもを虐待するな
6月6日の各紙に、裁判や司法制度を監視する民間団体JSMP(Judicial System Monitoring Programme=司法制度監視計画)が発表した報告書が取り上げられていました。『インデペンデンテ』紙の英文の記事は良くまとめられているので、ここではそれを参考にしたいと思います。
この報告書は東チモールとオーストラリアの支援をうけそして国連のユニセフが関与したもので、2013年3月から2014年4月までの裁判を監視し、子どもが巻き込まれたおよそ50件の裁判についてインタビューを交えて調査した結果、子どもにたいする犯罪のうちごくわずかな件数しか裁判にかけられない実態が浮き彫りになったといいます。東チモールの子どもは法的な保護をうけられない厳しい環境におかれていることがはっきりしました。
ユニセフと2010年の政府統計によれば、東チモールの65%以上の子どもたちは何らかの虐待の体験をしたと見積もられています。子どもに対する虐待の多いことはよく話題にのぼりますが、まさかこれほど深刻な状況だったとは驚きました。虐待のなかでもJSMP報告は(とくに女の子にたいする)性的虐待は「浸透している問題」だと注意を喚起しています。性的虐待のうち、家族によるものもあり、「年少者によるものが増加しているように思われる」と報告されています。暗澹たる想いになってしまいます。
子どもを法律で守れ
JSMPは子どもを保護する法律の確立を勧告します。子どもを保護する法律には、罪を犯した子どもにたいする少年法や更正制度を含めてのことです。日本でいう家庭裁判所や少年院は東チモールにはありません。性的虐待をした者にたいする更正施設もありません(日本もこの分野では遅れているときいたことがあります)。過ちを犯した者に社会復帰をさせる政府機関もありません。これでは子どもたちを法的に保護できません。
少年向けの法律が整備されず子どもを法律で保護できないとなると、JSMPがいうのは、国家の当局者には選択の余地がなくなってしまう、つまり、何もしないか、個別に事態に対処するかであり、このような選択では子どもの権利は頻繁に侵され、二次被害をもたらした子どもたちが成人向け裁判制度の世話になってしまうと懸念されます。
過ちを犯した子どもを保護処分する制度の必要性を実感させる事件が5月にバウカウ地方で起こりました。5歳の女の子に性的虐待をした16歳の少年がその土地の住民に乱暴され、家が放火されたのです。その少年は重症を負い、病院で治療を受けるとうニュースでした。
また、新聞の一面に写真が載ったこんな記事がありました(『チモールポスト』、2014年5月30日)。5月28日のお昼ごろにデリの西側に近接するリキサ地方のティバールという町の施設から行方不明になった17歳のエルジアという女の子が翌日、デリ東部のドロクオアンという所で発見され、施設のシスターが警官から彼女を引き取り保護されたというニュースです。「エルジア、ティバールからドロクオアンまで歩く」と見出しがついたこの記事によれば、この女の子は癲癇と精神障碍をもっていて、2年前に性的暴行をうけた疑いがあり病院で治療をうけたのち現在の施設に保護されたといいます。ティバールから発見場所までは、日中の強い日差しを考えると常識では一日で歩ける距離ではありません。彼女は何を思いながら歩いていたのでしょうか、夜は何処でどうやって寝たのか、何か口にしたのか、水は飲めたのでしょうか……。
ところでいまわたしは「施設」と勝手に訳しましたが、この記事のテトゥン語ではuma mahon【ウマ マホン】と表現されています。umaは「家」、mahonは「影」「陰」の意で、uma mahonで「避難場所」「安全な場所」という意味になります。なかなかいいテトゥン語だと思います。
JSMPの報告を鑑みると、子どもたちや弱者を守るための法整備に時間がかかるというのなら、「避難場所」あるいは「駆け込み寺」のようなuma mahonを権威筋に守られた機関として東チモール全国各地に設置するのが応急措置といえましょう。
人を守るための基盤整備と心得てほしい
子どもたちだけでなく一般の大人でも、とくに遠隔地や過疎地に暮らす人にとって、法律や制度の世話になろうとしたとき物理的な障壁にぶちあたります。当局に足を運ぶために劣悪な交通手段と道路事情を克服しなければならないのです。道路工事などの基盤整備は障害をなくすためにあるべきものなのでしょうが、金の無駄遣いになるか一部の人間の利益になるかの現状に変化の兆しが見られません。
日本の民放ラジオ局で聞いたことですが、ノーベル賞をとった経済学者(名前は忘れました)がいうには、政治・社会の安定や人材育成という面において最も確実で大きな見返りが期待できる投資とは子どもにたいする投資だそうです。東チモール政府は、近い将来に禍根を残し混乱を引き起こす南部海岸地域の「タシマネ計画」やオイクシの「特別経済区」への投資よりも、子どもたちへの投資を最優先させるべきです。
子どもたちの厳しい環境という意味では日本も同じなので、翻って「では日本は……」と考えなければならないことは言うまでもありません。
~次号へ続く~
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座http://www.chikyuza.net/
〔opinion4884:140611〕
「ちきゅう座」に掲載された記事を転載される場合は、「ちきゅう座」からの転載であること、および著者名を必ず明記して下さい。