樺美智子さんを偲び1960年6月15日を想起するために
- 2014年 6月 12日
- 交流の広場
- 9条改憲阻止の会
2014年6月10日 連帯・共同ニュース第330号
■ 今年もまた6月15日(日)午後1時から国会南門前で「樺さん追悼の会」を開きます。これは既に告知したことですが、日も近づいていますから友人たちにお知らせください。
■ 1960年の6月15日と言えば50数年も前のことです。あの当時、青春葉期とよばれる時期にあった人たちも今は老齢期を迎えています。僕もその一人に他ならなったのですが、気がつけば生涯の大半の時間を経てしまっています。人が生きることは時間を生きることにほかならないのですが、樺さんや若くして亡くなった岸上大作さんの遺影を見る度に僕らの生きてしまった時間への内省がやってきます。生きる時間が切断されてしまった彼らのことは、僕らの生きてしまった時間を照らすからです。もし、彼らも生きていたら僕らと同じ生にあったのか、全く違う時間を生きたのかそんな思いが訪れるのです。樺さんや岸上さんと対話することは、結局のところ自分と対話することですが、そこには僕らの生きてしまった時間と可能性でありながら失われた時間との対話があります。僕らは自分の失われた時間を普段はあまり想起することはないのですが、樺さんや岸上さんと会話するとき、この失われて時間や可能性としての時間を呼び起こすのです。帰らぬ時間のことを悔やんでも、想起しても仕方がないという声もありますが、未来という時間を生きるためにはそれが切実ということもあります。僕らの未来という時間は過去という時間のなかにしかみえないからです。僕らの失われた時間、可能性であった時間を想起することは愉しいことではないのかもしれませんが、とても大事なことであり、そういう出会いを自分の中で作ってもいいのです。もし僕らの生き得る時間が貴重なものになってきているのなら、この時間も貴重になってきているのだと思います。樺さんや岸上さん出会うことで、僕らは失われた時間や可能性であった時間に出会いましよう。それが6月15日追悼の会です。
■ 現在の国会周辺は騒然としています。規模や政治的主題は幾分か違うにしても、1960年時の政治的首領であった岸信介の孫である安倍晋三が外に戦争と強権の体制構築に向かって暴走しているからです。何も変わらない、否、段々と悪くなる一方の日本の政治と社会があります。戦後という時間の持った可能性は失われて行く一方なのです。僕は今、この時点で樺さんや岸上さん達、ということは彼らに連なる死者たちを追悼し、出会うことは自分たちの現在への自問をすることです。悪くなる一方の時代に抗うことは可能か、その道は何処にあるか、そういう問いかけをやることです。彼らの微笑みと沈黙は、僕らに苦い思いだけをもたらすだけかも知れません。あるいは何かのヒントを僕らに示唆するかも知れません。いずれにしてもそういう機会を持ちましょう。6月15日はそんな大切な日に他なりません。 (文責 三上治)
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