松本幸四郎と新垣勉の沖縄 ―私のメディア論(5)―
- 2010年 11月 12日
- 評論・紹介・意見
- 「弁慶」の公演テノール歌手半澤健市沖縄
《女子大生から幸四郎へのファンレター》
歌舞伎俳優松本幸四郎(九代目)に沖縄の女子大生からファンレターが届いたのは2004年夏のことであった。「ゴーヤマン」のイラストがある絵はがきに丁寧な文字がびっしり書き込まれていた。彼女の父親は、幸四郎の父白鴎が八代目幸四郎時代に演じた弁慶を何度も観ていてその感動を彼女にくり返し語っていた。父親は体調が悪く沖縄から出られない。そんな父に是非もう一度「勧進帳」を見せてやりたい。これが絵はがきの内容であった。
幸四郎の祖父七代目松本幸四郎(1870~1949)は明治・大正・昭和を生きた名優である。とくに「勧進帳」の弁慶役者として知られる。78年の生涯に彼は弁慶を1600回も演じた。歌舞伎座が空襲で焼け、占領軍が禁じた歌舞伎演目が多いなかで、七代目は弁慶を演じ続けた。私にも昭和20年代初期の『アサヒグラフ』で「これっきりの弁慶」という記事を読んだ記憶がある。しかし七代目は沖縄の土を踏むことはなかった。
いまの幸四郎(1942年生)は祖父の伝統を引き継いだ。16歳で初めて弁慶を演じて以来、全国をまわり今年7月29日の茨城県土浦公演で回数は1046回を数えている。
《基地のない沖縄でもう一度「勧進帳」を》
ファンレターはどうなったのか。
幸四郎の沖縄公演は、その年の11月に実現した。公演後に娘に手を引かれて楽屋を訪ねた父親は目を泣きはらして礼を述べたという。私の手元にある新聞記事には、イラストのある絵はがきを手にした松本幸四郎と女子大生・東江美歌子が握手している写真が載っている。(註)いま、68歳の歌舞伎俳優は、新聞連載の自伝的回想記の3回目を次の文章と俳句で結んでいる。(▼から▲)。
▼平和が維持されるには、多くの人々の努力と犠牲があることを忘れてはいけない。その上で、僕の舞台が成り立っていること考えれば、自分の「勧進帳」が、いくらかでも世の中の平和に役立ってほしいと思う。人を傷つけることは誰でもできるが、人に感動を与えることはなかなかできない。その、なかなかできないことを自分の仕事にしている。いつの日か、基地のない沖縄で、もう一度「勧進帳」を勤めたいと思っている。
日輪にむかひて秋の道はるか ▲
《テノール歌手の沖縄と東京》
盲目のテノール歌手新垣勉(あらがき・つとむ)が01年に出した初アルバム「さとうきび畑」は10万枚以上を売り大ヒットとなった。歌手は52年生まれの混血児である。父親は嘉手納基地のメキシコ系米兵、母は沖縄人。生後間もなく助産婦のミスで家畜用の薬を点眼され失明した。一歳のときに父親は帰国し、母親は子供を祖母に預けて再婚し家を出た。差別と米軍基地の騒音のなかに育った少年は、60年代の復帰運動では中学生でデモに加わった。幼い頃楽しみだった、米人女性のクリスマスパーテイーの、アイスクリームや七面鳥を、ボイコットするようになる。
青年は「歌」に出会う。大学の神学部を経て音楽大学へ進む。「歌という生きる道が見えてきてから、両親と助産婦を許すことができました」と書いている。いま、「沖縄から基地をなくしたい。できないなら、せめて日本全体で痛みを分け合うことはできないのか」と考えている。昨夏の衆院選では民主党に一票を投じた。しかし彼の願いは裏切られた。歌手は、「理想と現実のはざまで迷いながらも、(沖縄では)誰もが基地のない生活を望んでいる」と思い、今こそ県民が一体となって「県外移設」の声を上げて欲しいという。新垣勉は本拠地を東京に置いて年に四、五回沖縄に帰る生活を続けている。
以上は、『毎日新聞』(10年11月4日)の「オキナワ2010.11」という川辺康弘記者による記事のあらましである。11月28日の沖縄知事選を意識して掲載されたものだ。記事は歌手の次の言葉で終わっている。
▼「ナンバーワンよりオンリーワン。互いの違いを認め合うことから平和は始まる。声高に叫ぶことだけが平和ではない。私はアーテイスト。音楽を通じてメーセージを伝えたい」。
《こういう記事があるから》
二人の芸能人は、歴史・伝統・自分史に向き合って語っている。
二人の世界にはさまざまな約束事や制約があるだろう。「世間」を気にしなければ生きることの難しい世界でもあるだろう。それを知った上での「覚悟」を私は感じる。
幸四郎がさりげなく書いた「基地のない沖縄で、もう一度〈勧進帳〉を勤めたい」という言葉に私はうたれる。新垣の「歌という生きる道が見えてきてから、両親と助産婦を許すことができました」という言葉に私はうたれる。
大新聞への批判が言われて久しい。私も批判側にいる。
しかし時にこういう記事があるから私はなかなか訣別できないのである。
(註) 『東京新聞』の「この道」は、各界著名人による自伝的な回想記で長期連載記事である。10年11月1日から松本幸四郎の「この道」が始まった。私の文章はその第1回から第4回までを参考にして書いた。
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