国民投票法を考える ― 過半数の問題
- 2014年 6月 16日
- 時代をみる
- 近藤 健
改正国民投票法が6月13日成立した。これが自民党の9条改正への地ならしであることは自明だが、9条に限らず、憲法のどのような条項改正でも、この法律のように、有効投票の単純過半数で決めていいものなのか、改めて考え込む。
左様、日本国憲法は第96条で「この憲法の改正は、各議員の総議員の三分の二以上の賛成で、国会が発議し、国民に提案してその承認を経なければならない。この承認には、と特別の国民投票又は国会の定める選挙の際行われる投票において、その過半数の賛成を必要とする」と規定されている。
では、この過半数はなんの過半数か、有権者総数の過半数か、有効投票の単純過半数か、投票率が30パーセントと低くても単純過半数でいいのか―――過半数の母数にかんする議論は、2007年の国民投票法採択で決着がついたとされる。すなわち、白票や無効票を除いた投票総数の過半数の賛成で改正が成立するとういう条文である。
だが、権力の必要性を認めつつもその危険性に可能な限り歯止めを設ける立憲主義からみて、どの条項もこのような過半数で軽々しく改正されていいものなのだろうか。とくに民主主義憲法の基幹である「権利の章典」― 日本国憲法では第三章国民の権利及び義務― の人民の権利に関する条項が、なんらかの理由で改正発議されるとき(たとえば自民党改憲案)、それが単純過半数で採択されるとすれば、いとも簡単に権利の制限、縮小を招く恐れが十二分にある。たとえば、国民投票の投票率が40パーセントだったとする。その過半数55パーセントが賛成で改正が成立したとすると、賛成は有権者全体の22パーセントに過ぎない。これでは民主主義の決定といえまい。少なくとも最低投票率を設定しなければ、ほんの少数の賛成で決まってしまう危険は大きい。
最低投票率には反論がある。2007年の法審議にあたって、日本弁護士連合会は、投票率が低い場合、国民の意思が十分かつ正確に反映されないとして、投票率の規定を設けるべきだとの見解を表明した。これにたいして、最低投票率設定は矛盾を生ずるとの反論があった。たとえば、国民投票成立の最低投票率を40パーセントした場合、40パーセントが投票して賛成票が60パーセントなら、全有権者の26パーセントの賛成となり、改正は承認される。投票率が40パーセントを割って35パーセントとする。その80パーセントが賛成したら、全有権者の28パーセントの賛成となり、前者より賛成が多いにもかかわらず最低投票率に達しないため改正は承認されないことになる―という指摘である。
数字上はありうることである。しかし、最低投票率設定の理由は、直接民主制としての国民投票への関心を高め、参加を促すことにある。憲法改正という重大事に関心が薄いとすれば、改正そのものの正統性が失われるのではないだろうか。それに投票率が低いほど改正に有利という状況も生じる。改正派にしろ反対派にしろ、低投票率あるいは関心が低ければ自陣営の動員力が決め手となる。議員選挙と同じ理屈である。
法成立で過半数議論に決着がついたとは、決していえないのである。あえていえば、18歳に投票年齢を引き下げることよりも、このルーズな改憲手続きこそもっと議論すべきで、世論の関心を高めなければなるまい。
憲法改正あるいは修正手続きを「硬性」にするかどうかは、国それぞれの憲法観、憲法制定時の状況によって異なる。最も厳しい例の一つとしては、アメリカ合衆国憲法がある。修正発議には上下両院の三分の二の賛成、または各州中三分の二の議会の要請があるときは憲法修正を目的とする憲法会議を招集しなければならない。そしていずれの場合でも、修正は四分の三の州議会による承認か、または四分の三に州における憲法会議による承認か、によって修正は有効となる(憲法第5条)。ここには国民投票に規定はないが、州議会あるいは憲法会議の賛否がこれに代わるものといえる。この四分の三の州の賛成を必要とする要件は厳しいが、それでも憲法成立以来220年で27の修正がなされている。この数を少ないとし、厳しい要件のゆえになさるべき修正を阻んでいるかとみるかは、大いに議論のあるところで、厳しい要件を乗り越えてなされた修正はそれだけ国民の支持を得ている証拠で、重みがあるともいえるが、その吟味は別の機会に譲る。
国民投票を規定している憲法の例として、大韓民国憲法がある。改正発議は国会在籍議員の過半数または大統領とされる(第128条)、改正案は国会在籍議員の三分の二以上の賛成を必要とし、国会が議決した後、30日内に国民投票に付し、国会議員選挙権者の過半数の投票と投票者の過半数の賛成をえなければならない、とされる(第130条)。ここでは、最低限有権者の25パーセントの賛成を必要としている。投票率の下限を設けることによって、改正を巡る関心度が高まると期待されるから、実際には、25パーセントの賛成で改正が実現することはまずないであろう。
フランスの場合、事情は複雑である。1958年の第五共和国憲法は、 憲法改正手続きとして、発議権は、首相の提案に基づいて共和国大統領に、および国会議員に競合して属し、改正は、人民投票によって承認された後に確定的となる。ただし[政府提出の]改正案は、大統領が両院合同会議として召集される国会に付託することを決定したときは、人民投票にはかけられない。この場合、改正案は、有効投票の五分の三の多数を集めなければ、承認されない、となっている(第89条)。
2000年6月、それまで大統領任期は7年だったが、議会の5年任期と合わせるため大統領任期を5年に短縮する憲法改正案を議会に提出、議会が承認した後、当時のシラク大統領は第89条にしたがって人民投票にかけると決定。第89条のレフェレンダムによる改正はこれが初めての試みだった。同年9月24日の人民投票では、有効投票の73.21パーセントの賛成で可決された。だが、投票率はわずか30.19パーセント、さらに無効票・白票が投票者の16.09パーセントで、賛成投票を投じた人は登録選挙人数のわずか18.55パーセントだった(この部分は、樋口陽一・吉田善明編『解説世界憲法集第4版』より)。単純な過半数による決定手続きに、疑問が生じているのである。
いずれにせよ、世の中には、憲法改正に四分の三とか五分の三とかの賛成票を求める「硬性」憲法が主流である。
2013年自民党が発議要件を両議院の三分の二から過半数にしようと提案した。「改正するために改正条項を変えるなんて、世界中聞いたことがない、卑怯なり」指摘した人がいるが、さすがにこの96条先行改正の動きはひとまず収まった。だが、単純過半数の国民投票法は民主主義にとって危険である。
投票率に関連して、選挙制度についての私見を述べておきたい。筆者は、衆議院は全員比例代表制にするのが、もっとも民主的代表制であるという意見の持ち主である。それはさておいて、現行小選挙区制でも有権者の意見をよりよく代表させるために、決選投票制を、導入すべきだと思う。各選挙区で有効投票の50パーセント以上を獲得した候補者がいないときは、一位と二位との間で、一定の期間を置いて決選投票を行うシステムである。かなりの民主主義国は、様々な形で、決選投票を採用している。最近の選挙での低投票率を見ると、単純過半数の当選者は、選挙区総有権者の30パーセントはおろか、10~20パーセントの支持しか得られていない場合がかなり多い。決選投票はその害を多少とも是正する仕組みである。選挙コストがかかるという反対があるが、民主政治のコストとしては高くない。もっといえば、オーストラリアのように、罰則付きの投票義務制を取り入れてもいい。政治家は民意、民意とよく言うが、足元は薄い氷であることを自覚すべきだろう。
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