対米軍事従属下の「軍事的自立」への模索 -日本の将来をもてあそぶ「軍事オタク」たち-
- 2014年 6月 17日
- 時代をみる
- 盛田常夫集団的自衛権
冷静終焉後の内戦と地域紛争
米ソの冷戦時代が終焉して以降、各地で内戦や領土・領海をめぐる紛争が頻発している。親分が死んでパンドラの箱を空けた途端、各地で頭目争いが始まったような様相だ。
1990年代初めには、旧ユーゴスラヴィアでは信じられないような残虐な殺戮合戦が起こった。戦争の時代だった20世紀が終わりに近づき、もうナチス・ドイツのような民族殺戮など起こりえないと思われていたヨーロッパ大陸での出来事である。「自主管理社会主義」と胸を張っていた国が、どうして隣人同士で殺し合うことになったのか。自主管理社会主義というイデオロギーが消え失せた途端に、社会的秩序も崩壊し、モザイク国家をつなぎ止める紐帯がほどけてしまった。しかし、それが何故、大量虐殺行為へと社会を走らせたのか。
宗教やイデオロギーをベースにした独裁国家の崩壊は、社会の既存の紐帯をも解いてしまう。しかし、新しい紐帯の創造には歴史的時間が必要だ。宗教国家であれイデオロギー国家であれ、独裁政治のなかで市民的倫理・社会的規範が育成され制度化されることはない。支配-従属関係で構築されている社会では、人は個としての近代的な倫理や社会的規範を学び、我が物にすることができない。したがって、旧体制の崩壊はすぐに新しい倫理や規範を生み出すことはない。旧体制の倫理や社会的規範が持続的に人々を支配しながら、新しい行動規範を模索する長期の過渡的過程が到来する。
こうして、旧社会の崩壊は倫理や規範の空白を惹き起し、往々にして人々を非文明的な行動へと走らせる。そのような混乱の時代に社会的な力をもつのは、旧体制の規範に染まった政治家や軍人、諜報部員、治安機関である。彼らは旧体制崩壊以後の社会的混乱を自らの利益のために利用しようとし、それが時として、残虐無道な行動をも惹き起こす。しかも、こうした社会の混乱にたいして、旧体制の影響が少ないと思われる若者も、いともかんたんに無法行為の追随者になってしまう。社会の不安定さと将来の見通しのなさが、若者たちを一時的な興奮へと駆り立ててしまう。
社会主義国家や宗教国家の崩壊後に私兵組織が隠然と存在するのは、このような理由からであり、これらの組織が次第にマフィア組織へと変貌する。平和的に体制転換が進んだハンガリーでは、若い世代は旧社会主義体制の崩壊から学ぶことなく、再び強権的な政治支配体制を樹立するという旧体制と同じ過ちを犯している。社会が旧体制の崩壊という歴史的事象をしっかりと分析し、そこから学ぶことがないからだ。だから、社会は古い時代の教訓を若い世代へ受け継がせることができない。
それは日本でも同じだ。戦後直後の一時期を除き、「平和教育」は時が経つにつれて風化し、人々は軍国主義時代の艱難を忘れ、過去の失敗から学ぶことを止めた。終戦から10年もの時間を経て日本に生を受けた政治家たち、しかも戦前の支配層の末裔たちが、日本の軍国主義の悲劇から何も学ばなかったとしても、不思議ではない。原発事故からまだ3年しか経っていないのに、もう自分に関係のない問題であるかのように振る舞っている人が多いのだから。
だから、社会は同じ過ちを何度も繰り返す。行ったり来たりしてしか、社会を発展させることができない。自民党や安倍首相は日教組の「偏向教育」を言うが、きちんとした「平和教育」ができていれば、幼稚な「力の均衡論」を信奉する戦後世代の一部が権力を握り、再び戦争ができる国への転換を企てることなどなかっただろう。戦後世代の「軍事オタク」内閣の出現は、戦後平和教育が風化してしまったことの証左である。
戦争を知らない世代の跳ね上がり
着の身着のままで、幼い兄たちを連れ、米軍の海上爆撃の中、船で台湾から日本へ戻った話を何度も母から聞かされた。安倍首相の「日本人を乗せた米軍艦船護衛」はまさに、太平洋戦争末期の悲劇を再現し、人々に恐怖を与えようとするものだ。しかし、本当にこのような事態を想定しているのか、それともたんなる脅しなのか。
TV討論会の中で、このような想定は非現実的で、万が一、そのような危険な事態が生じた場合には、海上移動するのを止め、陸地で一時的に避難する方がよほど現実的だという指摘にたいし、安保法制懇を事実上主導する北岡伸一氏は返す言葉がなかった。本当に第三次世界大戦のような事態を想定しているとは思われない。戦闘行為が継続しているなかで機雷掃討艇を使用するためにも、集団的自衛権が必要だという議論にたいして、「そもそもプラスティックで建造されている小さな船を、戦闘海域に出動できると考える方が間違っている。機雷除去作業は戦闘終了後でしか行えない」という的確な指摘にたいしても、北岡氏は「官僚は細かなことを知っているので困る」というような苦言で誤魔化している。
要するに、安倍首相が例示した具体例のほとんどは、国民に恐怖感を与えて集団的自衛権が必要なのだと実感させることを狙ったものだ。だから、事例を出したり引っ込めたりしている。そこに問題の本質がないことは明らかだ。
北岡氏がいみじくも吐露したように、「安保法制懇は安全保障の専門家の集まりで、憲法的観点は考慮していない」。安全保障の専門家からすれば、集団的安全保障など常識の部類に属するものだという。つまり、安全保障の観点からは、抑止力論で対応するしかないというのが、安保法制懇の基本姿勢だ。簡単に言えば、「武力にたいしては、武力で抑止するしかない」という力の均衡論だ。冷戦時代を過ぎても、地域紛争処理に力の均衡論が幅を利かせている。このような単純な議論には、20世紀の戦争の時代を経験した人類の知恵など、一欠片(ひとかけら)もない。なぜ日本が戦争放棄の憲法で戦後社会の建設を始めなければならなかったのかという歴史的反省もまったくない。
抑止力論に立てば、たとえば隣家との境界線をめぐる紛争で、隣が鎌で威嚇するなら、こちらは刀で威嚇し、向こうが刀で威嚇するなら、こちらは鉄砲で威嚇するしかない。これこそ、19世紀から20世紀にかけての帝国主義時代の論理だ。そして、自分の力が足りなければ、隣町の猛者に援軍を頼もうというのが、集団的自衛権の議論だ。しかし、いくら何でも、隣人を殺してまで境界線を守ろうとする時代ではないだろう。もう国境紛争に軍隊を出動させて、殺し合いをする時代ではない。
明らかに、集団的自衛権の唐突な主張には、地域紛争が喫緊(きっきん)の課題になっているという背景はあるが、それを契機に、国外での自衛隊の武力行使に道を開きたいという自民党右派の長年の念願がある。軍事的に自立した国にしたいという強い願望が、安倍内閣の「集団的自衛権」容認で現実化しつつある。ところが、対米軍事従属下の「軍事的自立」など、形容矛盾以外の何物でもない。
対米従属下の「軍事的自立」という矛盾
日本の保守右翼の最大の弱点は、対米軍事従属からの自立を主張できないことだ。戦後70年も経っているのに、日本の軍事主権はアメリカに握られたままで、基地使用に期限がない。戦後、安全保障条約の締結にかかわった政治家は皆、米軍駐留を可能な限り短期間で終わらせることに腐心していた。そこには、帝国時代の政治家の気概が見られた。
ところが、米軍駐留が恒常化するにつれ、基地の返還・撤廃は次第に重い課題になり、もうそれを言い出す政治家がいなくなった。それに代わって編み出されたのが、「同盟国」論理である。軍事的従属という事実に目を瞑(つむり)り、「従属」を「同盟」と言い換えることで、米軍駐留の現状を合理化する論理だ。こうすれば、もう米軍駐留を批判することも撤去を要請する必要もない。しかし、「同盟」と読み替えてみても、軍事的従属という事実がなくなるわけではない。幼児は、「目を瞑(つむ)れば、自分の体が外から見えなくなっている」と考える。「同盟国」と言い換えれば、軍事的従属の事実に目を瞑ることができると考えるのは、まさに幼児の論理だ。
集団的自衛権が「アメリカ艦船が運ぶ邦人を守るために」にあるのでないことは明らかだ。石破幹事長が図らずも吐露したように、当然、「将来、国外の戦場に行く」ことに、事の本質がある。当面、日本一国で国外の戦場に出かけることはないから、アメリカと一緒になって、国外で戦闘行為を行うということだ。いったん集団的自衛権を言い出したなら、軍事的主権を握るアメリカの要請を断るのは難しい。アメリカ軍人の犠牲者を一人でも減らしたいアメリカにとって、安倍内閣の提案は「渡りに船」だ。対米軍事従属下の集団的自衛権の容認は、戦場国から避難する邦人を保護するためのものではない。アメリカの戦争に手を貸すから、中国からの「侵略」には手を貸してくれと言う見え透いた取引だ。
しかし、この取引でいったい誰に分があるのか。アメリカ軍にとって、そんな口約束など、たやすいものだ。それより、本当に集団的自衛権を言うなら、日本の軍人を戦場にしっかりと派遣して欲しいというのが本音だろう。アメリカの軍事的従属下の集団的自衛権の行く末は見えている。真の自立を主張できない「いじけた集団的自衛権」は、日本に何の利点もない。これこそ、保守右翼が口癖のように使っている「売国の論理」だ。自らが「売国の輩」だということが分からないほど、日本の保守右翼は日本人の矜持を失っている。
ヴェトナム戦争を忘れるな
集団的自衛権とは、「同盟国が攻撃を受けた時に、反撃支援に参加する義務」があるということだ。安倍首相が示した架空の事例ではなく、具体的事例に照らしてみなければ、その意味することは理解できない。
第二次大戦以後で最大の総力戦となったヴェトナム戦争が本格化したのは、1964年にアメリカが本格的に参戦してからである。この参戦の契機になったのは、ヴェトナム沖トンキン湾における米軍艦船への魚雷攻撃である。遠く母国を離れ、他国の領海近辺に威嚇出撃し、攻撃されたと「因縁をつけて」、アメリカは北ヴェトナムへの爆撃と南ヴェトナムへの地上軍派遣を決定した。「同盟国」の艦船が攻撃されたのだから、「同盟国」はこのような強引な侵略にも付き合う義務がある。
およそ8年にわたるアメリカのヴェトナム侵略によって、北ヴェトナムの森林は廃墟となり、南ヴェトナムの地上戦ではアメリカは一時50万人を超える兵士を派遣したが、そのうち5万人もの軍人が命を落とした。ヴェトナム人の軍人と民間人の死者は300万人とも400万人とも言われている。アメリカの参戦によって、膨大な人命が地球上から失われたのだ。
日本はアメリカのヴェトナム侵略のために、アメリカ軍基地の全面的使用を黙認して米軍の戦闘行動を支援したが、自衛隊を派遣することはなかった。これにたいして、ヴェトナム特需で景気を持ち直し、対北朝鮮問題を抱える韓国は、最大時で5万人の軍隊派遣を行った。その韓国が払った犠牲者は5000人とも1万人とも言われている。
全世界でヴェトナム戦争に反対する運動がおこり、アメリカは大きな犠牲を払ったにもかかわらず、孤立し、撤退を余儀なくされた。戦争終結後にアメリカでヴェトナム戦争の評価をめぐる検討が繰り返され、今では誤りの戦争だったという評価が大勢を占めている。しかし、失われた人命は永遠に戻ってこない。当時、アメリカ兵1人の死は、ヴェトナム人50名分とか100名分とか言われた。「未開のヴェトナム人」は家畜のように数えられた。しかし、この不正義のヴェトナム戦争がアメリカ社会に残した後遺症は深刻で、これ以後、アメリカは他国への地上戦参加を極力控えるようになった。
「喉元過ぎれば、熱さ忘れる」。ヴェトナム戦争終結から30年経過して、アメリカは再びイラクで、同じ過ちを犯した。そのイラク戦争にも、日本は後方支援に加わるだけで、戦闘行為へ加わることはなかった。ひとえに、「憲法九条」の盾のお陰である。ヴェトナム戦争、イラク戦争という不正義の戦争に日本が直接加わらなかったことは不幸中の幸いだった。しかし、どちらの戦争においても、日本政府は戦争原因を究明し、戦争支援行動の正否を検討するという当然の行為を怠った。アメリカの軍事的従属下では、政治家にそのような評価を行う勇気も必要もなかったのだ。なんとも腑抜けた歴代自民党政府だ。
それから日本の政治は変わったのか。何も変わっていないばかりか、ますます腰が軽くなった主体性のない「軍事オタク」政治家が、日本の将来をもてあそんでいる。アメリカへの軍事的従属下の「集団的自衛権」の行く末は見えている。ネトウヨは、集団的自衛権を主張するのが愛国者で、それに反対するのが売国奴というが、本質はまったく正反対なのだ。
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