頭も尻も出してしまえばいいではないか
- 2010年 11月 12日
- 評論・紹介・意見
- 三上 治尖閣沖ビデオ評論
「頭は隠したがるが尻は出したがっている」なんて文句をひねっている間にさっさとケツを捲くられてしまった。例の映像の流出である。こんなのどうという事ではない。いつの間にか、いろいろ枝葉が競り出してきて面白可笑しく論じているうちに幹が見えなくなっているだけのことだ。枝葉末節というが、つまらないことは切り捨て、幹の部分を見ればいいのである。
11月11日の朝日新聞の朝刊は台湾の総統が「尖閣の海洋資源共同開発」を日中に呼び掛ける文を掲載していた。尖閣列島をめぐる主権[領有権]の争いを激化させずに平和的に解決し海洋資源は共同開発せよという提案である。台湾も尖閣列島の領有権を主張しているのだから説得力のあるものと言えよう。日本は尖閣列島については、その領有権を台湾と中国と、竹島では韓国と、また北方四島ではロシアと争っている。要するにこれらの地域では領土権をめぐる争いがあり、それが現実である。この現実に対してそれらは日本固有の領土であると言ったところで、あるいは領土問題は存在しないと言ったところで何も解決しない。そのことは誰もが知っている。お互いに領有権があると主張しているのだから対立がある。だから、現実的解決を模索するしかない。誰も分かりすぎるほど分かっていることだが、領土問題であると言いだすと非現実的で観念的な主張が現れる。領土は国家的観念であるからだ。国家的観念の自己確認や宣伝をしたがる面々が雨後のタケノコのように出てくる。彼らは領土問題の現実的解決などはどうでもよい。領土問題を通して国家的意識が高揚すればいいのだし、そのような契機に使えればいいのだ。うがった見方をすればナショナリストにはこじれている領土問題が存在している方が好都合なのである。
政府の面々は問題の現実的解決を模索し続けるだけの見識と腰の据わった態度がとれるかだ。政争の具にしたい政治家や政党、あるいはメディアに右往左往しない政治的態度と度胸である。今の政府の不幸は前原のような観念的な国家主義者(ナショナリスト)を中枢に抱えていることである。彼には現実的解決をめざす見識もない。僕は今回の尖閣列島騒ぎは偶然の要素で生じたというよりは大きな政治が背後で動いたと推察している。その一端を担う人物として前原は格好の位置にいたのではないか。菅や仙石は前原の言動について厳しい態度をとらないと足をすくわれかねない。いまさらという思いもするがそんな気がしてならない。繰り返すが幹の部分を見ていればいいのだ。
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〔opinion0210:101112〕
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