安倍政権の“暴走”を許さない -今年も声なき声の会が6・15記念集会-
- 2014年 6月 20日
- 時代をみる
- 60年安保岩垂 弘
54年前の安保条約改定阻止運動(60年安保闘争)の中で生まれた反戦市民グループ「声なき声の会」による恒例の「6・15集会」が、6月15日、東京・池袋の豊島区民センターで開かれた。毎年、さまざまなテーマで話し合ってきた「6・15集会」だが、折りから、集団的自衛権行使を認めるために閣議決定で憲法解釈を変えようという安倍政権の方針がヤマ場を迎えていることあって、会場内はこれまでになく緊迫感がただよい、「今こそ、憲法9条を守ろう」「安倍政権の暴走をやめさせなくては」との発言が相次いだ。
日米間で安保条約が結ばれたのは1951年だが、57年に発足した岸信介・自民党内閣は条約改定を急ぎ、両国間で調印された条約改定案(新安保条約)の承認案件を60年に国会に上程。社会党(社民党の前身)、総評(労働組合のナショナルセンター)、平和団体などによって結成された安保改定阻止国民会議が「改定で日本が戦争に巻き込まれる危険性が増す」と改定阻止運動を起こす。これに対し、自民党は5月19日、衆院本会議で承認案件を強行採決。これに抗議する大規模なデモが連日、国会周辺を埋めた。
デモの中核は労組員と学生だったが、千葉県柏市の画家、小林トミさん(当時30歳)らが「普通のおばさんも気軽に参加できるデモを」と思い立ち、6月4日、小林さんら2人が「誰デモ入れる声なき声の会 皆さんおはいり下さい」と書いた横幕を掲げ、虎ノ門から国会に向けて行進を始めた。
横幕に「声なき声の会」と記したのは、岸首相が抗議デモに対し「私は『声なき声』にも耳を傾けなければならぬと思う。いまあるのは『声ある声』だけだ」と述べたからだった。沿道にいた市民が次々とデモに加わり、解散時には300人以上に。小林さんらが提唱したデモはその後も続けられ、参加者は毎回、500~600人にのぼり、この人たちによって「声なき声の会」が結成された。
6月15日には、全学連主流派の学生たちが国会南門から国会構内に突入、警備の警官隊と衝突、東大生の樺美智子(かんば・みちこ)さんが死亡。抗議の声がとどろく中、新安保条約は6月19日に自然承認となった。
翌61年の6月15日、小林さんは国会南門を訪れた。前年、そこは樺さんを悼む人びとで埋まっていたが、それから1年後、南門周辺は閑散としていた。「日本人はなんと熱しやすく冷めやすいことか」と衝撃を受けた小林さんは「安保条約に反対する運動があったこと、その中で命を落とした樺さんのことを決して忘れまい」と誓い、毎年6月15日には、声なき声の会の有志とともに花束を携えて国会南門を訪れるようになった。
その後も、この日を記念する、声なき声の会主催の6・15集会と国会南門での献花は毎年続けられ、2003年に小林さんが病死してからも続いてきた。
54回目となった今年の集会の参加者は昨年並みの約30人。首都圏在住の人が多かったが、秋田市からやって来た人、初めて参加した人もいた。
この集会は、参加者全員が自由に発言するというやり方を続けており、何事かを多数決で決めるということはしない。今年は、集会の冒頭であいさつをした代表世話人の細田伸昭さんが「集団的自衛権の行使を認めるために、憲法の解釈が変えられようとしている。きょうは、それぞれのやり方で安倍政権の暴走をやめさせたいということで集まったのだと思う」と述べたこともあって、集団的自衛権行使問題にからんだ発言が目立った。
写真:集会後、 国会南門に花を供え樺美智子さんを追悼して黙とうする集会参加者たち
高齢の男性は「独りでいると、だんだん腹がたってくる。日本人に、だ。日本人は、馬鹿げた戦争を二度もやろうとしているように思えてならない。かって、日本人はススメ、ススメと戦争に引っ張られた。その結果が、海ゆかば水漬く屍 山ゆかば草むす屍だ。東京は丸焼けになった。そして、中国で日本軍は何をやったのか。なのに、日本人は自民党に票を入れる。彼らはカネのためなら何でもやる。まるで、自分で自分の首をしめるようなものではないか」と話した。
神奈川県相模原市からきた男性は「前の戦争で死者が出た。みんなが、戦争はもうたくさんと思い、平和の時代がきた。今の状況を見ると、この先、またたくさんの死者が出てくるという予感がする。もう、死んだ人は還ってこない。私たちは、今、何ができるかを考えたい。小林トミさん、樺美智子さんの気持ちを思い起こさねばと思う」と語った。
元演劇俳優の81歳の女性は「小学校2年の時、皇紀2600年の祝賀行事があった。まもなく、東京市が東京都になり、小学校が国民学校になった。直後に太平洋戦争が始まったが、(戦況が)よかったのは最初の1年だけで、そのうち疎開せざるを得なくなり、日本はボロボロになってしまった。『国民』という言葉が怒濤のようにあふれ、国民服、国防婦人会ができた。権力者は国民の中に入らず、自分が思った通りに政治を行う。権力者が『国民』という言葉を強調するようになったら、警戒しなくてはいけない」と話した。
神奈川県在住の女性も「今の世の中に違和感を感じている。自分の知らない世界が始まっている感じ」と、今の政治の世界での動きと、世間を覆いつつある空気への警戒感を露わにした。
「平和憲法が内閣によってつぶされたら、後世の人たちから、その時、日本人は何をしていたのかと言われるだろう。そんなことになったら、後世の人たちに申し訳ない。そんなことにならないように頑張りたい」と語ったのは、中年の男性である。
安倍政権によって解釈改憲が強行され、憲法9条が息の根を止められた後を視野に入れた発言もあった。この集会にほとんど欠かさず出席してきた元ベ平連事務局長の吉川勇一さんの発言だ。「私たちは、改定された日本国憲法に反対せざるをえなくなるかもしれない。政府や自治体の命令に従わなけれ処分されるだろう。でも、自分が正しいと思ったことをやらなければならないとしたら、市民的不服従、非暴力直接行動という道がある」
市民的不服従・非暴力直接行動は、インドのガンジーが対英独立運動の中で編み出した運動形態とされ、1950年代から70年代にかけ、米国の、黒人による公民権運動や、ベトナム反戦運動でも採用され、広く知られるようになった。日本でも、ベトナム反戦運動や70年安保闘争でこうした形態の運動がみられた。
他に、原発の再稼働や東京オリンピックに反対する意見もあった。
集会後、参加者たちは国会南門を訪れ、花束を供え、故樺美智子さんを偲んで黙とうした。
初出:「リベラル21」より許可を得て転載http://lib21.blog96.fc2.com/
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座http://www.chikyuza.net/
〔eye2669:140620〕
「ちきゅう座」に掲載された記事を転載される場合は、「ちきゅう座」からの転載であること、および著者名を必ず明記して下さい。