マルクスへの私的挽歌
- 2014年 6月 21日
- 交流の広場
- 熊王信之
青年時代にマルクスを読み、かぶれるのは常識だが、青年時代を過ぎても、未だマルクスを崇めるのは阿保だ、と誰かが書いていたが、私は、壮年になっても崇めていた。 可成りの阿保と云うべきかも知れない。
ただ、崇めていた、と云っても、己が思想として、身につけ、実践に乗り出すところまでは行かなかった。 その変革の思想としては、敬いつつも、来るべき社会としての社会主義社会なり、共産主義社会には、懐疑的であり、俄かに信じることは出来ず、更に、自分の周囲の人間で思想的に染まった人には、一種の宗教的な雰囲気を感じさえもし、敬遠した。 彼らの多くは、極端に走り、犯罪者に成り果てたり、或は、自己の思想に見切りをつけて転向し、揚句の果てには労働組合運動に敵対したりしたものだから、余計に、見下げ果てたものだった。
思えば、こうした私の傾向には、幼児期のある体験が影響している。 昭和30年代、私は、父母、祖父母と暮らしていて、特に、祖母に可愛がられ、祖母が当時信心していた或る仏教系の寺へ頻繁にお供をした時期があった。 その寺へは老人が多く参拝し、昼食を共にし、経を唱え、日がな一日寺で過ごしたものだった。 言わば、余暇の少ない時期に、弁当持参で、日帰り旅行をしていたようなものだった。
或る日のこと。 祖母と共に、何時ものようにお寺に参り、何時ものように持参した弁当を食べ、昼の行事の前に、寺内の見物に出かけたことがあった。 外来に開放された本堂を抜け、お寺の内部を探検に出かけたのだった。
ところが、不味いことに、行く手の廊下に僧侶の一団が現れ、私の居る方向へと来るではないか。 これは不味い、と立ち止った私を観たその内の一人は、一般人の服装であり、僧侶と何か会話をしながら、あの子は、お寺のお子さんですか、と聞いたのであった。 僧侶の一人は、いいえ、と否定したようであった。 私は、急いで本堂に戻り、事なきを得たのであったが、話は意外な展開を見せることになる。
昼を過ぎ、寺の本堂で僧侶と共に経を唱えて居た時であった、先ほど観た一般人の服装をした人が、何と松葉杖をついて本堂に入って来たのであった。 私には、何が何だか理解出来なかったのであった。 僅かの時間の間に、松葉杖をつくほどの怪我をされたのかも知れないが、一体、何があったのか、と注目していたのを覚えている。 ところが、暫くすると、その人が突然、立ち上がり、「治った。治った。」と叫んだのであった。 何度も、何度も、「治った。治った。」と叫び、踊るように周囲を観ながら廻ったのであった。
いくら、子供でも、これには、驚き、呆れ、云うべき言葉も無かった。 今でも、時折、その時のことを思い出しては、ため息をつくことがある。 何もそこまでしなくても、と。 寺の本堂に参集した高齢者は、持参の粗末な弁当を食べ、愚痴の一つもつきながら、一日を寺で過ごし、また、貧相な暮らしに帰って行く。 そんな老人たちを騙さなくても良いだろう、と僧侶に云ってやりたかった。 そこまでしなくても、みんな満足していたのだよ、と云ってやりたかった。
その時の僧侶とマルクスが似て居た訳では無いのだが、簡単に何かを信じることが出来なくなるくらいの貴重な経験を幼少時にしたものだから、何事に依らず、信用と云うことが出来ない人間になってしまった。 因果なことではあるが自分のこうした性格は矯正のしようが無い。
従って、ソ連が健在の時代には、社会主義社会の現実は如何なものかと好奇心が旺盛であったし、中国の実態についても調べていた。 幸い、亡父が渡航したことがあり、根堀葉掘り、尋ねたものであった。 中でも、北朝鮮の実態については、数十年前に既に見破っていた。 情報源は、在日朝鮮人の方々に依る帰国経験に依ったので、信頼出来るものであった。 そうした情報収集には、高性能の短波受信機が役立った。 今では、ネットがあり、各種情報が氾濫しているが、その昔にあっては、短波受信機で、諸外国の放送を聞くのが一番であり、中でも、イギリスのBBCは信頼性が高かった。 例えば、旧ソ連にあって失敗に終わったクーデター時に政権にあったゴルバチョフ氏が、BBCの放送を聞いていたことは有名な事実であった。
因みに、最初の高性能短波受信機は、亡父に買って貰っていた。 亡父は、証券業に従事していて、敗戦は、短波放送受信で何年も前に知っていたらしい。 詳しい話は聴けなかったが、業界として軍部からも情報は得ていたらしいし、常々、大本営発表等を誰が信じるものか、と吐き捨てていた。 日本のマスゴミ(特にNHK)を一切信じないのは、親父の影響かも知れない。
さて、社会主義の国々は、今では崩壊してしまった諸国であるが、当時でも他国からの放送にジャミング(妨害電波)を入れて聴取不能にするような国では、その人民の生活は押して知るべし、と思われた。 極め付きは、天安門事件であった。 BBCの現場中継で、何発もの銃声がする中で、微かに震える声で中継していた女性アナウンサーを忘れられない。 社会主義国の蛮行を世界に知らしめた実況中継であった。
処で、旧社会主義諸国の蛮行には、共通したものがある。 容赦の無い反対派人民の抹殺と、徹底した弾圧で、体制の安泰を図ることが第一目的になり、際限の無い殺戮を反復するのが特徴である。 旧ソ連のみで、優に数千万人を殺戮しているのが事実であり、その同程度は、中国でも殺戮している。 人権とか民主主義とかは、まったく無いのが現実である。 しかも、場合に依れば、人為的な飢餓を起こして人の相食む生き地獄に人民を追いやる非人道的な鬼畜の如き仕業であった。
その例証が独ソ戦争時に観られる。 即ち、ドイツ軍が旧ソ連に侵攻した当座は、ドイツ軍を解放軍扱いする旧ソ連地域が普通にあった、と云うのである。 それが、証拠に旧ソ連領にあって、志願者に依る武装SS(親衛隊)部隊が編制されもしたのであった。 彼らは、ソ連領に侵攻するや否や、共産党員を捉えれば即時に処刑した。
兎も角、旧社会主義諸国では、人命が著しく軽んじられるのであった。 戦争時には、自国の兵士の命にも何の顧慮もせず、夥しい死骸を出しながら攻撃を反復するのが普通であった。 その証言は、幾らでもあり、例えば、朝鮮戦争での中国人民解放軍の人海戦術では、地雷原を兵士が横一列になり突撃し、戦死者の山で地雷原を突破するのが常であった、と云う。
私は、今では、現実を観ずにマルクスの経文を拠り所にして、人心を迷わす数十年前に自身の眼前に観た似非僧侶の如き言説とは縁を切っている。 そのせいかどうか、頗る心身が軽い。 矢張り、壮年になるまでかぶれるものでは無いのだろう。
ただ、壮年になるまでかぶれていた責任上、どうしても究明したい問題がある。 先に記した際限の無い虐殺の全貌とその理由である。 第一には、虐殺の事実関係と規模である。 これについては、旧社会主義諸国崩壊後に記録文書等が公開されて事実究明が可能になったものの、未だ、その全体像が明らかになったとは言えない段階で、数少ない研究書を参照しても犠牲者数は、推計が多いし、歴史的背景や事実関係も未解明の部分が多い。 虐殺の原因・理由に至っては、未解明で推定に過ぎない研究段階とも思われる。
これは、ナチス・ドイツの蛮行と比較して、著しく均衡を欠くものと言えよう。 旧社会主義諸国の行った蛮行への罪責の追及に至っては、殆どが不問に付されたのも同然であり、人道上許しがたいものがある。
例えば、第二次世界大戦中に旧ソ連のグニェズドヴォ近郊の森で約22,000人のポーランド軍将校、国境警備隊員、警官、一般官吏、聖職者が内務人民委員部(NKVD)によって銃殺されたカティンの森事件では、明白に旧ソ連が行った蛮行であることを認められながら、旧ソ連およびロシアの捜査によって責任を追及され、訴追されたものは一人も存在しない、とされている。
カティンの森事件 Wikipedia
旧社会主義諸国に依る蛮行の原因・理由、その依って来る事由は何だろう。 私は、拙いながらも、一応、私的な仮説は立てたものの、実証するには至っていない。 その仮説とは、矢張り、マルクス主義の中に回答がある。 思想体系の中に、核となる敵対する者に向けた憎悪の体系があり、それらを排除・撃滅・圧殺・殺戮し尽す行為を合理化する教義が含まれている、と云うものであり、この思想に馴染めば馴染むほどに、いざとなれば躊躇なく虐殺を実行する機械に人が為る、と云うものである。
革命を実行する主体であれば、プロレタリアート独裁を実行に移した上で、その必要にも駆られようし、また、実際に敵対階級の圧殺が必要な場合もあるのであろう(フランス革命でのマリー・アントワネットを始めとしたギロチン処刑の如く)、その折に、躊躇なく実行出来る者でなければ、革命主体の任には堪えない、と云うことなのであろう。
そうした言説は、革命家の著書にも観られるものである。 例えば、毛沢東選集の
中には、「革命は、行きすぎなければならない。」との言辞があるが、前後関係に鑑みれば、人権無視も構わない、と読める(そして実際に実行に移された。)。
しかしながら、自分で言うのも可笑しいが、そんな恐ろしい仮説が実証されないように祈る。 もう観ることも無い夢に纏わるものなのだから。
参考:
The Black Book of Communism: Crimes, Terror, Repression
From the Gulag to the Killing Fields: Personal Accounts of Political Violence And Repression in Communist Studies
The Harvest of Sorrow: Soviet Collectivization and the Terror-Famine
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