テント日誌7月6日特別版…テント外伝12
- 2014年 7月 7日
- 交流の広場
- 経産省前テントひろば
経産省前テントひろば1030日 商業用原発停止291日
【テント外伝…12】
6月12日の山村貴輝署名文書内における誤記と謝罪
2014年7月6日 山村貴輝
・経緯の説明
私は、経産省前テントひろばのブログである「テント日誌」に不定期に投稿している。その中で6月12日付の【テント外伝…12】の文中で事実とは異なる文章を書いた。それは、「東大地震研闘争」に関わる文章である。その発端は「東大地震研闘争」を主体的に担った石川良宣氏からの抗議である。抗議の内容は、私の記した「東大地震研闘争は実際の闘争とは異なる」と言う指摘である。
・その後の展開
そこで、私は石川良宣氏(以下石川氏とする)と連絡を取り「誤りの個所と実際の東大地震研闘争」につき、具体的な指摘と実際の闘争のご教示を受けた。その結果、私の東大地震研闘争の評価は誤りであり、このような誤った内容を記した責任は一重に私にあることを確認し、謝罪すると共に、文書でもってその意味を公開することを確約した。その内容をここに明らかにする。
・誤りの個所と実際の東大地震研闘争
【私の文章の地震研闘争に関する全文】
70年代初め、「東大地震研闘争」があった。これは、不当解雇撤回闘争だが何故この不当解雇が生じたのか。それは、地震研の若手研究者、嘱託研究者が「東大地震研が御用団体になり原発開発に賛成し、逆に言うならば日本列島に原発を作るなんてとんでもない」、と言う意見を述べた。これに対して、東大当局は「解雇処分」と言う弾圧を行った。この闘いは、日本列島に原発を作ることは地学研究者として容認できない、と言う意見であり、闘いだった。ここで改めて確認するまでもないことだが、水俣病同様の「学識経験者」なるものの本質が「学問の中立性自体が作為的な幻想」であり、研究者が日本帝国主義の「金と位置」に群がりくる亡者であるということである。この反動的な構造の中で「地震研の闘争」は研究主体とは何か、と言う人民的・階級的位置づけを根本においた闘いであった。だが、東大地震研の不当解雇撤回闘争は東大当局のより圧殺される。
【実際の東大地震研闘争】
66年に石川氏は東大地震研に臨時職員として採用される。この臨時職員と言う制度は「民主的な学園」とは裏腹の教授を頂点とする「古代的封建制度」である。そして、臨時職員はその最下層に位置し、生殺与奪の権は教授が握っている。さらに、臨時職員の労働は単純労働や、薬品を使用するにも身体を保護する手立てはない。また、労働基準法や労働安全衛生法も無視し、トイレに行く回数も管理されるという極めて差別的且つ劣悪な労働環境である。その、反労働者性、反人間性に異議を申し立てれば、臨時職員の雇用が単年度雇用のため次年度の雇用の保証はないと言う恫喝が掛けられていた。
68年にこの様な労働環境と研究室のピラミッド体制に石川氏は異議を申し立てるが(震研職労組などと臨時職員の会を組織化)、担当教授である宮村との軋轢が重なる。そして、70年8月に空手有段者である宮村教授から凄まじい暴力的制裁=リンチを受ける。そもそも、「封建制度」とも言うべき職員に対する絶対的支配体制があり、人を人とも思わないこの体制の頂点に立つ宮村教授は、石川氏の存在自体、あるいは運動自体が目障りであり、自己の権力支配に「反乱をする」石川氏に対して凄まじい暴行に及んだのだ。ことここに及んで石川氏の怒り、悔しさを想像するに難くない。だが、宮村教授のリンチに怯まず石川氏の果敢な闘争は東大全学の支援組織を構築しつつ、ハンスト闘争に決起する。しかし、震研当局は石川氏に賃金カットなどの弾圧を強める。
70年11月には石川氏の闘争を自らの闘争として受け止める地震研職員(教官を含む)震闘蓮(地震研闘争連合)を主体に東大全学の職員(教官を含む)学生、院生が結集し「石川君と連帯する全学闘争委員会」が結成され震研所長との交渉を要求して震研所長室解放闘争を行うが、東大当局は地震研の建物を金網バリケードでロックアウトし特別機動隊を導入した。国家権力の暴力装置による闘争弾圧を撥ね退けるべくデモで抗議し地震研のロックアウトを突破せんとする職員、学生に対して当局は機動隊で排除すると共に44名を不当逮捕すると言う事態に至る。また、当局はその後もロックアウトを行う。間もなくロックアウトは解除されたが、逆に教授会の入所を拒否闘争として行い、その闘争は74年までの4年間震研所長室解放闘争として継続した。
1974年、国会の予算委員会で地震研は機能不全と断定され、地震研『御取り潰し』の噂がマスコミに流れ職員は混乱、やむなく震研所長室解放闘争を解き当局は臨時職員を超法規的に全員正職員し以後20年間、臨時職員を雇用しなかった。なお、闘争1年前、石川氏は68年3月に宮村教授から「解雇通告」を受けるが、その実は東大総長から新規更新され臨時職員「技術補佐員」として同年4月から雇用が変更されている。そして、70年11月に正職員に就いている。
この闘争を継承した東大職連/ユニオンイースト Toudaishokuren.com: 東大職連 有期雇用による「新たな臨職闘争」として展開されている。つまり、地震研闘争に始まるこの闘争は、今尚雇い止めなどの運動を継続中であることを付記しておく。
【私の文章の問題点と総括】
この石川氏の闘争の流れを見れば私の文章の問題が明らかである。東大地震研が「原発を推進させたが、それに対して抗議し解雇」されたのではない。問題は、東大地震研の封建的体質であり、臨時職員をして人を人として見ない人権を奪う体質であり、労働者としての誇りを奪い去り、彼らの労動の成果の上に胡坐をかいている震研(無論その体質は震研だけではなく、全学的な問題である。それ故に全学的な組織ができた)との闘争である。したがって【テント外伝…12】での「東大地震研闘争」に関する私の文章は「東大地震研闘争」の本質とは全く別なもの、私の思い込みによるものであり、言い換えれば「物語」である。この様な「物語」を創作して、公開するということは東大地震研闘争に対する冒涜であり断じて許されることではない。さらに付け加えるなら「闘争は圧殺」されたのではなく、「今尚雇い止めなどの運動を継続中である」のであって、地震研闘争の今日的な意義は大きい。そのような、地震研闘争の意義を深く理解せずに私は「闘争は圧殺」された、と言う全く事実無根の「物語」をでっち上げている。この点も石川氏により指摘されて認識できたこととはいえ、「裏を取らない」私の文章は決定的に問題外であり、恥じ入る次第である。
この様な文章を公開した私の不明を「テント外伝」の読者の方々、石川氏及び地震研闘争に関わった方々に自己批判すると共に、深くお詫びをする次第である。また、それにも関わらず当時の文書のコピーの提供、さらに私に直接会い「地震研闘争」について教えて戴くなど、この文章を記すに当たり様々な形でご支援を賜った石川氏に心から感謝します。
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