集団的自衛権を簡単に理解できる3つの新聞記事
- 2014年 7月 8日
- 交流の広場
- 田中一郎
集団的自衛権を簡単に理解できる最近の3つの新聞記事です。安倍政権の集団的自衛権や集団安全保障についての態度のインチキ性と危険性が即座に分かる、非常によくできた記事です。ご一読をお勧めいたします。
(1)集団安保、説明使い分け(東京 2014.6.28)
http://www.tokyo-np.co.jp/article/politics/news/CK2014062802000126.html
http://www.tokyo-np.co.jp/article/politics/news/CK2014062702000280.html
● 東京新聞 集団的自衛権 想定問答集 「限定せず」のぞく本音核心(TOKYO Web)
http://ameblo.jp/heiwabokenosanbutsu/entry-11885563662.html
http://www.tokyo-np.co.jp/article/kakushin/list/CK2014062802000122.html
(半田滋氏解説から:一部抜粋)
「Q:売られてもいないけんかを買って出るのに等しいのですね。
A:その通り。「友人を救うため、ぼくは友人のけんか相手を一発だけ殴る」と主張し、その通りにしても、それで収まるかどうか決めるのは「ぼく」ではな
く、「ぼく」が殴った相手側ということになります。「おまえのことは殴っていないのに、なぜ殴るのだ。許さない」というのが大方の反応ではないでしょうか。殴られた側からすれば先に攻撃したのはそっちだろうと、大げんかに発展しかねません」
(2)集団的自衛権の行使容認、閣議決定文の「ごまかし」(毎日 2014.7.3)
http://blog.livedoor.jp/ryoma307/archives/7754634.html
http://mainichi.jp/shimen/news/m20140703dde012010003000c.html
http://mainichi.jp/shimen/news/20140703dde012010003000c.html
下記の記事では、伊勢崎賢治・東京外国語大教授(平和構築学)や南部義典・元慶応大講師の言説には「危うさ」を感じさせられるが、それを割り引いても、よく書けている記事である。
(一部抜粋)
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戦後日本の平和国家としての歩みを支えてきた憲法9条。集団的自衛権の行使を認める閣議決定で、その解釈を一変させ、自衛隊が海外で武力を行使できるようになった。政府や与党は「しっかり歯止めをかけた」と胸を張る。だが、その言葉を疑問視する憲法の専門家は少なくない。閣議決定文のごまかしをキーワードから読み解いた。【浦松丈二】
◇「明白な危険」に政府判断の余地 「安保環境変化」はトリック
◇紛争地での「駆け付け」に壁 「国家に準ずる敵対組織」は現れない?
<我が国と密接な関係にある他国に対する武力攻撃が発生し、これにより我が国の存立が脅かされ、国民の生命、自由及び幸福追求の権利が根底から覆される明白な危険がある場合において、これを排除し、我が国の存立を全うし、国民を守るために他に適当な手段がないときに、必要最小限度の実力を行使すること……>。集団的自衛権の発動が憲法上容認される3要件を示し、約7000字からなる閣議決定文の核心とされる部分だ。
「従来、政府は一貫して『外国から我が国への武力攻撃』を自衛隊の武力行使の発動要件としてきた。それは一義的で分かりやすい基準だった。しかし閣議決定の『明白な危険』という文言では、どうしても判断の要素が入ってきてしまう」。そう懸念するのは2004〜06年に小泉純一郎政権の内閣法制局長官を務めた阪田雅裕さんだ。時の政権が「明白」のハードルを下げれば、武力行使への道は簡単に開かれるというのだ。「そもそも国家の正当防衛というべき個別的自衛権と、戦争参加権というべき集団的自衛権は本質が異なる。憲法解釈の変更で対応できるテーマではない」とも。
決定文は<「武力の行使」には、他国に対する武力攻撃が発生した場合を契機とするものが含まれる>と戦争参加を想定しながらも、参加国の交戦権には言及していない。阪田さんはここにも疑問を投げかける。「憲法9条により交戦権を持たない日本には、他国のような(非戦闘員の保護など)戦時国際法の権利が認められないと解される。それなのに、どうやって他国と同じように戦争に参加するのか」。敵国に拘束された自衛隊員は捕虜としての権利を主張できず、軍人ではなくテロリストとして扱われる恐れがある。
「憲法は海外での武力行使を想定していない。今までですらぎりぎりの解釈をしてきたのに……」。憲法の重さを知る元法制局長官は嘆く。
憲法9条の解釈変更は、どのように導き出されたのか。閣議決定文は1972年の<政府見解の基本的な論理に基づく>と説明する。この72年政府見解は、幸福追求権を定めた憲法13条などを根拠に個別的自衛権を認めたが、集団的自衛権の行使は「憲法上許されない」とした。ところが今回の決定文では<我が国を取り巻く安全保障環境>を理由に、結論を<憲法上許容される>と逆転させた。
これを批判するのは小林節・慶応大名誉教授(憲法学)だ。「例を挙げれば『あなたは美しいから好きだ』と言っていた人が『あなたは美し過ぎるから嫌いだ』と言い始めるようなものだ。要するに政府にとって論理などどうでもいい。やりたいことをやると言っているに等しい」
本来は「改憲論者」である小林さんが続ける。「『安保環境』の変化を持ち出すのはトリックに過ぎない。従来の憲法解釈では尖閣諸島を守れないから集団的自衛権の行使を可能にし、日米同盟を強化すると安倍晋三首相は訴えるが、尖閣は日本の領土だから個別的自衛権で対応できる。強迫観念をあおる手法に惑わされてはならない」
ごまかしはまだある。
閣議決定文は、国連集団安全保障措置の後方支援や国連平和維持活動(PKO)の<駆け付け警護>についても、従来は憲法9条に抵触するとして非戦闘地域に限っていた自衛隊の活動範囲を拡大し、武器の使用もしやすくした。
国連職員として紛争地で武装解除の経験を持つ伊勢崎賢治・東京外国語大教授(平和構築学)は「武装した組織を紛争地に派遣すれば、住民に対する誤射などの問題が必ず起きる。そのため、問題を処理する軍事法廷を持たない軍隊は使えないというのが国際社会の常識だ」と言う。自衛隊にも軍事法廷はない。
「問題はここだよ」と決定文を指した。<「国家に準ずる組織」が敵対するものとして登場することは基本的にないと考えられる>。PKO派遣された自衛隊員が武器を使用しても紛争に巻き込まれないとする論拠だ。「現実は正反対だ。『国家に準ずる』敵対組織は、外国の軍隊が駐留していること自体を理由に、民衆の中から次々に出てくる。戦争終結後のイラクを見れば明らかだ」。伊勢崎さんはそう喝破する。
今後、政府が例示した米艦防護や機雷掃海など8事例が認められれば自衛隊の活動範囲は広がっていく。衆議院憲法審査会で参考人を務めた南部義典・元慶応大講師は「決定文を読むと、政府は新3要件を満たせば8事例全てが認められると判断しているようだ。問題は、8事例に対応できる『実力』を備えた自衛隊が『戦力』に該当し、戦力不保持を定めた憲法9条2項に抵触する恐れが高まるということだ」と解説する。
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(3)権力者こそ最前線へ:「戦争絶滅受合法案(東京 2014.7.5)
http://blogs.yahoo.co.jp/hitoshi7312/48169401.html
http://www.tokyo-np.co.jp/article/tokuho/list/CK2014070502000164.html
(参考)「戦争絶滅受合法案」再び – ふうるふうる・たらのあんなことこんなこと
http://blog.goo.ne.jp/huuruhuuru/e/a5fce8f91700da010331724072a071d7
● 個別的自衛権 とは – コトバンク
国連憲章第51条で加盟国に認められている自衛権の一。自国に対する他国からの武力攻撃に対して、自国を防衛するために必要な武力を行使する、国際法上の権利。日本は主権国として、国連憲章の上では「個別的または集団的自衛の固有の権利」(第51条)を有しているが、日本国憲法は、戦争の放棄と戦力・交戦権の否認を定めている(第9条)。政府は憲法第9条について、「自衛のための必要最小限度の武力の行使は認められている」ものと解釈し、日本の自衛権については、「個別的自衛権は行使できるが、集団的自衛権は憲法の容認する自衛権の限界を超える」との見解を示している。
(2)集団的自衛権
「自衛」とは自分で自分を守ること。他人を守る、というのは自衛とは言わないし、しかも、自分が攻撃されてもいないのに、自分の「気に食わない相手国」を、友好国が攻撃されたからと攻撃しに行く、それが集団的自衛権の具体的内容だ。だから、集団的自衛権などと言う言葉は、そもそも形容矛盾で成立しえないインチキ用語にすぎず、正確には「集団的戦争権」「集団的武力行使権」と表現した方がいいものだ。こんなものは日本に必要ないし、また、明らかに日本国憲法第9条に違反している。
日本近海での集団的自衛権行使をリアルに想像してみると、たとえば、中国とフィリピンが南シナ海問題で武力衝突し、アメリカがフィリピンの要請を受けて「加勢」に入った。その時に日本もまた、アメリカを応援して、この中国VSアメリカ+フィリピンの戦争に加わって、中国を武力攻撃しよう、というのが集団的自衛権行使である。日本国の防衛や安全保障と、直接何の関係もない海外での戦争に、いろいろと口出しできる、あるいは、アメリカが世界各地で繰り広げる戦争や武力攻撃に加担して、それと一緒に戦争や武力攻撃を行う、というのが「集団的自衛権」である。
中国の軍事力が脅威なので、尖閣や西南諸島が危なそう、だからアメリカと一緒になって戦う集団的自衛権もやむを得ないのでは、などという情緒的反応が新聞などのマスコミ報道で伝えられているが、とんでもない勘違いである。繰り返すが、日本の領土・領海・近海の武力紛争については、個別的自衛権と日米安全保障条約の2つで、武力対抗は完結する(よろしくないことだけれども)。集団的自衛権は必要ない。
● ウィキペディア 集団的自衛権
集団的自衛権とは、他の国家が武力攻撃を受けた場合に直接に攻撃を受けていない第三国が協力して共同で防衛を行う国際法上の権利である[1][2]。その本質は、直接に攻撃を受けている他国を援助し、これと共同で武力攻撃に対処するというところにある[3]。なお、第三国が集団的自衛権を行使するには、宣戦布告を行い中立国の地位を捨てる必要があり、宣戦布告を行わないまま集団的自衛権を行使することは、戦時国際法上の中立義務違反になる。
(3)(国連)集団安全保障
日本は国際紛争を解決する手段としては、武力の行使=戦争や、武力による威嚇を放棄しているし、交戦権も認められていない。当然ながら、下記のような「集団安全保障」への参加も認められていない。それを安倍晋三政権は、憲法を踏みにじって、集団安全保障に参加して武力行使するという。集団的自衛権とは違うもの。
東京新聞記事曰く「集団安全保障は、国連を中心とした国際社会が他国への侵略などを行った国を制裁する仕組み。憲法解釈変更で認めようとしている「国民を守るためのやむを得ない自衛の措置」とは、性格が大きく異なる。安倍晋三自身が「これまでの憲法解釈と論理的に整合しない」と、参加を否定した発言を逸脱することにもなる」
● ウィキペディア 集団安全保障
集団安全保障とは、潜在的な敵国も含めた国際的な集団を構築し、不当に平和を破壊した国に対しては、その他の国々が集団で制裁するという国際安全保障体制の一種である。
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