ヒロシマの悲劇から69年
- 2014年 8月 6日
- 時代をみる
- グローガー理恵広島原爆投下
広島に原爆が投下されてから69年の年月が経ちました。
ヒロシマの悲劇を二度と繰り返さないために、私たちはこの大惨事を忘れずに、平和の尊さを訴えていきましょう!
– ナショナル・ジェオグラフィック・チャンネルが放映しました「ヒロシマ原爆、今語られる真実」の日本語版です。この動画は2013年の8月6日にネットにアップされたものです。下のリンクをクリックしますと動画が観られます。(同様にアップされました原語の英語版の方は、すでに100万人以上の人々が観ています。)
– 2003年にアカデミー長編ドキュメンタリー賞を受賞した「フォッグ・オブ・ウォー マクナマラ(McNamara)元米国防長官の告白*」 のマクナマラ元米国防長官**のインタビューの一部です。彼は、1945年の日本の67都市への焼夷弾投下と原爆投下について語っています。(日本語字幕付)
http://www.youtube.com/watch?v=hOCYcgOnWUM
( マクナマラの告白の概要)
ルメイ***が日本を焼き、その上に原爆を投下することが、なぜ必要だったというのか?
しかもルメイは、東京だけでなく他の都市にも焼夷弾を投下していった。横浜、名古屋、富山……と、日本の大都市、小都市を次々に焦土化させていった後、ヒロシマとナガサキに原爆を投下したのだ。これもルメイの指令の下、遂行された。
戦争には目的と手段の釣り合いが必要だ。「日本の67都市の50%から90%の人々を殺しておいて、その上に2発の原爆を投下なんて釣り合いがとれていない」と言う人々もいる…..。
ルメイは、「もし我々が戦争に負けたとしたら、我々全員が戦争犯罪人として起訴されるだろう」と言っているが、ルメイの言ってることは正しいと思う。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
*『フォッグ・オブ・ウォー マクナマラ元米国防長官の告白』: 原題: The Fog of War: Eleven Lessons from the Life of Robert S. McNamaraは2003年に公開されたドキュメンタリー映画。日本では2004年9月に公開された。2003年のアカデミー長編ドキュメンタリー映画賞を受賞している。
**ロバート・ ストレンジ・マクナマラ(Robert Strange McNamara): 1916年 6月 9日-2009年 7月 6日は、アメリカの実業家、政治家。1961年から1968年までジョン・F・ケネディ、リンドン・ジョンソン大統領の下でアメリカ合衆国国防長官を務めた。。1968年から1981年まで世界銀行総裁。
(Wikipedia参照)
***ルメイ とは、カーチス・エマソン・ルメイ(Curtis Emerson LeMay – 1906年 11月 15日~1990年 10 月10日)のこと: 米国の軍人である。最終階級は空軍大将。1945年3月10日東京大空襲を指揮。戦後、ルメイは「我々は東京を焼いたとき、たくさんの女子どもを殺していることを知っていた。やらなければならなかったのだ。我々の所業の道徳性について憂慮することは―ふざけるな」と語った。焦土化作戦は東京や大阪、名古屋等の大都市を焼き払った後は、富山市や郡山市などの地方の中小都市までが対象となった。戦後ルメイは日本爆撃に道徳的な考慮は影響したかと質問され、「当時日本人を殺すことについてたいして悩みはしなかった。私が頭を悩ませていたのは戦争を 終わらせることだった」「もし戦争に敗れていたら私は戦争犯罪人として裁かれていただろう。幸運なことにわれわれは勝者になった」「答えは“イエス”だ。 軍人は誰でも自分の行為の道徳的側面を多少は考えるものだ。だが、戦争は全て道徳に反するものなのだ」と答えた。
(Wikipedia参照)
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座http://www.chikyuza.net/
〔eye2734:140806〕
「ちきゅう座」に掲載された記事を転載される場合は、「ちきゅう座」からの転載であること、および著者名を必ず明記して下さい。