尖閣諸島沖映像流失事件の本質とは
- 2010年 11月 20日
- 交流の広場
- とら猫イーチ
尖閣諸島沖中国漁船の巡視船衝突事件に関わる映像流失を、如何なる視角で論じるかで、論者の民主主義に対する政治的立脚点が判断出来るように思われるが、残念ながら、この問題の本質を突いた論者は、ごく少数のように見受けられる。(少数の内で秀逸なものは、以下の中央大学法学部の橋本 基弘氏の論説である。)
http://www.yomiuri.co.jp/adv/chuo/opinion/20101115.htm
尖閣諸島中国漁船衝突事件で試される民主国家としての日本
一番残念であったのは、野党第一党の自民党谷垣総裁である。 氏は、この事件を、なんと二二六事件に準えて、形式的な法秩序維持を説く。 しかしながら、かの海上保安官は、組織の規律違反と国家公務員法違反に問われることを、略、予測しつつ覚悟の上で映像を流失させたと、この間の報道で承知出来得るに関わらずである。 準えた事例の唐突さと、形式的違法性の上位にある憲法的価値の優位性を意識出来得ない性には、滅びゆく政党の総裁に適した鈍感が現れていて、自民党の行く末を暗示させるに充分である。
菅・仙谷による事実の隠滅を謀る企みは、憲法により保障された主権者・国民の知る権利の妨害であり、元より、国家公務員法の規定などより優位にある価値を意識出来得るか否かが問われる。 また、同法の定める「秘密」とは、民主主義社会においては、極めて限定的に解釈されなければならないことにも留意しなければならない。
基本的に、憲法により保護出来得ない、時の政権にとり不都合な事実を隠蔽するがために、形式的違法を盾に取り罪に問う行いは、時・所を違えて多くの事例があるが、今回の件もまたそうした試みであると言えよう。 国民は、今回の事件においては、自身が真の被害者であり、被害の回復は、政府による恣意的な情報の隠蔽を許さず、尖閣諸島沖で何があったかを包み隠さず公開すべきことによるしかあり得ないことを自覚しなければならない。
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